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第1章 #16

 運がいいことに脅威を退けたものの、その後もまた大変だった。リーゼはけがをした退魔師の手当てを手伝うよう命じられた。リーゼはここで初めて聖水で傷口を洗うということを経験した。それだけけが人が稀だったということだ。中には流した血で服が一面赤く染まっていたものもいた。リーゼも怪我をしたが、それは手のひらをすりむいただけというものだったので、そこを聖水で洗うだけにとどめた。

 リーゼが包帯を持ってこようと立ち上がった時、ちょうど向こう側からブラトたちが合流しようとやってくるところだった。一気に辺りが騒がしくなった気がした。彼はフローリスたちの下まで来ると、辺りを一瞥した。

「全員無事か?」

「ええ。ただ、怪我人が少しだけ。……そっちは?」

「ああ、こっちも同じだ。……それにしても、ひどいもんだ。」

 ブラトは龍の攻撃で壊れた建物や散乱した瓦礫を見て言った。不意にブラトは瓦礫の散乱した通りの奥に目を留めた。包帯を持って行く途中だったリーゼもそちらに目をやった。明かりを持ってやってくる新たな人影が見えた。ブラトがそれを見て小石ほどの瓦礫を蹴るのを視界の端に認めた後、リーゼは座り込んでいる退魔師の下へ向かった。リーゼは包帯を巻きながら後ろの会話に耳を傾けていた。

「ずいぶん遅かったですね。外がこんな大騒ぎだったっていうのに」

 ブラトが少々不服そうに言った。

「いや、済まない。いろいろ準備してきたのですが……不要だったようで」

 そうアーベルが申し訳なさそうに言う声と、その準備したというあれこれのものを地面に下ろす音がリーゼの後方で聞こえた。

「どれもあいつには使えたかどうかはわからないですがね」

「無いよりはましでしょう。……まあ、そうですね、細かい話は戻ってしましょうか。……そうそう、一応調べたいので、龍の血液や、落ちた翼の一部を回収してください」

「そのための道具は持ってこなかったのか?」

「生憎ながら」

 ブラトは呆れつつも近くにいた退魔師に血液の回収をする瓶を持ってくるよう命じた。


「しかし、どうするかねぇ、このありさま」

 リーゼが手当てをしていた退魔師の男、ライマンが町の惨状を見て呟いた。

「こんなことは前にもあったのですか?」

「いいや、俺が知っている限りでは無いな、こんなひどいことは。……と言うより、あんなのは初めて見たぜ」

 逃げていた町人がぽつぽつと戻り始めていた。壊された建物――おそらくは住居だろうか――をみて立ち尽くしている者もいた。

「あの人たちは、今晩からどうするのでしょう?」

「さあな。当分家なしかもしれないな」

 ライマンがリーゼの後方に視線を移したので、そちらを振り返るとアーベルたちに詰め寄っている住民がいた。

「……外で寝るっていうわけにもいかないでしょう。俺たちはどこに行けばいいんですか。家はいつ治るんですか」

 家族と思しき女性や子供を連れた男が声を荒げていた。

「そうですね、とりあえずみなさん教会の施設で、ということになると思います。家は……私にはわかりません」

「分からない、って……」

 その男が不満そうにアーベルを睨みつけていると、二人は通りの向こうからやってくる新たな気配を察知してそちらを見た。それなりの衣装をしていることから、街の偉い人だろうとリーゼは予想した。実際、アーベルはその人物を「町長」と呼んだ。

 彼、町長は一度頭を下げ、帽子をかぶり直した。

「一体これは、どういうことなのか? 司教さん」

「ご覧のとおりです。龍が現れて、町を襲ったんです」

「そんなことは分かっている。私が問題にしているのは、龍をみすみす暴れさせ、なおかつ逃がしてしまった君たちだ。こういう時のために君たちがいるのだろう!?」

 そうだそうだ、と言う町人の野次が飛んだ。辺りにいた退魔師たちの表情が曇り、少々雰囲気が険悪になった。

「退魔師たちは皆、全力を尽くしました。龍が恐ろしく強かったのです」

 町長は龍が飛び去った方角を睨み付けた。

「またかの龍が戻ってくるということは?」

「十分あり得るでしょう……。退魔師を交代で監視に着かせましょう……」

 それからアーベルは、今晩から家のない人々を教会の施設で受け入れることをクラウスに掛け合うこと等を約束した。


 アーベルが家なしの町人を引き連れて先に教会へ向かった後、退魔師たちは集合して帰ることになった。そこでリーゼは辺りを見回してカノンの姿が見当たらないことに気が付いた。近くにいたブラトの組の女性にカノンの所在について尋ねた。

「カノンはどこですか?」

「うん……? あの子ならアーベル達と先に戻ったわ。館でしっかりと怪我人を見なきゃいけないでしょ。その準備よ。医者も呼ぶからね。カノン以外にも何人か行ったわ。あと、また龍が来ないか見張る人ね」

 そういわれてみれば、姿の見えない人物がカノン以外にもちらほらといた。そして、結構ひどい怪我をしている者も見受けられた。足をやられて介助してもらいながら後ろをゆっくりと歩いている者もいた。その怪我人はブラト達の組に多かった。リーゼ含むフローリスたちの組より長くあの龍を相手にしていたからだろう。


 退魔師の館に戻ると、中には怪我をした町人とその付き添い人たちもいた。町人たちが並ぶ先を見ると、机とシーツで出来た簡易な診察台が用意され、そこで医者が怪我人を見ていた。

「皆さんは、町の人たちの後になります」

 先にこの準備をするために帰ってきていたブラトが後から来た退魔師たちを案内した。

「なんでうちで診てるんだ?」

 退魔師の誰かがアーベルに尋ねた。リーゼは列の最後尾の方にいた町人がこちらを睨んだように思えた。

「教会で預かることになった人たちですよ。ここにいるのは動ける人たちばかりです。重傷の方々は病院で診ていますよ。さして時間は取りません。……あなたたちも、軽傷のうえ、応急処置してもらったところをもう一度診てもらうだけですから、大丈夫でしょう?」

「ああ、問題ない」

 ブラトはそう返事をし、他の退魔師たちもそれに頷いた。

「それでは、一度解散です。詳しい話は朝に」

 解散した退魔師たちがぞろぞろと町人の列の後ろに並んだ。その先で待つ老いた医者が溜息を吐いていた。こんな時間にここに呼び出されて仕事をすることになって眠いのだろう。

 その医者にかかるほどではないリーゼは自分の部屋に戻ろうと二階へ向かった。階段の途中で後ろからカノンが追い付いてきた。

「リーゼ、待ってよ。……リーゼは大丈夫だった?」

「怪我はこれだけ。平気だよ」

 リーゼは擦りむいた手のひらをカノンに見せた。その時にリーゼはカノンの手首辺りに包帯が覗いているのに気が付いた。

「カノン、その腕……」

「ああ、これ? ちょっとね……割れたガラスで切ったのよ。でも大した傷じゃあないよ」

 カノンは平気そうにしてその腕を振り、リーゼに早く寝室へ行くよう促した。

「龍を撃ち落したあれは、カノンがやったの?」

 そうリーゼが問うと、まあね、と少々照れくさそうに頷いた。



 翌朝、朝食の準備をしているとベルがぼそりと呟いた。

「昨日の騒ぎで、一人死んだみたいだよ」

 リーゼとカノンは手を止め、リーゼは、それは本当か、とベルに尋ねた。

「廊下のところで話しているのを聞いたんだ。町の病院で重傷の人を治療していたけど、一人はだめだったらしいって」

 リーゼの感情に暗い影が宿り、同時にリーゼは恐怖を覚えた。カノンもまた沈痛な表情を浮かべていた。

「私たちも、一歩間違えればそっち側行きだったかもね」

 リーゼがそう呟くと、カノンが、「やめてよ、」と首を振った。しばしの間沈黙したまま三人は静止していた。ベルが、「ほら、準備しないと……、」と二人を促すまでそれは続いた。


 朝食の後、今後の対応について話すとして、アーベルが皆を聖堂に集めた。リーゼたちが聖堂に入ると、アーベルの姿はまだなかったが、クラウスの炯眼が聖堂入り口の正面をずっと捕えていたので、少しリーゼはおののいた。

 退魔師がそろった後しばし遅れてアーベルが聖堂に現れた。

「いやあ、すいません、遅れました」

 退魔師の中からは少々文句が出たが、クラウスは何も言わず彼が自分の横に来るのを待った。アーベルは軽く咳払いして話し始めた。

「えー、早速ですが、昨日現れた龍について、今後の対応ですが……。まず、当面はこれ以上町に被害を出さないよう、警戒態勢を敷きたいと思います。街の四方に交代で監視を常駐させ、あの龍が現れたときは鐘の音で知らせます。日中来る可能性は、低いと思いますが……」

「問題は、どうやってあの龍に傷を負わせるか、だろう?」

 ブラトの苛立った野太い声が聖堂に響いた。

「それなら昨日、でかい穴開けたじゃないか」

「すぐに治ったんだろうが。問題はそのすぐに傷が治る化け物をどうやって仕留めるかってことなんだよ」

 退魔師の方が騒がしくなりかけたので、アーベルは再度咳払いをして彼らの注意を向けさせた。

「それについては、頭か心臓、もしくはそれに類する器官を潰すのが有効な手段だと考えられます。……ただ、あの龍は魔力の衣を纏っていて、特に頭や胴体はそれがバリアになって攻撃が通らない。ただ、あの龍が口から光を出して攻撃する時は頭と周りの胴体のバリアが解かれます。そこを狙って致命傷を与えるのが適当と考えます」

 アーベルの説明に退魔師たちは戸惑った表情を見せた。

「いや、口で言うのは簡単だけどさ……。実際どのくらい、時間的に余裕があるんだい?」

 フローリスの問いに対して、あー、と間延びした声を出し、「カノン、どのくらいですか?」と回答をカノンに委ねた。突然指名されたカノンはうろたえ、数瞬間をおいてアーベルの問いに答えた。

「えっと、3秒、いや、もしかしたらそれより短いかも……しれません」

 カノンによって示された時間に、退魔師たちの間でざわめきが起こった。リーゼは無言で3秒を数えてみた。ただ立っているだけの状態で数えたその時間は長く感じた。しかし昨夜のような混乱した状態では恐ろしく短い時間に感じるかもしれないな、とリーゼは思った。

 前列にいたオーブリーが声を上げた。

「微妙な時間だな……。難しいが、出来なくはないといった所だな。……ところで、そのバリアを正直に、力押しで破ることはできないのか?」

「あれを破るとなると、余波で町に結構な被害が出るそうですよ。」

「どのくらい?」

「うむ、カノン、どの位なんです?」

 カノンも周りの皆も、またか、と呆れた顔をした。今まで黙っていたクラウスもさすがに呆れてアーベルを皮肉った。

「よく神学校を卒業できたな」

「確かに魔術は毎回落第寸前でしたが、それ以外は問題ありませんでしたよ。それに、不正もしていませんよ。……はあ、と言うわけで、カノン」

 はい、とカノンは頷き、辺りが静まるのを待った。自然に退魔師たちの視線がカノンに集まったが、カノンはそれが恥ずかしいのか少し赤面していた。

「ええと……、魔力を打ち出すようないつもの攻撃魔術の威力を単純に高めると、打ち出された魔力束、魔力の束が周囲の大気を急激に加熱して……ううんと、爆発して、衝撃波が発生します。……あと、一部跳ね返ってきた魔術が町に当たるかもしれません」

「……と、言うことだそうです。それで、龍との戦い方は、先ほど言った通りでいいでしょうか」

 退魔師たちは頷かなかったが、否定する言葉もなかった。

「まあ、もっといい方法があったら考えましょう。……それで、基本はこの町に来たところを迎え撃つということになるのですが、町への被害を抑えるため、こちらから討伐しに行くということも考えています。それで、問題はあの龍の居場所なのですが……」

 アーベルがそこで不自然に言葉を切ったことで、退魔師たちは何かを勘付いたようだ。そしてその何かは決していいものではなかった。

「龍が今いると思われるのは、悪魔の住まうあの山です。街の人の報告で、そちらの方に逃げたことが分かりました」

 退魔師たちの間に動揺が走った。あの山で仕掛けるとなると、龍だけでなく大量の悪魔も相手しなければならない。それは単純に考えて困難なことであった。

「町長は、君たちが山に赴いてかの龍を討伐するよう要求してきた」

 クラウスは表情を動かさず無感動に退魔師たちへ言った。町やその住民にこれ以上被害を出さないようにする、と言う意味では間違ってはいなかった。しかし、実際に事に当たる退魔師たちにとっては承服し難いことであった。

「悪魔に魂を吸われて来いっていうのか」

「これから協議する。まだ決定事項ではない……が、その可能性が十分あると考えておけ。……ここが正念場だ。失敗すれば、教会や君たちの信用は失われる。しかしうまく運べば、信用を保つことができる」


 退魔師たちはそこで解散となった。「あの山に行くのはいくらなんでも……、」とため息交じりで言う声がリーゼの後方で聞こえた。

「まあ、いくらなんでもあの山に突っ込むっていうのはないんじゃないか? 龍にたどり着く前に悪魔にやられちまいそうだし」

 もう一人の男が笑って最初の男の肩を叩いた。彼らは門から街の方へ向かった。


「あの山って、カノン、どのくらい危険なんだ? 一回アーベル司教から聞いたことがある気がするが……」

 退魔師たちの上着を洗濯しているときにリーゼはさり気なくカノンに尋ねた。

「うーん、とにかく悪魔が多くて、対処しきれないみたいだよ。私がここに来るより昔に、先輩の退魔師たちが言ったことあるみたいだけど、一人しか帰って来れなかったんだって」

「そんな恐ろしいところに行かせよういうのか?」

 カノンは首を振った。

「それはないよ。龍を倒す前に私たちが全滅するよ。町長さんも、山に倒しに行くのは犠牲を出すだけだって分かってくれると思う」

「でも、これ以上町に被害を出すわけにもいかない。山から街に来る途中を迎撃するというのではだめなのか?」

 カノンは首を捻り少しの間考えていた。

「それは……難しいと思う。高いところを飛んでくる訳だから、まず見つけるのが難しいし、見つけても攻撃手段が乏しいんだよね。ただでさえあの龍はバリアを持ってるし」

「昨日カノンが翼に当てて撃ち落したようにはできないのか?」

「龍の姿を捕えられればできるかもしれないけど」

 カノンは首を捻りうんうん唸っていたが、何か思いついたのか顔を上げた。その目は新しいいたずらを思いついた子供のそれの如く輝いていた。

「待って、索敵魔術をうまいこと使えば……。ううん、もっと詰めてから離すね」

 そういうとカノンはリーゼが洗ったもの入れていた籠を取り換え、洗濯物を干す作業に戻った。

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