第2章 #12
依然としてローザンヌの屋敷に軟禁状態であるリーゼは、“銀の心臓”の力によって悪魔に蝕まれたリーリヤの兄ザハールを治す、という約束を果たすために、必要な魔術をリーリヤの助言を受けながら学んでいた。その最中、
「貴女、これまでまともに魔術教わって来ていないのね」
と、呆れたようにリーリヤが言った。
「才能がないから、別のこと勉強にするのに時間を使えと陛下に言われてね」
とリーゼは笑って答えた。リーリヤは表情を変えることなく、ああそう、とそっけない返事をして、リーゼの部屋を出て行った。そしてしばらくすると、布に包まれた荷物とともに戻ってきた。リーリヤの持ってきた荷物は、少し大きめで、布に包まれた上から筒状であることが見て取れた。
「それは何?」
「何って、悪魔よ」
とリーリヤが布を取り払ってガラスの筒を見せた。リーリヤの言う悪魔は、小さな翼の生えたトカゲの姿をしており、筒の中で八面体の結晶に閉じ込められていた。
「まさか、今捕まえてきたのか?」
「まさか。家にもともと保管してあったのを持ってきたの。……それより、貴女には何もしなくてもこの悪魔が見えているんでしょう?」
「え、……ああ、見えているよ」
リーリヤはリーゼの返事を聞く気はなかったようで、指で自らの目に魔術を施すということを行っていた。それが悪魔を見えるようにするための術であることは、リーゼにもすぐに察することが出来た。リーリヤは机の上に魔法陣を描くと、結晶に閉じ込められたままの悪魔をガラスの筒から取り出して、その魔法陣の中央に置いた。次にリーリヤの手が魔法陣の端に置かれた。リーリヤは一呼吸置くと、魔力を投入し魔法陣を起動した。魔法陣は投入された魔力に反応して光を放った。同時に悪魔が液体のようになって魔法陣を形成する魔力線に流れ出し、魔法陣全体のうち中心付近の魔力線に張り付いて止まった。
「さあ、準備が出来ましたよ、殿下」
「これが……? 何をすればいいんだい?」
「これは、人現に悪魔が憑りついた状態を再現したものよ。貴方には、これを使って実際に人間から悪魔を取り除く方法を習得してもらうわ」
「そんな急に……」
この短期間での魔術習得に自信がなかったリーゼは戸惑いを覚えた。
「貴女、いつまでここで暇をしていられるかわからないし、急がないと」
「確かにそうだが……」
リーリヤはリーゼが躊躇う様子を見せていることなどお構いなしに、自らの用意した実習台の前へ立つよう促した。
リーゼは仕方なく重い腰を上げ、その実習台の前に立った。しかし何をどうすればよいのか見当もつかず、しばらく茫然とするしかなかった。リーゼの視界の端にはリーリヤの呆れた顔が映った。
「……何をすればいいんだ?」
とリーゼが尋ねると、リーリヤは呆れ顔のまま答えた。
「……まず、悪魔とつながっている魔力線を止めて侵されている部分を切り離しましょう」
「ああ、そうか……。ええと……まずは流入側を止めるのか」
悪魔がいる部分へ魔力が流れ込んでいる魔力線の上に重ねて魔法陣を描き、魔力の流れを止める。それを当該の魔力線すべてに対して行う。これだけでもリーゼにとっては大変であったが、同じことを魔力の出口の側でも行わなければならない。魔力のすべての出入り口を
塞ぎ終えると、リーリヤがそれを確認した。
「大丈夫そうね」
これで悪魔のいる部分が切り離され、正常な部分へ影響を与える可能性がなくなった。
「それはよかった」
この作業は自分でする必要はなかったのではないかとリーゼは思ったが、自分の魔術技量向上のためにリーリヤがわざとこうしているのだと理解し、何も言わなかった。そしてここからは、“銀の心臓”の能力を使う部分、すなわちリーゼにしかできない魔術になる。この先を見るのはリーリヤでさえ初めてのことだった。
「ここからが本番ね。私もできるだけ助言するから、やってみて」
リーリヤがそう言うとリーゼは頷き、リーリヤが提案したものを下に作成した術式の通りに魔術を操り始めた。最初の術は天使を召喚する術だった。リーゼは魔法陣を展開し、その魔法陣を通して一体の天使を呼び出す。その天使は淡く青い光に包まれた鳥の姿をしていた。続いてその天使を操る魔術をリーゼは行使した。天使はその全身が光に包まれ、その姿を短剣へと変化させていった。
しかし、その変化の途中で突如形が崩れ、放つ光が激しく揺らいだ。これはまずい、とリーゼがはっきりと認識した瞬間、リーリヤが魔術を打ち込み暴走するそれを停止させた。事なきを得たと安堵したリーリヤは、
「……少し危なかったわね。今の術、どこを間違えたの? 少し見せてみて」
リーゼは術の内容を書いた紙をリーゼに見せた。それを見たリーリヤはすぐに、
「ここと、ここと、……ここも駄目みたい」
と直すべきところを指摘し、修正の方針をリーゼに伝えた。リーゼはそれを元に術式の誤りを正した。その術式全体を改めて見たリーリヤが、
「この部分、貴方が考えたの?」
とその一部を指で示した。
「それは……カノン、トヴァリで親しくしていたんだが、彼女に教えてもらった。これを術式に入れるといい、って言っていた」
「……それで、どんな魔術師なの?」
「私と同じくらいの歳の子なんだけど、人前は苦手で……あとは……」
「えっ……? いや、魔術師としてどうかって聞いているの」
「魔術師として……? 周りの皆が言うには、とても凄いらしいけど……」
「そう……。とにかく、この術式でもう一度やってみましょう」
リーリヤは紙上の術式に目線を落としたまま、低い声でそう返した。
早速リーゼは修正した術式を試してみた。今度は天使の召喚から短剣の形状への変化まで安定して行うことが出来た。リーゼは天使から姿を変えたその短剣を悪魔へと突き刺した。短剣を突き刺した箇所から光が溢れだし、魔力線を侵食した悪魔の隅々まで行き渡り、塵のように消失させた。その様子にリーゼは、おお、と思わず感嘆の声をこぼした。
「上手くいったようですね、殿下」
とリーリヤが成功したことを告げると、リーゼは加えて少し嬉しくなった。
「これと同じことをザハールにもやればいいのか?」
「ええ、その通り」
と、リーリヤも笑みを浮かべて答えた。しかし、成功の余韻に浸るのも束の間、こちらへ近づく足音が聞こえてきた。足音の目前まで迫るや否や扉が開かれ、
「何をしているんだ!」
とヨセフの怒鳴り声が響いた。彼は部屋足を踏み入れると辺りを見て、二人が何を企んでいたのか探りを入れていた。
「殿下まで……、一体どういうことか説明してもらうぞ、リーリヤ」
ヨセフは術式が書かれた紙を手に取り、その意図するところを確認した。そして直ぐに何かに気づき眉をひそめ、リーゼの方へ目を向けた。
「“銀の心臓”を使ったのですか、殿下?」
「はい」
リーゼがそう答えると、彼は少し何かを考える素振りを見せた。そして再び口を開いた。
「……イルメラ、殿下を頼めるか?」
「はい」
とリーゼの横で声がした。ヨセフの後に続いて部屋に入ってきたイルメラであった。近づいてくる気配なしに傍で声が聞こえたリーゼはぞくっとした。
「殿下、ご用がありますので、どうかこちらへ……」
と、イルメラが部屋を出るよう促した。
「リーリヤ……」
リーゼは心配してそう声をかけた。リーリヤはヨセフと睨みあったまま、
「私のことはお気になさらず、どうぞ行ってください」
といつもと変わらぬ調子で応えた。それでもリーリヤのことは気がかりなままであったが、促されるまま部屋を出た。リーゼの背後で扉が閉じる音がした。それからヨセフとリーリヤが言い合う声が聞こえたが、その場を離れるとその声もすぐに聞こえなくなった。




