第1章 #15
階段を下りて館の広間へ向かうとすでに退魔師の皆が10人ほどおり、今夜の悪魔処理の準備が進められていた。
リーゼは、二つある組のうち自分の組の副リーダーであるオーブリーに、何かすることはないか、と尋ねた。彼は聖水を持ってくるよう頼んだ。これは悪魔に傷を負わされたときの治療や、悪魔が体に入り込んだ時に体への侵食を遅くするために使用するものだ。それを作るのは祭司であるアーベルだった。彼はいつも作った聖水を瓶詰めし、箱に入れて勝手口のある食堂に置いている。リーゼが食堂に続く廊下を歩いていると、ベルがその聖水が入っているであろう箱を抱えて歩いてきた。
「それで聖水は全部?」
「いや、まだ一箱残ってるよ。……ああ、僕が持っていくからいいよ」
別に彼に頼るほどのことでもない、と思いリーゼは首を振った。
「いや。私が持っていく」
リーゼは彼の脇を通り抜けて食堂へ向かった。勝手口に一番近い机に、ベルが持っていたのと同じ箱が置いてあった。リーゼがそれをオーブリーの下へもって帰ると、この短い時間の間に皆広間へ集まってきていた。
今夜もやることは同じだ。街に群がる悪魔を探し出し、魔術や剣を駆使して倒す――はっきり言ってしまえば殺す――のだ。
出発前、二つのグループそれぞれの隊長であるブラトとフローリスが今夜の担当するエリアについて話し合っていた。このいつもの会話の最中、リーゼはカノンに先ほど教えてもらった対魔索敵魔術の使用について尋ねた。
「あの魔術、使うのはもっと練習してからの方がいいかな?」
「ううん……、最初のうちは目で見て確認しながら使ったらどうかな。練習のついでに」
わかった、とリーゼは頷いた。隊長ふたりの話し合いも終わり、それぞれ分かれて町の外へ向かおうとしたとき、カノンはリーゼに一つアドバイスを残した。
「術を維持するのが大変だったら、探す距離よりも、タテヨコ……じゃなくて、ええと、そう、……角度を小さくするといいと思うよ」
リーゼは軽く頷き、それぞれのチームに付きしたがって闇夜の町の外へ繰り出した。
僅かに欠けた月が上っていた。相変わらず外は手が痛くなるほど寒い。リーゼは何度か自分の吐く息を手に浴びせた。
町の東門から北に出てすぐ、悪魔を目視で発見したリーゼはオーブリーにそのことを伝え、隊を止めさせた。
「北東、150くらいにいます」
リーゼから情報を伝えられたオーブリーは、それに合わせて退魔師を配置した。その退魔師から、「どこにいるんだ、見つからないぞ」という声が上がった。リーゼは展開した退魔師の位置を元により正確な位置関係をオーブリーに伝えた。
彼はリーゼから伝えられた位置を魔術による光で指し示した。そこに数人の退魔師が向かい、その普通の退魔師が展開するごく狭い範囲の悪魔感知術が悪魔を捕捉した。その悪魔は剣や魔術で攻撃され、光の粒子となって夜の闇の中へ溶けていった。
それを確認したフローリスは、町の反対側、ブラトたちの隊から送られてくる光の信号を確認していた。
「向こうの方は少ないみたいだね、はずれを引いたかな」
一方リーゼが確認した数は、向こう側の三倍ほどあった。リーゼがそれをフローリスに報告すると、「本当にはずれだったね」と少し嫌な顔をした。
「それで、どこにいるの?」
「ほとんど北東方向に集まっています」
リーゼはカノンの助言通り、索敵魔術の有効角度を絞って辺りを調べていた。目で確認したのと同じ位置に悪魔を見つけることができた。
至って順調に悪魔を倒していく中、ふとリーゼは、背後に何か異様な雰囲気を感じた。後ろを振り返って辺りの様子を確かめてみたが、そこには悪魔も人も見当たらなかった。
「リーゼ、どうかしたのか?」
脇にいたオーブリーに問われ、リーゼは「いいえ、」と首を振った。しかし、どうにも嫌な感触を拭いきれなかったリーゼは、何度も辺りを見回した。さらに索敵魔術を全方位に向けてやってみた。そして天頂方向に索敵魔術を向けたとき、リーゼは街の真上から接近しつつあったその巨大な何かに気が付いた。
リーゼは反射的に振り返り天頂方向を見上げた。リーゼが見たものは、黒い翼をはためかせる龍であった。
「フローリスさん、町の上に何かいます!」
リーゼの声につられ、フローリスとオーブリーが街の上空を見上げた。あの龍は悪魔同様に彼女らには見えていないかもしれない、と思い、リーゼは説明しようと思った。しかし、彼女たちにもその龍の姿ははっきりと見えたらしく、驚きの声を上げていた。
他の退魔師たちも事態に気づきはじめ、呆然としてその龍を見上げていた。
夜の暗闇と同化しているせいで、その全体像はつかめなかったが、月明かりがその龍が大きな存在であると教えていた。
「いったいあれは何だ?」
そんなことをオーブリーが呟くと、かの龍の各部が、その存在を主張するように光を放ち始めた。夜の空にはっきりとその姿が映し出されると、リーゼの背後から、「あれはまずいよ、あれは」と、退魔師たちのどよめきが起こった。なにがどう問題なのかリーゼには良く分からなかったが、その得体のしれないものに対してリーゼは恐怖を覚えた。
「ブラトたちと連絡を取ろう。発光信号で、あの龍のこと伝えて」
フローリスの指示に従がって、オーブリーはブラトの組に連絡を取ろうと発光魔術で信号を送った。即座に返信が帰ってきた。
「向こうも気づいています。……あの龍は自分たちが対応する、と言ってきています」
「了解した、と伝えて頂戴」
オーブリーが頷いてその信号を向こうに伝えようとしたとき、龍の口から光が溢れだした。一瞬後ろの退魔師たちのざわめきが起こった。龍の口から光の球がその直下、街に向けて放たれた。危険を感じたリーゼ反射的に体をかばった。
夜の闇に光が弾け、衝撃音が轟いた。衝撃音のあと、リーゼは目を開いてみたが、何が起きたのかは分からなかった。しかし、あの龍が街を攻撃したというのは理解できた。街がどうなったのかとリーゼは心配になった。それは周りの退魔師たちも同様だった。自分たちも街に戻るべきではないかとフローリスやオーブリーに訴える者もいた。
フローリスとオーブリーは短く言葉を交わし、頷きあった。
「あれの対応には、すでにブラト達の組が向かっている。あの龍や街の様子は確かに気になるが、いつもの悪魔を無視することもできない。私たちはブラトたちが処理し損ねたものも含めていつもの悪魔への対処を行う。……なにか異論は?」
オーブリーがそう言いきったとき、街の方でまた衝撃音がした。皆そちらを一度振り向いた。しかしそれから龍に動きは見られなかった。
「……何かあるか?」
オーブリーの再度の問いに対して、何か言いたげな顔をしていた退魔師もいたがそれを直接声に出して言う退魔師はいなかった。
かくしてリーゼたちは町の上で虎視眈々と狙いながら悠々と飛ぶ龍を横目に周囲の悪魔退治を再開した。あの龍の登場で騒いでいるうちに移動した悪魔の位置を、リーゼが再度退魔師たちに伝えていたとき、攻撃魔術と思しきいくつかの光束が龍を攻撃するのが見えた。龍も同じく地上に向けて反撃し、そのたびに衝撃音が響いた。
衝撃音が響く中町を取り巻く悪魔を倒している時、リーゼは手持ち無沙汰になると何度も龍の方を見やった。いつ振り返ってみてもその龍は退魔師たちの攻撃をものともせず町を見下ろしていた。そして時折町に光球を降らせていた。時折強力な攻撃――おそらくはカノンのものだろうとリーゼは思った――が龍に向けられるのだが、龍はそれに光球をぶつけて迎撃していた。
「リーゼ、気になるのはわかるが、とりあえず今は残りの悪魔の位置を教えてくれ」
「すいません」
そうリーゼがよそ見を咎められて謝り、龍に背を向けて悪魔の捜索を再開しようとしたとき、後ろで閃光が瞬いた。何事かと振り返ると、龍が苦しげに叫んでいた。なんらかの有効打を与えられたのだろうか、とリーゼは少しの間注視した。オーブリーに再度、リーゼ、と呼ばれ、リーゼは自分の役目に戻った。
龍が激昂して雄叫びを上げるのが聞こえた。それに合わせて地上からの攻撃も激しくなったようだ。早くこちらを終わらせなければ、とリーゼは早口に悪魔の位置をオーブリーに伝えた。
ようやく悪魔の脅威を退けて町に戻ってきたリーゼたちが見たのは、瓦礫で溢れた通りであった。フローリスを先頭にリーゼたちはブラト達が戦っているであろう町の中心部へと急いだ。逃げ惑う人々とすれ違いつつ、瓦礫が散乱する通りを急ぎつつ頭上を見あげると、たまたま龍が首をこちらにもたげているところで、リーゼはそれと目を合わせてしまった。龍は鋭い牙のならんだ口を開け、そこから光球がリーゼたち退魔師の列に放たれた。
「避けろ!」
誰が叫んだか、それを理解する余裕もなく反射的に皆その光球を回避しようとした。リーゼの背後で光球が地面に衝突すると同時に、リーゼは爆風で地面を転がった。口の中に土の味を感じながらリーゼは再び立ち上がり、その龍を確認上空に確認しながら後ずさりした。退魔師の一人が龍を見あげて叫んだ。
「町をこんなにして、どうしようっていうんだ」
「廃墟にして、悪魔の住処にするって聞いたことがあるよ」
別の誰かが答える横でリーゼは空を舞う龍をじっと見ていた。かの龍は攻撃の結果に満足したのか、新たな目標を求めて首を左右に動かしていた。龍が再びリーゼたちがいるのを確認すると、龍はもう一度攻撃を加えようとした。
そこに細い光束が地上からざっと十数本ほど龍に飛んできた。それらは確かにその龍に命中したが、龍に対しての有効打とはならなかった。龍は余裕を示すように咆哮した。
しかしその余裕は長く続かなかった。龍の死角から飛んできた十分な太さを持った光の槍が龍の翼を貫通した。
龍は上空で体をじたばたさせて苦しんだのち、そのまま地上に落下してきた。下にいた退魔師たちは慌てて退避した。龍が墜落した衝撃で、リーゼは再度吹き飛ばされそうになった。辺りにうっすらと積もっていた雪は完全に吹き飛んでいた。
地上でのたうち回る龍を身構えつつ観察しているフローリスが呟いた。
「ブラト達だね。……最後のあれは――」
カノンだろうな、とリーゼは自分で納得して頷いた。
龍はリーゼの反対側に向かって威嚇をした。良く見えないが、おそらく向こう側にはブラトたちがいるのだろう。龍は大きく翼を広げた。先の攻撃によるものだろうか、向かって左の翼が大きく欠損していた。その他にも、脚や胴体が傷ついているようにも見えた。
「攻撃開始。近づかずに魔術で狙え!」
フローリスの命令にしたがい、退魔師たちは魔術で攻撃を始めた。それに倣いリーゼも魔力射撃を行った。しかし、その魔術で放たれた魔力の光束は、龍の懐まで吸いこまれるものの、まったく手ごたえが無かった。目を凝らして見ると、龍は魔力の衣をまとっており、それが攻撃を吸収していた。
龍が再度光球を口から放った。辺りに衝撃音と悲鳴が聞こえた。観察する意味も込めて遠目にいたリーゼには大した影響はなかったが、何人かが吹き飛ばされているのが見えた
「正面から戦うのは危険だぞ。それに攻撃が効いていない。一旦下がろう」
オーブリーの言にフローリスは頷いた。
「そうだね。あの龍は手負いだ。これ以上ひどい暴れ方をされることもないでしょう。隠れながらゆっくり仕留めればいい」
フローリスがそう言い切った時、二人の前にいた退魔師が青ざめた顔をして彼女らの方を振り向いた。
「あの……」
「いったいどうした?」
「翼が……治ってます」
そちらを見ると、確かに先ほど大部分を欠損していた翼がある程度形を取り戻していたのだ。
「……冗談だろう?」
オーブリーが一言そう言った他は、誰も言葉を発しなかった。
龍は正面にいるリーゼたち退魔師を睨み付けた。リーゼは龍に正面から睨み付けられ自分の膝が震えていることに気が付いた。何事かとリーゼたちが身構えていると、突風が体を突き飛ばそうとしてきた。踏ん張って凌いだところ、すでに元の位置に龍はいなかった。一瞬のちに、リーゼは後ろを振り返った。龍が町の建物の間を低く飛んで、街の外の方へ飛んでいくのが見えた。前後を退魔師たちに挟まれて不利だと悟ったのだろうか、しばし呆然と眺めていると、その龍は山の方へ逃げ帰っていった。




