第2章 #4
リーゼは神父のぼろ小屋のような家の扉を叩いた。すぐに神父が応じて出てきた。
「これはこれは、こんな夜分にどうしたのですか?」
「手紙を出したいと思ったのですが、突然こちらにお邪魔することになったので、紙とペンの持ち合わせがないのです。どうか貸してはいただけないでしょうか……」
リーゼがそう頼むと、寒いだろうから、と神父はリーゼ達を中に手招きした。神父の名はローマンといった。ローマンは快くリーゼにペン、インクを貸し、紙を与えた。さらに自分の消息を教える程度だと伝えると、ここを使ってください、と机も貸してくれた。リーゼはすぐにペンを走らせた……。
親切な私の友人たちへ
急にいなくなって、心配をかけて申し訳ありません。私は生きています。今のところは。突然旧知の者が現れて、私を連れ戻しに来たのです。この先どうなるかは私にはわかりません……。もう皆さんとは会って話すことは出来ないかもしれません。ですから、あれこれ言いたいことはあるのですが、今はその余裕がありません。もし次の手紙を送る機会があれば、その時に書きます。でも、これが最初で最後の手紙になるかもしれません……。
でも、最後に言っておきます。私は次の手紙を出すこと、そしてみなさんともう一度お会いすることをあきらめてはいません。ぜひまたお会いしたいです。
リーゼ
リーゼがこの手紙を書き始め封をするまでの間、神父ローマンは後ろで外出する準備をしていた。
「今から外へ行かれるのですか?」
と、エドヴィンが問うと、
「見回りですよ、悪魔たちがうろついていることもありますからね」
と、使い慣れたらしい杖で床を叩きつつ答えた。
「ああ、なるほど……ずっとお一人でやっているのですか。大変でしょう」
「いやいや、ここの人たちも、交代で一緒に出ていますよ」
リーゼは窓から外の様子を窺った。リーゼの見える範囲では、先ほどと変わらず、悪魔は遠方でふらふらと動いていた。
「この村では、悪魔はどのくらい現れるのですか?」
とリーゼはローマンに尋ねた。
「村の近くまでやってくるのは、あまり多くありません。週一度でも多い方でしょう……」
「トヴァリでは、毎日何体もやって来ました」
「トヴァリ、ですか、なるほど、……あそこには悪魔の山がありますからね……」
そういうとローマンはリーゼの手紙に封がされているのを見て、
「ああ、トヴァリに向けて送るのでしょう。それは丁度よかった。私もトヴァリの司教の下に送るところだったのです。……この手紙は、私が預かってもいいのですか?」
「はい、むしろ、こちらからお願いするところでした。ありがとうございます」
と、リーゼは頷き彼に手紙を託した。ローマンは自分の書簡とリーゼの手紙を重ねて机の上に置いた。
「殿下、教会堂の方へ戻りましょう。長居しては、神父が外へいけません」
とエドヴィンが耳打ちすると、リーゼは頷いて、
「そうですね、ご迷惑をおかけしました。そして、手紙の件はありがとうございます」
とローマンに一礼した。
リーゼ達がローマンの住処を出ると、すぐ後を追って彼も外に現れた。そこでリーゼはふとあることを思い立ち、ローマンにこう尋ねた。
「私も見回りについて行ってよろしいでしょうか?」
ローマンは目を丸くしてリーゼの顔を覗き込んだ。そしてエドヴィンは、危険なのでおやめください、とリーゼに言った。
「トヴァリでは、みんなと一緒に退魔師をやっていたんだ。……泊めてもらったお礼をしたいと思って」
とリーゼが説明すると、ローマンは納得した表情を見せ、
「まあ、悪魔はいないでしょうし、私は構いませんが……」
と、リーゼが付いていくことを認めた。それを聞いたリーゼは同意を求めてエドヴィンと目を合わせた。
「明日も朝早いのですが、まあ、仕方ないでしょう……」
「ああ、そうか、……エドヴィン、其方は休まなくてもいいのか? 休みたいと言うなら、私も行くのをやめるよ。其方は断っても私に付いて来るつもりだろう?」
とリーゼが彼自身の体について尋ねると、
「いえ、私は構いません。お供しますとも」
と、エドヴィンははっきりと言い切った。
「では、決まりですね」
と言ってローマンは出発しようとしたが、リーゼははっとして彼を呼び止めた。
「待ってください……、エドヴィン、ルーマーには言わないと」
休んでいるラマンとネスターの代わりに今はルーマーが教会堂の中で待機しているはずだ。リーゼ達がいなくなったと騒がれてラマンたちに知られないためにも、彼にはリーゼの外出を伝えておく必要があった。
結局、リーゼ達は表から教会堂に入ってルーマーにこの旨を伝えた。彼は快く了解してくれた。
村の外周へと向かって村の中央を通り抜けたとき、ローマンがリーゼを振り返った。
「退魔師には、自ら志願したのですか?」
リーゼは出来るだけ正体を伏せながら矛盾しないよう説明するのに言葉を探した。
「いいえ、えっと……、見習いだったのですが、悪魔が見える目を持っているということですぐに……」
それを聞くと、ローマンが、
「ええと、それはつまり、悪魔に憑かれている訳でもないのに、悪魔の姿が見えるということですか! 確かにリーゼさん、あなたは見たところ悪魔が憑いている雰囲気はありません。……まさしく、(聖典の)第5章の奇蹟の再現ですな!」
この話が広まって騒がれるのはリーゼにとって好ましいことではなかったので、
「ああ、あまり口外しないでいただけますか? トヴァリにいたときにこの話は余りするなと言われているので……」
「トヴァリのクラウス司教が?」
はい、と頷き返すと、ローマンは快く聞き入れてくれた。
「それでは、今悪魔はどこにいるのかわかりますか?」
「ええと、今は向こうに……」
とリーゼは悪魔のいる方を指差した。すると、行ってみましょうか、とローマンはそちらに向けて歩き出した。リーゼ達もそれを追った。ローマンはリーゼのいう通りに悪魔に近づき、村から離れていった。
「なるほど、悪魔がこの辺りでうずくまって村までやってこないのは、悪魔除けが効いているからか」
と、ローマンは一人で納得していた。その背後で、
「しかし、不思議な目を持っているのですな」
とエドヴィンがリーゼに言った。
「前までは見えなかった。……トヴァリに行ってから見えるようになったみたいなんだ」
「……まさか、トヴァリでお体に何かされたのでは?」
「何てことを言うんだ! そんなことはあり得ないよ」
と、リーゼはエドヴィンを跳ねのけた。しかし、振り返ってみると、悪魔が見えるようになった理由もわからないし、先日龍と戦ったときにリーゼ体から勝手に発動した魔術の事もよくわからなかった。そしてリーゼはそれらの現象と、ある物を自然に結びつけるようになった。
(銀の心臓……、全てではないにしてもこれが関わっているはずだ)
ミスラでのあの事件以降、多くの人間がその単語を口にした。その「銀の心臓」の力が作用しているのは疑いようがなかった。アルザスのときのような危険な目にあったりもして、不気味ではあったが、逆にそれによって窮地をしのいだ場面もあり、また扱い方が分からなかったので、リーゼは「銀の心臓」を内に秘めたままにしておくことにした。
突然ローマンが立ち止った。彼も悪魔の存在を感知したらしく、悪魔の方に目を向けていた。
「確かにここにいますね」
そう言ってローマンは術を用いて目の前の悪魔を攻撃した。悪魔はすぐさま塵となって死んでしまった。
「今の術で、悪魔を倒したのですね?」
と、悪魔の存在を知ることが出来ないエドヴィンが尋ねた。
「はい、悪魔は失せました」
と彼は頷き、そしてリーゼに目について評し始めた。
「……なるほど、リーゼさんの目は人々の力になります。トヴァリでは役に立ったことでしょう。……トヴァリは今大変なのではないですか?」
「私が来る前からあの人たちは悪魔を退けていたんです。私がいなくなっても大丈夫です。それに、もう一人悪魔が見える子がいるんです」
「もう一人ですか?」
とエドヴィンは驚いていた。しかし、
「もう一人? いえ、2、3体はいますよ……」
とリーゼの正面に立っていたローマンが低い声で言った。はっとしてリーゼが背後を見やると、どこから現れたのだろうか、悪魔数体がじりじりとリーゼたちの方に近寄ってきた。そしてリーゼたちが一歩引き下がると、わっと飛びかかって来た。
リーゼは自分に向かってきた悪魔を反射的に魔術で撃破、ローマンもすぐに一体を倒してしまった。
しかし、リーゼ達のように悪魔の存在が見えないエドヴィンは、訳の分からぬまま彼の上半身に悪魔が組み付いてしまっていた。彼は仰向けに倒れ、息が苦しそうにもがいていた。リーゼは彼に憑り付こうとしている悪魔に魔術を撃ち込もうとしたが、彼の体にあたるおそれがあったため撃つのをためらっていた。すると、ローマンがエドヴィンの胸にしがみついている悪魔目がけて、手に持った杖を振り落とした。2、3度と振り下ろすと悪魔は潰れて光の粒子となって弾け飛び、最後に杖は彼の肩か胸を打ち、エドヴィンはひどく痛そうに呻いた。
ローマンは、しまった、という顔をして、それから申し訳なさそうに、
「ああ、申し訳ない……。大丈夫ですか? 骨などは折っていませんか」
と謝った。リーゼもまた、大丈夫か、と心配した。
「いや、大丈夫だ……」
と、エドヴィンは痛い場所をさすりながら立ち上がった。彼が無事なのを見てリーゼは安堵しため息を吐いた。
「ここにいるとまた悪魔に嗅ぎつかれるかもしれません、早く村の方へ戻って見回りを終わらせましょう」
と、ローマンが言い、リーゼ達もすぐにそれに従った。
この後の見回りでは何事もなく、リーゼ達は教会堂へ戻ってきた。幸いラマンとネスターはあれからずっと休んでいて、ルーマーが一人教会堂の前で立っていた。ルーマーはリーゼ達が無事に戻って来たのを確認し安堵していた。
「今日はもう戻ります……今夜はいい経験が出来ました」
とローマンは笑顔を見せた。
「そうですか、逆に迷惑になったかもしれないと思ったのですが」
「いやいや、悪魔がどこをうろついているか分かっただけでも収穫ですよ」
そう言うとローマンは少し寂しそうな足取りで自室に帰っていった。彼を見送っていると、
「殿下、中にお入りください」
とルーマーが言うので、分かった、と頷き中に入った。
「今日はもうお休みになってはいかがですか」
「ああ、そうするよ」
このまま起きていると、彼らに余計な心労を掛けてしまうから、寝てしまおうとリーゼは考えた。
寝支度を整え終わったとき、どうして自分は彼ら――特に今起目の前にいる二人――の心配をしているのだろうか、彼らは自分をほとんど誘拐のような手段で処刑場まで連れて行こうとする悪人ではなかったのか、と自嘲した。
そこへエドヴィンが、
「どうか十分にお休みください」
と、挨拶をしにやって来た。
彼がそのまま立ち去ろうとしていたところを、リーゼは彼を呼び止めた。呼び止められた彼は驚いた様子でリーゼの顔を見ていた。
「……私のわがままに付き合わせてしまって、そのうえ危険な目にまで遭わせて、ごめんなさい」
リーゼは、不安や安堵、疑念や信頼といった矛盾が入り混じる自分の心中、そこにある言葉から、それだけを拾い上げてエドヴィンに伝えた。
エドヴィンは首を振って、
「いいえ、あのようなことは、気にするほどのものではありませんよ!」
とはっきり言った。それでもリーゼが暗い表情を続けていたからか、
「殿下、私のことは余りお気になさらず……」
と付け加えた。
リーゼが、ああ、と頷くと、彼は一礼して返した。その時に彼とはっきり目が合ってしまった。
彼はこのまま向こうへ行くわけではなく、リーゼから微妙な距離を保っていた。そして、失礼に当たると考えたからだろうか、エドヴィンはこの夜、これ以降目線をリーゼの顔に向けなかった。




