プロローグ #3
2016/9/4 修正
リーゼは暗く狭い地下牢をこっそりと進むうちに、正しい道を進んでいるという自信を失いつつあった。
一刻も早くここから通路へ抜けなければならないのだが、思いのほか時間がかかってしまい、リーゼは焦り始めていたのだ。
巡回の兵に見つからないよう足音を消すため裸足で歩いているのだが、足裏に伝わる石の冷たさがまだリーゼを冷静にしてくれていた。
アーデルハイトから手渡された地図によるともうすぐ隠し通路に出るはずなのだが、その気配が一向に見られなかった。
アーデルハイトはどうやって私を助けに来たのだろう、と、ふとリーゼは思った。
一体あの鍵はどこからもって来たのだろうか? どうやって見張りをかわしたのだろうか?
湧き出てくる疑問の答えはすぐに見つかるものではなかった。
確実なのは、自分のために危険を冒してくれたということだ。とリーゼは妹に感謝しつつ彼女の示してくれた出口へと向かった。
それからほどなくして暗い回廊の出口を見つけることが出来た。その出口はあたりと同じ石壁の迷彩で覆われていた。
リーゼはアーデルハイトに教えられた迷彩解除の呪文を打ち込む作業に入った。右手の人差し指から呪文の文言を呼び出し、扉をなぞるようにして入力した。地下牢の内部では魔術の力を大きく封じられるのだが、この程度ならばなんら差し支えはなかった。もう一度隠す時も同じ呪文を打ち込めばよいらしい。
石壁の迷彩が消え、隠されていた重い鉄の扉が現れた。リーゼはこれを押してみたが、いくら力を加えても開く様子がない。扉を引いても結果は同じだった。諦めるわけにはいかず、再度思い切り押してみたが、重い鉄の扉は一部さび付いていて、華奢なリーゼの腕では針の先ほども動かすことはできなさそうだった。
「こんなところで……」
――こうしているうちにも、牢を守る兵が自分を探しにやってきてしまう。早くこの扉を開けなければ――
リーゼは焦って取り乱しそうになるのを堪えて、冷静になるよう努めた。しかし、冷静になったからといって何かいい案を思いつくわけでもなく、状況が好転することはなかった。
リーゼは愕然として扉の前に膝を突いた。
そのとき、奥のほうから声が聞こえた。牢番の兵がなにやら叫んでいた。
自分を探しているのだ、とリーゼにはすぐに分かった。このままでは二分とかからずに見つかってしまう。リーゼは開きそうにない扉を一度諦め、隠れる場所を探した。とりあえず、左手側の通路、そこから一番目の曲がり角に身を潜めた。そこから先にはさらに複雑に入り組んだ通路が続いていた。
数十秒後、二人の兵があの扉を見つけてやってきた。リーゼは息を潜めて様子を伺う。自分の鼓動が、聞こえはしないかと心配になるほど激しくなっているのに気付いた。見つかればそこでお終いだ。
二人の兵は先ほどのリーゼ同様、扉を開けようとした。だが、扉は相変わらず開く様子がなかった。
「鍵を掛けられたのか?……早く外に連絡するんだ。この扉から王女が逃げたかもしれない、ってな。俺は念のためこの辺りを探す。」
「了解です」
幸いにしてその兵はリーゼがいる通路の反対側を探し始めた。あまり音を立てないようにして再度アーデルハイトに手渡されたメモを見る。どうやらあの扉の鍵も呪文であけることができるらしかった。
足音を立てぬようにして先ほどの扉に近づいた。あの兵士が遠くに行ったのを確認して、扉の正面に立ち、先刻同様に呪文を打ち込んだ。
淡い光を放つ呪文の文字が扉に吸収された。
一瞬ほどの間をおいて、向こう側で鍵の開く音がした。リーゼが安堵のため息を吐いて扉を開けようとした。
「いたぞ!あそこだ!」
その声を聞いたリーゼは、全身が飛び上がったかのような感覚に襲われた。後ろを振り向くと、一人の兵がリーゼに向かって走ってくるのが見えた。
「待て!」
リーゼは反射的に扉の向こう側へと走り出した。つんのめって転びそうになりながら、再度後ろを振り向くと、どんどん兵士が近づいているのが見えた。同時に扉も閉じてゆくのも見えた。追っている兵が扉の向こうへと足を踏み入れようとしていた。しかし、幸いにも扉が閉じ、再び鍵が掛かる方が早かった。これで少しの間は兵に追われる心配をせずリーゼは逃げることができる。リーゼは安堵して立ち止まり、スカートをたくし上げていた両手を放して正面で重ねた。
問題は、すでにリーゼがここを通って逃げられたと思われた点だ。ここを抜けた先で、すでにリーゼを捕らえるための兵が待ち構えている、と言うことも十分あり得るのだ。
とにかくリーゼにはこの隠し通路を早く抜けることが必要だったが、明かりのないその通路は、真っ暗で何も見えなかった。
リーゼはおそるおそる壁伝いに前へと歩き出した。どうやらこの隠し通路も石造りらしく、リーゼの手足にはその冷たい感触が伝わってきた。
暗闇の空間は、あらゆる面でリーゼの恐怖となった。それは得体の知れない化物に対してというより、今現在リーゼを追っている兵士たちに対してのものでもあった。ふと振り向くと、そこには自分を追っている彼らがいるかもしれない、ということも頭に浮かんだ。その恐怖を顔に出さず、凛々しい表情でいるのは、王女リーゼとしてのプライドゆえだった。アーデルハイトに泣き顔を見せたのは、リーゼの優しき理解者であるアーデルハイトだからである。
曲がり角に突き当たったらしいことをリーゼの手が伝える。手が示すとおりにリーゼは歩く。
そこでリーゼは小さく悲鳴をあげた。角に張っていた蜘蛛の巣がリーゼの頭に引っかかったのだ。リーゼは手でそれを払った。隠し通路だから当たり前なのだが、ここは当分使われていないらしかった。
さらに足を進めると、行き止まりにたどり着いた。その壁だけ感触がこれまでとは違ったので、これが出口だとリーゼは頷いた。
手順は先ほどとなんら変化はない。地図と一緒に書かれた呪文を入力するだけだ。
鍵を開けた扉を少し開けて、外側の様子を確認する。どこかの倉庫に繋がっているというのは本当だった。
外の光が入ってきていた。もう夕方らしい。まだ人の気配はない。
リーゼは意を決して扉の外へと出た。地図によると、ここからさらに別の隠し通路があり、そこから外に出られるのだ。アーデルハイトの話では、その先に侍従ユリベートが控えているということだった。
リーゼは地図にある隠し扉の方向へと向かった。乱雑に置かれている樽や箱などの間を縫って隠されている扉の前にリーゼはたどり着いた。
リーゼはため息を吐いて、一間休止を置く。そして、呪文を再々度入力しようと手を伸ばした。
その時、リーゼの背後で、隠されていない、つまり普通の入り口が大きな音を立てて開かれた。
追っ手がきたかと思ってリーゼが後ろを振り返ると、三日前に話して以来の人物、リーリヤ・ヴィ・ローザンヌ、彼女一人の姿のみがそこにはあった。
不定期更新です。できるだけ更新は早くしたいですが、思いっきり間が空くことがあると思います。