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第2章 #5

 翌朝リーゼたちは、ちょうど日の出の頃に村を発つこととなった。出発の直前、リーゼは手紙をしっかりと送ってくれるようにローマンに対して改めて頼んだ。

「ええ、もちろんですとも」

 と彼は頷いた。そして彼は向こうで各々支度をしているラマンらを見、それからリーゼにこう尋ねた。

「彼らは、悪人というわけではないのでしょう? いやなに、確認したまでですよ……」

「あの人たちは、確かに悪い人達ではありません……、あの人たちは……おそらくは」

 と、リーゼは目を伏せて答えた。

「というと?」

「……あの人たち自体は、問題ではないということです」

 ローマンは、ふうむ、と首を捻った。

「よく分かりませんが……、やはり、何か悪いことにでも巻き込まれているのですか?」

「蓋を開けてみない事には分からない、というところです」

 リーゼが自らの出自を明かさないようにと受け答えしたため、終始ローマンはリーゼの話が分からない、といった風であった。それでも最後には、こう助言した。

「彼らの誰か一人とでも、しっかりと話をすると良いでしょう。どんな事でも。……おお、もう出発するようですね。それでは……あなた方に主のご加護を」

 リーゼ達は彼に対して礼を言うと、馬を走らせ村を去った。


 話したところで、今さら何か解決するのだろうか、と、リーゼはローマンの言葉が納得できずにいた。とはいえ、その言葉以外に浮かぶのは、何度もリーゼの頭の中で繰り返し行われた手詰まり感のある未来予測ばかりであった。そのうち、リーゼは、

(カノンだったらどう答えてくれるだろうか。アーデルハイトなら……お母様なら?)

 などと考えるようになった。だがいずれにしても、それらは願望の入り混じった答えをこの場にいない人物に対して求めるものであった。そのこと自覚した瞬間、リーゼは馬に揺られて酔いそうになったが、同時に抜くわけでもなく腰に差していた剣のガチャガチャ鳴る音がリーゼの耳に入って来た。

(彼ならどうだろうか……。何を言うか見当もつかないな)

 と、リーゼはその剣の主、リーゼの後方にいるエドヴィンからならば何か得られるのではないかと期待した。

 じきに馬を休ませなければならない。機会があるとすればその時だ、とリーゼは時機を定めた。しかし、これもまた自分の勝手な期待であるということをリーゼは無意識に理解していた。それゆえ、リーゼは彼にこの話をすることをすぐに決めることが出来なかった。

 そんな訳で、実際馬を休ませている時には、その馬に隠れるようにして、かと思えば彼らの様子をわざとらしく窺ってみたりしていた。そして、エドヴィンが一人でこちらの方に向かって来た時を見計らって、リーゼは彼に声を掛けた。

「後どの位かな、国境まで」

「もう少しでしょう。そうすれば落ち着けますかね」

「……本当に落ち着くことが出来るのか……。国境から王都まではまた時間がかかるとか、そういった話をしているんじゃないよ。……これから、事件の調査とか、この一件の後始末とか、とにかく、忙しくなるんじゃないか?」

「ふむ、確かにその通りで……。ああ、殿下、大事なことをお伝えするのを忘れていました。申し訳ございません、どうかお許しを……」

 彼が急に改まって言うものだから、リーゼは、ああ、やっぱりそうなのか、やはり首吊りなのか、とリーゼは一瞬絶望した。しかし、彼が言おうとしていたのはそんな事ではなかった。

「実は、まだ殿下の無罪であることが確定していませんので、すぐに王宮へ戻ることは許されていないのです。ですから、しばらくはご不便を強いるかと……」

 なんだ、そんな事か、とリーゼは一度安堵したが、すぐに思い直して、

「つまり、すぐにはアーデルハイトと会うことは出来ないということか? それに、そう、それに、まだ無実だと認められた訳ではないというのも……理解できるけれど……。ああ、いや、そもそも其方の話はどこまで信用して良いのかわからないな……」

 そこまで話したところで、何をやっているんだ、これでは昨日までと同じだ、とリーゼは首を振った。ふう、と一息置くと、リーゼは、

「……私のことを、我儘だと思っているか?」

 と尋ねた。

「いいえ、まさか!」

 彼は直ちにそう言い切った。

「本当のことを言っていいよ。……たとえそれが陛下の耳に入ったとしても、陛下は私のふるまいを咎めるだろう。私が罪人のままなら、何を言ったところで何も起きやしないよ。……私もできることなら君たちを信用したい。疑うよりも信じる方が楽だから。でも……それでもね、私は……」

「……怖い、のですか?」

「……うん」

 と、リーゼは声を小さくして肯定した。

「今度は情けないと思ったか? ああ、答える必要はないよ……陛下がよくおっしゃっていたよ、お前がそんな様子ではミスラは将来他国に呑まれてしまうぞ、とね。しかし……、私が将来のミスラの主として振舞う気概を持っていたなら、とっくに啖呵をきって俗世にでているよ」

「殿下は……、俗世での生活に憧れていたのですか?」

 いいや、とリーゼは首を振った。

「宮中が嫌だっただけだよ」

「要するに、逃げ出したかっただけだと、そういうことですか」

 リーゼははっとした。彼の言葉は銛のようにリーゼの心中で混沌と渦巻いていたものを貫き、掬い上げた。

「……そう、だね……」

 リーゼは小声で頷いた。リーゼは次に彼が口にする言葉が怖くなった。失望されたかもしれなない、いや、とうに失望されていたかもしれない。それともやはり彼はリーゼを刑台に連れていくだけの役割で、無関心なのかもしれない。とにかく、リーゼは彼を見極めたいと、彼の声の調子にすら耳を尖らせた。

「つまり、王位には就きたくはなかった、と言うことでしょうか?」

「それは違うよ」

「ならどうして、逃げ出したい、俗世に還りたいということになるのですか? 僭越ながら、殿下の話は矛盾しているように思われます……」

 リーゼはそれ以上答えることが出来ず、口をつぐんだ。

「私は、苦難の時においても共にそれと立ち向かえる君となった殿下にお仕えしたいと思っております。これは、今の殿下に不足があることを申し上げたいのではないのです。つまりこれは、前も申し上げたかもしれませんが、私共を頼りにしてほしいのです」

 リーゼは相変わらず彼と目を合わせることが出来ないまま、

「……君のことはよくわかったよ。……すまない」

 と答えるに留めた。残った問題は、後はリーゼ自身がどう決着をつけるかと言うことであった。

 ラマンが出発を告げ、何事もなかったかのように再びミスラへ進路を取った。


 森の中のある地点で、先頭にいたラマンが馬を止めた。彼は辺りを警戒しているようであった。リーゼもそれにつられて周囲を見回した。確かに、地形の起伏もあって野盗などが隠れていそうな雰囲気であった。

「行きましょう」

 と、ラマンが何もないと確信して前進を再開したその時、ばばっと両側面から兵士が飛び出し、あっと言う間にリーゼ達を分断するように取り囲んだ。

「なんだ、お前たちは!」

 とラマンが怒鳴った。これはハイベルクの兵士だな、とリーゼはすぐに理解した。

「理解しているな、来てもらうぞ」

 他国領内で勝手をしすぎたな、とリーゼはラマンらの様子を窺ってため息を漏らした。

 リーゼ達が連れていかれたのは、ニールベルクと言う町の要塞だった。リーゼとエドヴィン達とは、それぞれ別室に連れていかれた。リーゼに用意された部屋は、調度品こそそれなりの物が用意してあったものの、部屋には窓がなくて外の様子を窺い知ることは出来ず、とても窮屈に感じられた。見張りの兵士こそいたものの、部屋を自由に動き回ることは別段咎められなかった。

 リーゼは物の試しに、これから自分たちをどうするのか、とその見張りの兵に尋ねた。彼はきっぱりと、分かりません、と答えた。彼はただの一兵卒で、上の意向については知らされていないのだな、とリーゼは理解した。

 それからリーゼは、待たされる間に一度眠ってしまった。次に目が覚めたとき、見張りの兵士は交代していて、交代で入った彼に時間を尋ねると、早朝だと答えた。まだ日も昇っていないようであった。どのくらい眠っていたのは分からず、より疲れたような気がした。

 そして、日が昇ってきたと思われる頃になって、リーゼはまた別の部屋へと案内された。

 その部屋に入るなりリーゼは驚愕した。自らの良く知る顔がそこにあったからだ。

「ユリベート……! どうして……」

 彼はリーゼと目を合わせただけで、何も答えなかった。彼の他には、位の高い指揮官らしき人物が一人中央に直立していて、そして普通の兵士らしきものが三名配置されていた。中央の指揮官は自らをマッケンベルク公ヴィルヘルムと名乗った。マッケンベルクはミスラに隣接している土地で、その領主の名前もリーゼは良く知っていた。彼はリーゼに一礼すると、リーゼに対し椅子に座るよう促した。リーゼはそれに従った。

「この度は、大変な災難でしたね……。トヴァリに帰る手筈を整えさせるので、その間に話を聞かせてもらえますかね?」

「いや、私は……」

 と、言いかけて、ああそうか、とリーゼは納得した。ハイベルクは「幸運」で自国の領内に転がり込んできたリーゼを手放したくないのだ。

「何か問題でしょうか?」

 と、マッケンベルク公はリーゼが思考する間に言葉を挟んだ。

 何故彼らがリーゼを手元に置いておきたいかという疑問の答えに、今のリーゼは一つ心当たりがあった。(これも、「銀の心臓」絡みか……。と、いうことは、ユリベートも、初めから……)

「まあ、これは後でいいでしょう……。その前に、貴女を拉致した彼らについてですが……少し伺いたいことがあります。彼らがミスラ本国の命令に従って動いていたというのはほぼ分かっていますが、貴女も、それは間違いないと思いますか?」

 リーゼはしばしの間を置いて、

「ミスラの命令であったことは確かですが、あれは無理やり連れ去ったのではありません」

 と答えると、彼は一瞬だけ眉をひそめた。

「ミスラに帰還することは、貴女の望むところではないのでは? ミスラ国内で何か事態が好転したという確証でも得たのですか?」

「それは……」

「我らが皇帝陛下は、慈悲深くも罪を着せられた貴女を保護して下さったのです。貴女は、そのご厚意を無駄にするおつもりか?」

 保護など頼んだ覚えはない、とリーゼは言いたかったが、その彼らが主張するところの保護によってハイベルクにおけるリーゼの身分が保たれている都合上、それを否定することはハイベルク内におけるリーゼの存在を不法なものとしてしまう可能性があった。

「皇帝陛下の与えてくださった恩情には感謝しています。ですが、ミスラが私の帰国を望んでいるのなら、いつまでも私がこの国に留まるのは両国にとって都合が良くないでしょう」

「ミスラが貴女の帰国を希望しているのなら、あのような強引な手段を用いずとも、ハイベルクを通じて帰国させればいいはずです」

「ハイベルクはミスラに、私を保護したという旨の通知はしたのですか? それが無ければ、ハイベルクが先に私を誘拐したということになってしまいます」

 リーゼがそこまで言った所で、彼はため息を吐き、背後に控えていたユリベートを呼び寄せ、何やらこそこそと話し始めた。リーゼは彼らが何を話しているかは注意を払わず、マッケンベルク公の耳元で話すユリベートに目線を向けていた。彼がマッケンベルク公から離れようとしたとき、リーゼは彼と目が合ってしまった。ほんの少し間を置いてリーゼは目を逸らした。

「無礼をお許し下さい……。貴女の逃亡には、後ろにいる彼だけでなく、妹君アーデルハイト殿下も協力したそうですね」

 はい、とリーゼは頷いた。

「アーデルハイト殿下はこの件を了承しているのではありませんか?」

「それは……」

 国家間の問題に関わることを勝手に了承したとなると、アーデルハイトは無論ただでは済まない。もし、ハイベルクの主張する保護を本当に認めていたとしたら、アーデルハイトはそれを黙っている可能性が高い。

「もし貴女がミスラに帰還するのなら、ハイベルクはミスラがもたらした混乱について、事実を主張し説明を求めるでしょう。アーデルハイト殿下の事も含めて。もしそうなれば……」

 もしアーデルハイトとハイベルクの間に不適切な関係があるとなればミスラ王室全体が危機に陥るのはもちろんであったが、リーゼはアーデルハイトの身が危うくなることも恐れた。リーゼはその状況を回避する手段を思案した。一番易しいのは、彼らの言う通りにハイベルクに留まることであったが、妹を人質にとるような言動をする彼らの下に今は留まる気も起きなかったし、ユリベートに裏切られていたというのもまたハイベルクに対する信用を失わせていた。

「……私と一緒に来ていた彼らは今どうしていますか?」

「ミスラへ送還する準備が整いつつあります。昼には出発するでしょう」

「それなら、彼らに言伝を頼みたいのですが、よろしいでしょうか」

 そう言うとリーゼは立ち上がった。

「それなら、私共の方で取り次ぎましょう」

「それには及びません」

 とリーゼは扉に向かって歩き出した。すると後方にいた兵が扉の前に立ってリーゼの進路を閉塞した。

「勝手に動かれては困ります。ここはミスラの城ではありませんよ」

 というマッケンベルク公の声を聞きつつ、リーゼは一呼吸置くと、染み付いた習慣のように「銀の心臓」の力を呼び出した。光に包まれた鳥のようなものがリーゼを取り巻くように出現した。リーゼの正面に立つ彼は何事かと身構えた。背後でマッケンベルク公かユリベートが何か言っているような気がした。

 光る鳥のような姿をしたその小さな天使がリーゼの目の前に立つ男を覆いつくすと、天使は光を焚いて彼を扉の向こうまで押し倒した。リーゼはその隙を逃さず空いた扉から廊下に飛び出した。待て、という声が聞こえ、それに追われるよう光る天使が廊下を飛び、駆けるリーゼの跡を追った。


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