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第2章 #1

2016/9/9 登場人物の名前に誤りがあったのを訂正

 雑巾がけの手を止め立ち上がると、リーゼは窓越しに修復中の聖堂を見やった。今朝見たときと大差ないが、龍に壊された直後と比べると徐々に回復してきているのが分かる。

 あの夜はあちこちひどい有様で、リーゼ達の部屋も衝撃で窓が片方吹き飛んでいた。その他部屋の外壁ごと無くなっている者もいたので、多くの退魔師が暖炉のある館の広間に集ってその夜を過ごした。もちろんこれらはすぐに修理された。ただリーゼとカノンの二人は、そのついでにそれぞれのベッドと部屋の空間を隔てることのできるカーテンを設置した。これはもともと二人ともが、自分の空間を確保したいよね、と前々から考えていたのを実行してみたのだ。

 また、館の外、町の中も激しく損壊している場所が多少あった。リーゼ達は瓦礫運びや壊れた建物を治しに来た職人に昼食を運んだりしている。

 まもなくその昼になる。早く終わらせなければとリーゼは雑巾がけを再開した。すぐにリーゼと廊下の担当を二分して掃除をしていたカノンがやってきて、

「リーゼ、そっちもそろそろ終わり?」

 と尋ねてきた。

「ああ……、もうすぐ終わるよ。片づけは私がやっておくから、先に行ってていいよ」

 カノンはその場で、わかった、と頷き、リーゼに雑巾を渡し館に残る人数分の昼食を準備しに向かった。その直後リーゼも自らの担当分を終え、バケツと雑巾を片付けるとカノンたちの待つ厨房に入った。……まったくいつもと変わらぬ光景である……。


 その定着してしまった彼女の日常を密偵から聞かされ思い浮かべたとき、ある男は少々痛ましく感じた。男の名はラマンと言って、ミスラ王国の人間であった。彼の目的はもちろんその彼女、リーゼ・マーキュリウム・ミスラに関係している。

 もう明日には彼はリーゼと接触するだろう。ラマンはその前に、リーゼが暮らしているというその教会、およびその施設である館とやらを自分の目で確かめておこうと、ラマンは潜伏場所から足を運んでいた。

 勿論、彼らの指名の特性上いきなり教会のある中洲、そこと川の両岸をつなぐ橋には近づかず、川沿いに点々と並ぶ露店の品物を見るふりをしつつ教会の方を確認した。彼の目を引いたのは先端が欠けた教会の尖塔だった。ラマンは露店の主人に尋ねた。

「龍が来て暴れたと聞いたが、あれもそうなのか?」

「ああそうさ。あそこの教会で一番暴れてたんだ。……そしてそこで司教たちに殺された」

「龍の死骸はどうした?」

「教会の奴らが町の外持って行って燃やしたんだ。その煙がこっちに流れてきて、ひどい臭いだった」

 ラマンは鼻をヒクヒクさせてみた。なるほど多少肉の焦げる臭いが残っているような気がした。

 邪魔したな、と残して彼の店を去ると、ラマンは再び川沿いの通りを進んだ。ふと後ろを着けられているような気がして、立ちどまって脇から地図を取りだし確認するふりをした。足音は次第に近づき、そしてラマンの脇を通り抜けていった。ついでにラマンは、リーゼがいるという退魔師の館が最も良く見える位置を探した。地図を見るに、それは反対側の西岸らしい。ここからだと来た道を戻って北の橋を渡らなければならない。いや、もしかしたら南の橋を渡った方が早いかもしれない。ともかくラマンの現在位置からは結構な距離歩かなければならなかった。しかし、怪しいやつと見とがめられることは避けなればならないことも思うと、少々遠い距離だと感じた。しばしどうすべきか考えたのち、ラマンは諦めて潜伏場所に戻ることを選択した。彼が多少憂鬱であったこともこの決断を後押しした。

 裏路地に面した一室が彼らの潜伏場所であった。合図と合言葉を用いて確認をもらいラマンは中に入った。今はちょうど作戦の最終確認が行われているところであった。中で待っていたシェルナー・エドヴィンという尉官が尋ねた。

「どうですか、外の様子は」

「ところどころ壊れていたが……町自体はそこまで龍の被害を受けてなかったようだな」

「あの中州への橋が壊されなくてよかったですね」

 ラマンは答えずそのまま椅子に座った。エドヴィンの部下ルーマーに水を頼んだ。机には地図が広げられていた。地図の上には、情報局と軍がこの地に腰を置いて調べたリーゼの行動範囲、大まかな時刻が書き込まれていた。今回の計画にはこの情報が必要だった。

 それほど時間を掛けることはできない。帝国の介入を許すわけにはいかないからだ。

 リーゼが一人になる確率が高い時間帯は昼過ぎ、リーゼの他にそこに住まう少年少女二人と離れて行動する時であった。それを見計らってリーゼに接触するのだ……。



 リーゼ達は今日も町の外へと赴く。音を立てず忍び寄る変化は彼女に察知できるはずもない。今リーゼの目に映るのは、悪魔が還る青い炎が燃え上がるような一瞬の煌き、そしてそれを囲む退魔師の仲間たちであった。

 そしてリーゼはいつも通り次の日を迎えた。そしてその日の午前まではこれまでの日常の連続でしかなかった。

 昼過ぎ、いつもの慣例でリーゼは教会の図書室に向かった。この時間の図書室にリーゼやカノンを除いて他に人がいることは滅多にない。たまに他の仕事と掛け持ちしているらしい助祭が来る程度だ。彼に受け付けてもらわないと本を借りられないので、いてほしい時にいない、とカノンが不満を口にしていた。

 こんな調子なので何度も本を盗まれていそうなものだが、意外にそういう事例は数少ないそうだ。ここの所蔵する本には、それを示す印が押されているので売ろうとすれば足がつくからだろう。本を読むためだけなら、利用者票を作ってもらって――これは教会の関係者以外が利用する時に作らされるものだ――普通に利用すればいいだけだ。

 いつも通り目的の本を書架から取り出し、室内の机の前に座ってそれを開いた。

 ほとんど静かで、風の音がそれとなく聞こえてくる、そんな場所であるここをリーゼは気に入っていた。人の足音が近づいてきた。別段変わった物音でもないので、字を追うのに夢中だったリーゼは気にも留めなかった。足音はリーゼの前方までやってきて、足音の人物はリーゼの対面に座った。

 カノンではないなと思ってリーゼは顔を持ち上げた。

「其方は……」

「突然のご無礼、お許しください。お目にかかるのは……だいたい二月ぶりでございますね……」

 リーゼは彼が目の前にいるというのがどういうことだか分からず、一瞬混乱した。しかしすぐに自分を追ってここまで来たのだと理解し、その場から逃げようと椅子を倒す勢いで立ち上がった。

「あっ、お待ちください……!」

 ラマンはそう言って制止しようとしたが、リーゼにその気はなかった。しかしラマンの他にいたミスラ王国の刺客と思しき人物が、彼女の進路を塞いだ。振り返ると反対側にも男がいた。二人とも見たことのある顔だったが、それに結びつく名前はなかった。

「……騒ぎを起こすようなら、我々も強硬手段に出なければなりません……。どうかお座りになってください」

 リーゼは仕方なくラマンに従って再度席に着いた。リーゼはその間に辺りを見回した。入り口に見張りを見つけた。そんなに大勢ではないはずだ、この四人だけだろうとリーゼは読んだ。

「……私を捕まえにきたんですね」

 リーゼは声を震わせつつラマンを睨み付けた。

「それは……違いますよ! 前の捜査、裁判は、論評に値しないほどひどいものでした……。ですから、今度はまともに執り行って殿下の無実を知らしめるのですよ」

「そんな話……いきなりどうやって信じろと言うんですか」

 ラマンが次の口を開くまでの間、リーゼはどうやってこの場から逃れようか考えを巡らせた。しかし突然の来訪に動揺していたリーゼは上手く頭を使うことが出来なかった。

「私は、陛下から直々に任せられてこちらに参ったのです。……陛下も、殿下が無事ご帰還になって、潔白が示されることをお望みになっています」

「お父様……、いえ、陛下が私を助けたいと?」

「そうです」

 脳裏に父の顔が浮かんだリーゼは、なおさらラマンの言うことが信用ならなくなった。

 ……今になって自分を救済したいというなら、自分が地下牢に閉じ込められていた時になぜ何もしなかったのか。病に臥せていたにしても、全容が分からず混乱していたにしても、あの時に何か出来たはずだ。……そうだ、そもそも自分を救い出したいなんて、あの人がそんな事言うはずがない。……しかしもしかしたら本当に? あの人が何を考えているかなんて分からない……。

 さらに混乱したリーゼは首を横に振った。とりあえずリーゼは、父の思惑以前に立ちはだかる問題を指摘した。

「どんな事情にせよ、今の私に、どうやってそれを信じろというのですか」

 ラマンは一枚の紙を懐から取りだした。どうやら命令書らしく、国王の記名もなされていた。

「最初にこれをお見せするべきでしたね……。この通りですよ。……偽造ではありません。私を信じてください。私の人となりは、殿下は良くご存じのはずです」

「……そうですね、あなたは陛下への忠誠心溢れる人物ですね……」

 ラマンは、えっ、という顔をしてリーゼの顔を覗き込んだ。

 彼が悪辣な嘘を使う人間ではないことをリーゼは承知していた。しかし国王の命令で、となるとどうだろうか。たとえ一対一でも彼は真実を話すまい。

「私が、いいえ、と言えば、下がって頂けるのですか」

「……それはできない相談です。我々は帝国に気取られぬようにとも命を受けている。……殿下が他言する可能性を完全に潰せるのなら、話は別ですが」

 それなら、わざわざこんな所で話をしなくとも、結論は決まっているではないか、とリーゼは心中で呟いた。どちらにしても自分はミスラに連れ戻されるのだ、そしてその後は……。それを想像しリーゼは膝を震わせた。

「とにかく、私は行きません」

「このまま一生、汚名を着たまま逃げ隠れする生活になりますよ!」

 リーゼが語気を強めると、ラマンも呼応してより語気を強めてきた。

 彼は、リーゼに王女、将来の女王として分相応、それ以上に振舞うよう教育して来て、今もそう振舞うよう望んでいるのだ。それ故彼は、リーゼの事情は理解していても、彼女の豪気の無さには少し苛立っているのだろう。

「我々が捕えに来たとすれば……、口を利く間もなく縛り上げ、それで連れ帰っていたでしょう。……こんなことをする必要なんてないのです」

「……せめて、私がお世話になっている司教と話をさせてくれませんか」

「……申し訳ありませんが、それは承服しかねます」

 リーゼは俯いていた。それは何か思案を巡らせているわけではなく、目立たぬよう魔術を準備するためであった。リーゼは単純な発光魔術――いつも退魔師同士で合図に使っているものだ――を選んだ。長い間発光するようにし、その時間リーゼ維持できる最大の光量を見積もった。

 リーゼは目に光が入らぬよう俯いたまま魔術を展開した。無論その瞬間にラマンや後ろにいた男たちが気づく。彼らが身構える、もしくはリーゼを制止する前に魔術は発動した。しかしここからはリーゼの想定通りにはならなかった。椅子から立ち上がって逃げようとしたリーゼだったが、首筋に強い衝撃を感じその場で足の力が抜け、膝をついた。再度立ち上がろうとしたところに、全身を稲妻が駆け抜けたような痛みが走った。そして気を失い床に倒れた。


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