第1章 #19
龍がひたすら暴れまわるため、退魔師たちは包囲することさえ容易ではなかった。またいくら攻撃しようとも手ごたえのない龍を延々と目の当たりにし、士気も衰え疲労が見え隠れしていた。他の退魔師達がいる前線から一歩離れたところで時折魔術で攻撃していたカノンを見つけ、リーゼは彼女の下に駆け寄った。
「なんだか……、うまく行っていないね」
「……うん。あの龍、守りを固めて居座るつもり見たい。なかなか隙がないの」
ずるずると龍が前進し、それに合わせてリーゼ達も移動した。龍はそのついでに前脚で軽く退魔師達を払った。その前脚が地に着くと、地面と干渉した魔力の粒子が舞い上がった。
「うまく頭が狙えればいいんだけど……」
そのためには件の光の球を龍に吐かせバリアーに穴を開けさせたうえで、その穴を狙わなければならないのだが、そう上手くいくはずもなく、手をこまねいているうちに龍も狙いに気づいたのか口から光の球を吐くことをほとんどしなくなった。
「無理やりにでも、あのバリアーを突破できないのか?」
「ううん……、余波もあるし、そのバリアーと干渉したりして、辺りがめちゃくちゃになるだろうし、最後の手段だね」
カノンはそう言うと小刻みに魔術攻撃を龍へ浴びせかけた。こうすることで遠くから魔術攻撃を浴びせかける人間に注意を向けさせ、龍に件の攻撃をさせようという魂胆らしかった。しかしそれがなかなか功を奏さないため、退魔師全体に苛立ちが広がっていた。
「このままどっちかが先に飢え死にするまでこのまま睨み合っているつもりか?」
前線にいたブラトが叫んだ。
苛立っているのは龍も同じだったようで、単に暴れるような攻撃を繰り返した。そして突然動きを止めた。
何事かと退魔師達が身構えていると、龍が前脚を地面にたたきつけた。かと思うとそのまま地響きを鳴らし突進してきたのである。退魔師達は龍に道を開けるようにして飛びのいた。
「いけない!」
反射的にカノンが攻撃魔術をズバッと応射した。その光の矢はひたすらに突進する龍の側面に命中した。もちろんバリアーのため傷を与えることはできなかった。しかし龍自身はそれに反応し、そこで急制動をかけ、魔術攻撃の主、カノンの方へ方向転換した。そして龍が向かってくるや否や、二人と周りの退魔師達は走って逃げだした。ここでカノンを脅威となる魔術師と記憶しているのか、彼女が背を向けたと見るやその鋭い牙の並んだ口を開き、そこから光の球を吐き出した。リーゼとカノンが合わせて左に逃げると、光球が弾け、その衝撃が右後方がからリーゼたちの体を揺さぶった。リーゼが背後を確認すると、龍は標的をカノンに定めたまま自分たちの方へ向かってきていた。リーゼ、それに続いてカノンが教会の建物の合間に入った。龍がそこの壁を壊そうと前脚を一振りし、外壁が破壊され教会の土地にある瓦礫を増やした。リーゼとカノンはそのまま奥の建物裏にまで逃げ込んだ。
龍はカノンを見失って見当違いのところで暴れていた。その間リーゼは壁に背を預け、カノンは座ってしばし足を休めていた。
「まだこっち来るのかな?」
とカノンが建物の破壊される音がする方を気に掛けた。
「それは、来るんじゃないかな。どうして、って、カノンが今日と昨日、二回とも奴を撃ち落としたからじゃないか。いや、川に落としたのを含めると三回かな」
「うーん、その三回目はクラウス大司教と一緒だったんだけどなあ……。……それと、あんな遠くからわたしが分かったのかなあ」
「目がいいんだよ、きっと。あと魔術の質とかもあり得るかな」
再び建物が崩れる音がした。その音から龍が近づいていることが窺えた。
「こっちに来るよ」
カノンがそう言って立ち上がり、向こうをのぞき込んだ。
「向こうに行こう」
とカノンがそのまま今隠れている建物の反対側の角を回って龍から離れようと歩き出した。その角でもカノンは首を出して龍がこちらに気づいていないことを確認した。
「大丈夫、行ける」
カノンがリーゼの方へ振り向きそう伝えると、奥へと駆けだした。リーゼもすぐ後を追い、そこに再び身を隠した。
「ああ、今夜もあっさり帰ってくれたら良かったんだけどなあ」
「カノン、静かに」
二人は息を潜めて龍のいるであろう方向に注意を向けた。拍を刻むようにして聞こえる龍の重い足音をじっと聞いていた。その重い足音に多少の恐怖を感じつつ、その音で次の移動のタイミングを計った。しかし、足音はもう移動しようかというところで途絶えてしまった。少し後にカノンも気づいて、
「あれ?」
と声をこぼした。一体どうしたのだろうかと、リーゼが壁の向こうを覗き込もうとしたとき、何かを勢いよくたたきつける音が向こうから飛び込んできた。それが翼をはためかせている音だと気づいたのは空に飛びあがった龍を見つけてからだった。その龍が一体どうするのかと見上げていると、光の球による攻撃を降らせてきた。それは龍を見あげていた二人の背後に落ち、その場にいた二人の鼓膜が破れんばかりの轟音が響いた。
「カノン、早く!」
たちまち二人は逃げ出さざるを得なくなり、リーゼが適当な方向へ走りだすと、カノンがその後を追って走り出した。建物の込み入ったあたりから広場まで走り抜けた。開けた場所へやって来て狙いやすくなったとみるや、龍はここぞとばかりに二人目がけて滑空、急降下し突撃した。すぐさま二人はきびすを返し建物の間へと逃げ帰ることとなった。それから少し遅れて、
「危ない、逃げろ、逃げろ」
という声がリーゼたちの耳に入ってきた。リーゼ達の背後を突風のごとく通り過ぎ、カノンはその間で転び、その時左腕を巻き込んだ。
「カノン、大丈夫か!?」
カノンはすぐ体を起こしたが、左腕を押さえてひどく痛そうにしていた。彼女はその左腕に昨日それなりに大きな傷を負ったことをリーゼは思い出した。
「昨日の……、ともかく、ここにいたら駄目だ。動けるか?」
「うん……」
カノンは左腕を押さえたまま立ち上がろうとした。しかし一歩踏み出そうとしたとき、突如姿勢を崩して膝をついた。
「カノン……?まさか足も?」
「大丈夫よ、このくらいなら歩ける」
そうは言ったものの、カノンは片足を引きずって何とか歩いているという状態だった。リーゼは彼女の肩を支えてそこの角にあった小屋の中へ連れて行った。
そこを選んだのはもちろん、空から発見されないためであった。そこは何もなく、ひどく殺風景で不断何に使われているか分からない小さな小屋であった。リーゼは魔術で小さく光を灯すと、カノンが右手で押さえている左腕の辺りを照らしだした。
「見せて」
とリーゼが言って、カノンが右手を離し、袖を捲りあげた。カノンの腕に巻かれた包帯には、おそらく昨日の傷に沿って、血がにじみ出していた。それも徐々に血の染みが広がっているような気がした。
「傷が開いたのか?」
「たぶん」
龍の足音が近づいてきた。鼻が利くのだろうか、真っすぐ近づいて来るように感じた。
「これは……。どこに隠れても同じかな。……どうしようもない、皆と合流すべきなんだろうけど、その足では……」
「リーゼは先に行ってて、後で行く」
「しかし、あの龍が狙ってるのは、カノン、君なんだ。……逃げないと、やられる」
リーゼはカノンの肩を支えて歩き出した。龍の足音はすぐそこまで迫ってきていた。このままこの小屋を出れば見つかってしまうのは明白だった。
「ねえ、先に行っていいよ。わたしはここで隠れてる」
カノンを置いていくことなんてできるわけがない、そうリーゼは心中で呟いた。ただ同時に、今すぐ逃げ出したいという本能的な恐怖も付きまとっていた。
「ねえってば」
リーゼは戸口の前まで来て立ちどまった。このままこの外に出てかの龍に見つかれば、二人ともやられる。それならば……。そこまで考えが至ったとき、リーゼはカノンに、
「わかった」
と答えた。リーゼは丁寧にカノンを床に下ろすと、辺りの様子を見て小屋の外へ出た。重い足音がする方を振り向くと、あの龍が目を光らせて立っていた。
リーゼはその鼻っ面に、自分が撃てるだけの魔術を打ち込んでやった。リーゼの魔力が息切れして、魔術の光の中から龍の顔が現れた。相変わらず龍の顔はバリアーで守られ無傷だったが、リーゼの目的を達成することは出来た。龍は怒ってリーゼに狙いを定め、光の球を吐いた。
リーゼはそれを確認する前に走り出していた。龍は一歩前進し逃げ出したリーゼに光球を放った。リーゼはより奥へと逃げ込んだ。龍はどどっと音を立て恐ろしい速さで突進してきた。リーゼは奥へ奥へと逃げてゆき、しまいには教会のある中州の端までたどり着いてしまった。しまった、と後ろを振り返ると、鳥のように龍は建物の上に留まって品定めするようにリーゼを睨み付けていた。突き付けられた視線がリーゼを恐怖で支配し、リーゼはその場から足を動かすことが出来なくなってしまった。
(いや、ここで死ぬなんて御免だ。私はまだ……あの世に行きたくはない)
リーゼがそこでできたのは龍を睨み返すことまでだった。しかし、そのリーゼの目には龍のバリアーの表面で弾ける退魔師達の反撃の光が黒い龍を背景として瞬く星のように映っていた。
龍は反撃に動じず、ゆっくりと口を開いた。その中に光が溢れ、頭部前面のバリアーが解かれた。リーゼはそのバリアーの穴目がけて、でたらめに魔術を打ち込んでやった。リーゼの体感では十発ほどだったが、実際にはその半分もなかっただろう。そしてその隙にリーゼは柵沿いに逃れようとした。龍は光球を吐くのを止め、リーゼの横にピタリとくっつくように中州の外周を飛行した。今度は逆にリーゼが中州の中心部へ向かった。龍はリーゼが曲がった角を一度行き過ぎた後、すぐに引き返し上からリーゼを追ってきた。
中央の広場が見通せる通路にリーゼが入ると、龍はそこで着地し走ってリーゼを追った。リーゼの頭上を魔術の光が二つ通過し、龍の頭に命中した。クラウスと彼に支えられて立っているカノンがそれぞれ放ったものだった。クラウスは、横に避けろ、と腕を大きく振ってリーゼに示した。このときリーゼはすでに広場のすぐ手前、龍はリーゼより走るのはずっと早かったが今の攻撃でひるんで結構後ろにいた。どうやら魔術で攻撃するから道を開けろと言うことらしかった。リーゼは走りつつも壁沿いにその位置を移し、少し姿勢を低くした。
それを確認すると、クラウスがカノンに合図した。カノンが頷くと、二人は同時に攻撃魔術を放った。龍の頭部に命中。バリアーの表面で激しく弾け、その魔力の粒子が飛び散って両側の壁を削っていた。
しかし、龍はそれでも動じず、頭のバリアーをより厚くし、逆に魔術攻撃を利用することを選んだ。龍が首を少し傾けると、魔力の青い光束がバリアー表面で反射し、壁に穴を空けた。龍はそのまま首の角度を変えると、青い光束は熱を伴って炎のごとくリーゼの前に迫り、リーゼの視界を覆った。本能的にそれを避けようと体が動いたときには、すでに遅かった。
リーゼの体は全身で熱を感じていた。むしろリーゼの体が熱を発しているような気さえした。
カノンとクラウスが魔術を停止させた時には、すでにリーゼは反射された魔術の奔流に身を晒していた。カノンは目をそらす暇もなく一瞬後の惨状を目に焼き付けようとしていた。しかし実際にカノンが見ることになったのは、リーゼの目の前にゆらりと現れた光の盾が、その奔流を受け流したという、不思議な様だった。
リーゼにも、その瞬間に何が起こったのかは理解できなかった。ただ残っている体の熱を感じることは出来た。特に熱を持っていた握りしめていた手を開くと、魔術が発動していて、翼の生えた天使のようなものが手のひらに立って淡い光を放っていた。天使とは言っても、身体は直線と面で、翼は多数の多面体で構成されたひどく無機質なものであった。
これは何だろうか、とリーゼが考察する間もなく、龍がリーゼを踏みつぶそうと前脚を振り下ろした。しかし光の盾は岩盤が如く龍の攻撃を受け止め、びくともしなかった。龍がいったん攻撃をあきらめると、リーゼは龍に背を向けて走り出した。龍が突進してリーゼを追うと、龍は再度現れた光の盾に頭を正面からぶつけた。かの龍の頭部自体もバリアーで守られているから、それで倒れたりすることは無かった。龍は体を持ち上げると、口を開き光球を放とうとした。それはリーゼ、いや彼女の正面にいるクラウス、とカノンが期待した展開であった。
「撃て」
クラウスが叫ぶが早いか否か、二人は再度魔術を発動させた。二人から放たれたそれぞれの光束は、龍の頭の三分の二を蒸発させた。ゆっくりと龍の体が傾き、その場に横倒しになった。一瞬の静けさの後、退魔師達の間でわっと歓声が起こり、死骸を確認しようと集まってきてより騒々しく感じられた。カノンがクラウスに支えられつつリーゼの下に駆け寄ってきて、
「大丈夫?……でも、とにかく、無事でよかった。……駄目なんじゃないかって思った」
と泣きそうな目をして無事を確かめていた。
「私は大丈夫だよ。……心配かけて、悪かった。謝るよ」
カノンは首を横に振った。
「別にいいよ。無事だったんだもの。許してあげるよ」
「無事じゃなかったら許さないのか?」
そんな言葉が口から出たのは、まだ恐怖が残っているからかもしれなかった。それに対してカノンはしかめ面を見せて、
「ひどい冗談! 」
と言った。
「わかったよ、ごめん。……カノンも、足は大丈夫?」
カノンが、大丈夫よ、と頷いたときリーゼの背後から「万歳、万歳、」と合唱するのが聞こえた。振り返ってみると、退魔師達が囲む龍の死骸の上の方に、先ほどリーゼの手の上に載っていた天使のような物が高く舞い上がってゆくのが見えた。しばらくそれを眺めていると、ふわっ、と光の粒子に変化して消えてしまった。リーゼからの魔力供給が途絶えたからだろうか。結局あれが何だったのかは良く分からなかったが、あれのおかげで助かったのだということはなんとなくリーゼにも理解できた。後ろの二人は見てなかったのか、それともわざとだろうか、一言もそれについては言及しなかった。リーゼはずっとその光を追っていたが、その光は星の光で、元の光はすっかり消えていることに気が付いた。月の光に溶け込んでしまったのだ。その様にリーゼはなんとなく寂しさを覚えた。魔術は体が覚えているので、もう一度出すことはできるだろうが、そういう気は起きなかった。あの天使について追及するのは後でいいな、とリーゼは空を見上げるのを止めた。




