第1章 #11
・かなり遅くなりました。申し訳ありません。
次の日の明け方になってリーゼが目を覚ますと、結構気分がいいような気がした。しかしベッドから起き上がる体が重く感じられ、回復したのかどうかよく分からなかった。寝起きのせいかもしれないし、直っていなせいかもしれない。そう思いつつリーゼはもう一度体をベッドに倒した。
外はまだ暗く、誰か起きている気配もない。目が覚めてから少し時間が過ぎると、再び眠気がやってきた。目を開けながら半分寝ている状態を保っていると、暗い中廊下を歩いてくる足音がした。
その足音が立ち止ったのはリーゼたちの部屋の前だった。足音の主は部屋の扉をたたいた。今のリーゼの体調では未明の来室者を歓迎する気には到底ならなかった。朝早い来訪者は好きではなかった。
リーゼたちの部屋には、カノンによって魔術のロックがかかっている。その鍵を持っている、いや鍵となる魔術を知っているのはリーゼとカノンだけだ。それを解除しない限り、外にいる何の某は入ることができない。しかしカノン曰く、その気になれば無理やり解除できるらしい。
外の来訪者は扉を叩く音を大きくした。隣のカノンは起きる様子もなく、寝息だけを気持ちよさそうに立てている。もう一度扉を叩く音がした。リーゼは仕方なく壁に寄りかかりながら扉へ向かった。
「どちら様?」
リーゼはぎりぎり扉の外に聞こえる声で言った。もっとも起き上がったばかりなのと体がだるいので声などあまり出ないのだが。
「アーベルです。……今から来てもらえませんか?」
「カノンもですか?」
「いいえ、リーゼ・ジオニア、あなただけに用があるのです」
こんな朝早くに、一瞬彼を訝しんだが、彼にそんな下心はないだろうと首を振って、カノンに教えられた魔術で、ロックのかかった扉を開けた。アーベルが手に持っていたろうそくの火が、暗い廊下のごく狭い範囲を照らし出していた。
「朝早くから済まないね、体の調子はどうかな?」
「おかげさまで、だいぶ良くなりました」
リーゼがそう答えると、ああ、とアーベルはため息をついて天を仰いだ。
「それは本当かい? ……いや、君が仮病をしていると疑っているわけではないんだ。なにぶん私にも事情があってね……、これからその話をしようとおもったのだけれど……、まあ、私の部屋で話すことにするよ。あ、もしかして歩けないほど体が悪いですかな?」
リーゼは首を横に振った。「大丈夫です。そのくらいは」
かくしてリーゼはアーベルに連れられて彼の私室へ向かった。
部屋に入ると、彼はリーゼにお茶を出した。
「一応、風邪に効くらしいから、」といってリーゼに勧めた。リーゼがそれを半分ほど飲んだのを見計らうと、アーベルは彼の話を始めた。
「実は、あの彼のことなんだ。アルザスというのだったかな……。そう、その彼なんだ。彼は悪魔として討伐されることになった。僕たちが差し向けられることになったんだ。そこで……僕はクラウス大司教から一つだけ命令を受けた。この館の退魔師にじゃない。僕個人に向けて、なんだ。その命令を聞いて驚いたよ。何せ、『君のところのリーゼと、二人で、秘密のうちに彼に接近しろ』と言うのだから。そして『リーゼに、例のものを回収させなさい』というのです。『例のもの』は、リーゼ、あなたが知っているから、とね」
リーゼがその話を理解したところによると、クラウスにはリーゼにこっそり〈銀の心臓〉を回収させたいという思惑があるようだ。
彼は確か、〈銀の心臓〉については何も知らない様なことを言っていた。でも実は重要なことだからあえて黙っていて、知らないふりをしていたのだろうか。それとも後で何かわかったのかもしれない。
「しかし、今あなたの調子は思わしくなかった。体が弱っていると悪魔に襲われやすいですから、どうしようかと思いまして……。せめて体の調子が戻っていれば、と思ったんだけどね」
アーベルが天を仰ぐ前でリーゼは俯きつつも口を開いた。
「いいえ、大丈夫です。さっきも申しあげましたが、もう大分よくなりました」
「そうか、それはよかった。しかし……」
リーゼはやはり止めようと何か言おうとしたアーベルを遮って続けた。
「後から拾いに行くだけみたいですから」
アーベルは俯いて腕を組みしばし考え込んだ。
「ううむ、やはり危ないね。大丈夫とは言っても、体の弱った状態では悪魔への抵抗力も下がる。……時にリーゼ、〈例のもの〉とはそんなに重要なものなのか?」
リーゼはその質問に例のごとく「わかりません」と答えるしかなかった。
「自分でもあれが何なのかは分からないんです」
「あの人があそこまでおっしゃるのだから、よほど大事なものだとは思う。しかしあなたに持ち帰らせろとはどういうつもりなのか……。あなた以外が持ち帰ってもいいと思うか?」
「私は、言われた通りにするべきだと思います」
リーゼの真剣な眼差しを見たアーベルは両手を軽く上げて降参を示した。
「わかった、わかった。ジオニアさんはどうしても行くというのだね。まだ時間はあるから、少しでも体を休めてくれ。ここで休んでいても構わない。こんな朝早くにすまなかったね」
リーゼは一礼するとアーベルの部屋から出た。
重い体を何とか部屋へ辿りつかせると、リーゼは体をほぼ重力に任せベッドに倒れこんだ。「大丈夫?」という声がした。目を覚ましたらしいカノンが気にかけてきたのだ。
リーゼは「大丈夫、」と頷いて再度起き上がった。「いま、アーベル司教と話をしてきた」
「こんな朝早くに? いったいどんな話だったの?」
リーゼはアーベルから聞いた話をだいたいその通りにカノンに伝えた。
「その、アーベルさんの言う〈例のもの〉、って、リーゼの体の中にあった、きらきら光っていたあれのこと?」
リーゼが、たぶん、と頷くと、「実はね、あれのことは秘密にしろ、って大司教に言われたのよね。……ひょっとして、とんでもない物なのかもね、あれ……」
リーゼは苦笑いを浮かべておくくらいしかできなかった。
そして定刻になりアーベルに呼び出されると、リーゼは黒いフード付きのコートを羽織って外に出た。念のため、決まりみたいなものだから、と言ってアーベルはリーゼに剣を一振り持たせた。
リーゼたちは討伐隊とほぼ同時の出発となった。討伐隊の規模は10人ほどで、隊列にはそれにリーゼとアーベルが加わる。その中にはカノンも加わっていた。朝彼女は何も言っていなかったので、リーゼは少し驚かされた。おそらくカノンも今朝初めて自分が出ると命じられたのだろう。
討伐隊は、冬の朝の寒空の下静かに町の中を進んでいた。討伐隊の頭であるブラトが先頭に、リーゼとアーベルは討伐隊の列のほぼ中央に紛れていた。道沿いの窓には、こちらの方を窺っている顔がいくつも張り付いていた。
「こう見られていると、なんだか落ち着かないね」
リーゼの隣に位置を変えて歩いていたカノンは、窓からの目線とかち合わないように上目づかいであたりを見回していた。
「気になるの?」
「少しね」
ほとんど上の空でカノンが返事をしているようにリーゼは感じられた。彼女は人見知りではあるのだが、落ち着かないのは視線のせいだけではないだろう。おそらくは、いきなりこんな重要な作戦に参加することになったせいで緊張しているのだろう。
「気にすることはないよ。……ともかく、早く終わらせて帰ろう」
リーゼがそう言うとカノンは頷いた。確かに彼、アルザスは手ごわい敵だが、この数を率いてゆくのだから早々と決着するだろうとリーゼは思った。問題なのは彼がまだ〈銀の心臓〉を他人に渡さず持っているかどうかだ。もし他人の手に〈銀の心臓〉が渡っていたら、リーゼはまたそれを回収しにそこへ赴くことになるだろう。それは避けねばならないことだった。
リーゼたちが以前来たぼろ屋敷――はっきり言えば廃墟――の前に討伐隊はたどり着いた。荒れようは以前と全く変わってはいないようだが、雰囲気が違って見えるのは朝の日差しの下だからだろうか。アルザスはここに潜んでいるというのが捜索隊の報告だった。
「ああ、気味の悪い魔力を感じますね。嫌な空気も流れている。……間違いなくここでしょう」
アーベルはあたりを見回し杖で枯草を払いながら確認した。
ブラトたち討伐隊の中心メンバーは、予定通り突入するかどうかの作戦会議を始めた。そこでリーゼたちが以前道を狂わされた悪魔の話が出てきたのが聞こえた。また中の空間が滅茶苦茶になっているのではないかという議論だったようだが、結局その可能性は否定して作戦を決行することとなった。
「これより、目標の捜索を行う」
ブラトの野太い声で号令が掛ると、随伴の討伐隊は整列して屋敷の中に入る態勢を整えた。
「作戦は予定通りだ。各自指定された通りに捜索。迷ったら一階の入り口に戻れ。カノンはここで目標が逃げ出さないか見張っていろ」
「は、はい」
カノンが一歩後ずさりすると、ブラトは廃墟正面の扉の前に立ち後続に付いてくるよう促した。討伐隊全員の準備が整ったのを確かめ、ブラトはおもむろに扉を開けた。扉は軋んだ音を立て、完全に両の扉が開かれた。
ブラトが中に入ると、それに続いてぞろぞろとカノンを除く討伐隊メンバーが入っていった。リーゼが茫然と見ている間に最後の一人まで薄暗い屋敷の中へ入った。
自分の仕事は、彼らがアルザスを見つけ彼ごと討たれてからだ。そうリーゼが頭の中で確認をしていたとき、その底の方で低くだが扉が動くような音がしていた。そして突如激しく何かを叩きつけたような音がリーゼの耳に飛び込んできた。驚いて顔を上げるとまさしく屋敷正面の扉が閉じられたところであった。
リーゼは一瞬中に入ったブラトたちが扉を閉めたのかとも思ったが、左右から一体ずつ人の大きさほどの
黒い影、悪魔が現れたのである。
「し、司教、あそこに……!」
反対側にいる悪魔にはカノンも気づいたようで、アーベルは彼女が指さした方を見つつ悪魔探知の魔術を発動した。間違いなく彼の魔術も悪魔を見つけたらしく、アーベルは眉をひそめて杖を構えた。
「日が出ているのに、なぜここにいるのだ!? ……いや、上位の悪魔なら、可能か」
「こちらにもいます」
リーゼの声に反応し、カノンとアーベルはもう一体の悪魔を確認した。
「罠だった……?」
カノンがそう呟くのを尻目にアーベルは魔法陣を展開、そこから左側の悪魔に向け高速の光の玉を放った。しかしそれは悪魔の手前で弾かれ、光の線となって周囲に拡散した。おそらくはバリアーのようなものでも張っているのだろう。
「討伐隊! 作戦中断です、こちらに戻れ!」
アーベルが声をあたりに響かせるが、討伐隊が入っていった屋敷正面の扉はぴたりと閉じられたままであった。リーゼたちと討伐隊は分断させられてしまったのである。
リーゼたちの左右にいる悪魔は徐々に距離を詰めてきていた。まだ逃げることはできそうだったが、それでは中の討伐隊を見捨てることと同義だ。
「あなたたちは逃げるべきです」
そんなアーベルの声が如何にすべきか迷っていたリーゼの耳に入ってきた。
「あれは、危険です」
しかし、とリーゼが反論しようとした瞬間、両側にいた二体の悪魔が同時に飛びかかってきた。すかさずアーベルが魔術によるバリアーを展開した。悪魔の体がそれに接触すると、破裂音がするのと共に閃光が迸り、元の位置へと弾き飛ばした。
悪魔たちが態勢を崩している間に三人は廃墟の方に後退した。間髪入れずアーベルは再度魔術で攻撃。しかし今度も容易く悪魔に防御されてしまった。
「まだあの二体の間を抜けて逃げることはできるはず。今なら……」
「……わたしは」
アーベルの言を遮ったのは彼とリーゼの真ん中で縮こまっていたカノンだった。
「……わたしが、やります」
「無茶をしてはいけません。……能力を疑うつもりはありませんが、経験は浅い。そして今回の相手、油断すれば一瞬で喰われてしまう」
カノンが躊躇っている間に、リーゼの手が左に差した剣に伸びていた。カノンが「やる」と言うならば、自分もまた、と思ったのかもしれない。構え方も知らない剣をとったのは魔術ではカノンに敵わないと分かっていたからだろうか。
「大丈夫、できます」
「……もう一度弾くなりして、私が隙を作ります」
カノンとアーベルが軽い打ち合わせを終えると、二人はそれぞれ構えた。リーゼは自分が二人の流れにおいて枯れていること、そしてそれが自分に足らぬものがあるせいだということに唇を噛みつつ静かに剣を抜いた。悪魔たちも、鋭い爪と翼をもつ、人より怪物に近い形態へと体を変化させた。そして再度リーゼたちに向かって突撃してきた。
アーベルは杖を横に振り再びバリアーを展開。先程より激しい衝突音と閃光が辺りを一瞬支配した。悪魔たちは二秒ほど弾かれずに持ちこたえていたが、アーベルがさらに力を込めたのか、弾き飛ばされて地面に転がった。
続いてカノンが動いた。左右の手を悪魔のいる方向へ重ねると、その手から魔法陣が展開された。カノンの攻撃魔術が発動する一刹那前に、リーゼはカノンの腕の中を走る魔力が見えたような気がした。左右それぞれの魔法陣の中心から青みがかった光が放たれた。周囲につんざくような雷光の音を響かせ直進したそれは、左の悪魔の胴体を貫通し、右の悪魔の腕一本を蒸発させた。カノンは、あっ、というような顔をした。胴体を貫かれた悪魔は灰のようになり風に流され消失したが、体が残った方は、態勢を立て直すと叫び声をあげ、カノンに猛然と迫った。
リーゼはカノンの前に飛び出し、飛び込んでくる悪魔に対して力任せに剣を振った。しかしその攻撃はひどくあっさりと残った悪魔の腕で弾かた。リーゼの手にその衝撃が走った一瞬あと、リーゼの体の側方から強い衝撃を受け、飛ばされたリーゼは地面に転がった。
今度はリーゼに狙いを定めたその悪魔は、リーゼに向けて鋭い爪を向け、刺し貫こうとしていた。反射的にリーゼは目をつむった。
しかし、その一瞬あとに聞こえてきたのはリーゼの皮膚が裂ける音でも、リーゼが悪魔に侵食される音でもなく、悪魔の悲鳴であった。カノンによる再度の魔術攻撃で悪魔は頭を貫かれていた。さらにもう一度とカノンは魔術射撃をし、体を吹き飛ばした。それで悪魔は完全に崩壊し、弾け飛んだ。悪魔の破片がいくらかリーゼの体に張り付いたが、それらは何をすることもなく水が蒸発するようにしてすぐに消えてしまった。
「ああ、リーゼ、大丈夫!?」
「うん、大丈夫……」
カノンが差し出した手を取りリーゼは立ち上がると、リーゼは服に着いた枯草や土を手で払い落した。
「まったく、危ないですからあんな無茶は止めてほしいですね」
アーベルは苦い顔でそう言ってリーゼをたしなめただけだった。
「すいません」
「わたしが最初で当てておけば良かったんです」
カノンとリーゼはともに俯いて、しかしほっとして肩の力を抜いていた。
しかしリーゼははっとして「中は!?」と声に出し、屋敷の扉の方へ顔を向けた。おそらく中に入ったブラトたちも、リーゼたちの戦ったした悪魔とは限らないが、なんらかの異変と遭遇しているかもしれなかった。
リーゼたち三人が、中へ入って様子を確認する前段階として扉の方に顔を向けると、突然その扉がゆっくりと開いた。リーゼたちは身構えた。そして中から出てきたのは黒い薄汚れた外套を身にまとったアルザスであった。




