第1章 #9
その日、リーゼとカノンはあらかじめ出現している悪魔の数を調べるために夕暮れ後すぐに館を出た。
それぞれに護衛役が一人。しばらくして町の外に出ると、あたりの悪魔の概数を数え、それを教会の方に伝える。伝える方法は、大きな光量を発生させる魔術を用い、それの明滅のパターンで数字を示す。
この伝達の補助を兼ねるのが、リーゼについてきた護衛役だ。二人で魔力を使い、眼前で眩い光の魔術を持続時間の長短にわけて発動させる。同じパターンを、二回――確実に伝えるためであるが、それを終える頃にはリーゼの目が光に慣れきって、ほとんど辺りが見えないくらいになってしまった。
すると今度は町を挟んでリーゼの反対側で光の明滅が起こった――そう、それはここからでも激しく明滅して見えた。
「すごい魔力量だね、カノンちゃんかな?」
カノンの魔力量が桁外れだ、という話は、周りから聞いていたし、彼女自身からもそれらしいことを聞いていた。だが、そのカノン自身の魔術をほとんど見たことがなかったので、今になってようやく実感が湧いてきた。リーゼたちが送った光は、どこか色が混ざったような感じであったが、向こうからやってくる光はほとんど混じり気が無い。カノンが一人だけでやっているのだろうか。それともカノンの護衛役の光が弱いのだろうか。どちらにしても、カノンの魔術量は極めて豊富なのだろう――リーゼは魔術素人な見地でそう思った。
結果、リーゼの側には約二十体、カノン側には三十弱。この結果をもとにして退魔師の配置が決まる。そして討伐要員の対魔師がそろうと、人員を展開してあたりの悪魔を掃討する――リーゼがこの様子を見るのは二回目だが、いつも通り滞りなく行われているようだった。そして全てが終わると、もう危険な悪魔がいないのを確認して館に戻った。
「あれは流量の問題よ」
リーゼの後から館に戻ってきたカノンに、信号に使った魔術量の話をすると、そんな返答が帰ってきた。
「流量?」
「うーん、一度に使える量?難しい本だと、単位時間に消費できる魔力量、って書いてあった気がする。……まあ、もともとの魔力が少ないとすぐに使い切るから、魔力量が多いから、っていうのは間違ってないかもしれないわ」
やはり夜遅いためか、カノンの目が少し眠たそうにしていた。
「あれがカノンの使える最大の量か?」
「……いいえ、そんな事はないわ。……ごめんなさい、もう寝る支度をするわ。なんだか今日はとても眠いの」
「ああ、すまない」
それからカノンはベッドに入ると、すぐに眠りについた。それまでの間リーゼは部屋の明かりをただぼんやりと見ていた。はっとしてリーゼはカノンが眠っていることに気がついた。
どうやら自分も眠いようだ。
灯りを静かに吹き消すとそのままカノン同様すぐに眠りについてしまった。
しばらくすると、人の動く気配を感じ取って目を覚ました。暗くてよくはわからないが、間違いなくカノンだろう。
「……どうかしたのか?」
リーゼが暗闇の中に問いかけると、カノンが答えた。
「……ううんと、少し、……ごめんね、起こしちゃったかな?」
「いや、大丈夫……。……それで、どうしたのだ。 眠れないのか?」
カノンからは何も返ってこなかった。暗くて表情も分からなかった。それから少し間をおいて、カノンの声が暗闇の中から聞こえてきた。
「少し、不安になったの。……たまに、こう、何でもないのに寂しくなったり――ううん、何でもない、は間違いかな。色々考えちゃって――不安になったりするの。――リーゼにもそういう時、ない?」
あるよ、とだけリーゼは言った。カノンの言葉がリーゼの中の心細さをも引っ張り出してきた。
いつまでも自分はここにいるわけではない。自分は流されるままここに来ただけだ。ここを出て行かなくてはならなくなった時、自分が頼れる人間はいないのだ。妹はあの王宮の中。あの侍従は行方も知らない。
――そうだ、ミスラは、その軍は私を追っているであろう。――そしてその一つとして自分は何とかできるだろうか――?
そこに出てきたのは、孤独な生への、そして生そのものの可否の不安だった。
「何だか、私も余計なことを考えてしまった」
リーゼがそう呟くと、暗闇の向こうでカノンが動く音がした。その音はリーゼのベッドの傍までやってきた。リーゼはベッドから体を起こしたが、やはりカノンの顔はあまり見えない。魔術で明かりを灯せばいいだろうに、と思った。
カノンはリーゼの傍、ベッドの上に座った。
「リーゼが来てくれて、よかった。……こんなときに一人だと、とても寂しい……」
「カノン?」
リーゼはベッドの上から体を動かし、カノンの隣に座った。同時にカノンの顔がリーゼの胸に収まった。思わずそれを腕で抱え込んだ。
「泣いているのか?」
明るかったら、カノンのかたが震えているのがはっきり見えただろう。今はその振動が感じられるだけだった。その震えを感じるうちに、リーゼも自分の弱さを吐き出してもいいような気がしてきた。自分だけが弱いわけではない、と感じたからかもしれない。
喉元から一瞬溢れかけたものは堪えたが、両の目からは一滴づつ涙を落としてしまった。
翌朝になると、カノンは何でもなかったかのように朝支度を始めた。昨夜のことを聞くと、「だから、時々なのよね。あんな風になるのは。発作みたいなものよ……まったく、何で泣きついたりしたのかしら」とカノンは言った。カノンはすっかり本調子になっていた。
しかしリーゼはといえば、昨日呼び起こされた感情が拭いきれず、気分が晴れないままであった。おかげで朝から何にも身が入らなかった。
午後に図書室で勉強している時には、カノンに「暗いね。どうかしたの?」と言われてしまった。リーゼは開いた本に目線を落としながら返事をした。それでカノンの目には、相当に暗い様子に見えたようだ。
その日の夜ベッドに入る直前になっても、リーゼの気分が上向くことは無かった。
「本当に大丈夫?」
カノンは本気で心配しているようで、しきりにリーゼの顔を覗き込んでいた。少しばかりいたたまれなくなったリーゼは、カノンに「外を歩いてくる」と言った。
「寒いから長居はしないでね」とカノンは送り出した。
カノンの言ったとおり、外に出た途端冷たく乾いた風がリーゼの頬を刺した。雪は積もっていない。この辺りはもともと雪が降ることが少ないのだ。
リーゼはとりあえず教会の敷地を一周することにした。いつも見ている聖堂の主塔は、月の光を受けたそれは昼間の輝きを失い、怪しく見えた。
リーゼはその主塔に導かれるように聖堂に向かって歩いた。無用心なことに、聖堂の入り口の鍵は開いていた。こっそりとその中に入って、最後列の一番端に座った。
ふと、王宮にいた時にアーデルハイトと一緒に新王室礼拝堂で祈ったことを思い出した。
お祈りの後、リーゼ達は次の予定まで少しだけ時間が空く。その頃はちょうどリーゼへの嫌がらせがはっきりとしてきた時期だったから、リーゼはその時間を人に会わないようたいてい礼拝堂に残って過ごしていた。
「姉様は毎日そうしていますね」
その様子を見ていて気にかけたアーデルハイトはリーゼの隣に座った。
「今日は天気がいいですよ。姉様も少し外を歩きませんか?」
「いや、遠慮する」
リーゼは首を小さく横に振った。
「中にばかりいると体にも、心にもよくないそうですよ?」
リーゼが嫌がらせで気が滅入っていることを気にかけているようだった。アーデルハイトは膝の上で重ねられていたリーゼの手を取って握り締めた。
「私は姉様の味方ですからね」
その声はリーゼを救われた気分にした。それからしばらくの間、リーゼの半分くらいはアーデルハイトによって支えられていた。
こうしてみると、アーデルハイトにはあれこれしてもらってばかりだ。そのうち、どうにかしてお礼をしなければ、というところに考えが至ったところで、リーゼは聖堂を後にすることにした。
「待て」
低い声が暗い聖堂の中に響き、後ろからリーゼの足を止めた。その男はこれまで景色の中に当たり前に存在していて、それが突然浮き上がって現れたように思えた。
「思い出に浸る時間は十分だったか?」
「アルザス……どうして、ここに?」
アルザスはリーゼに近付きながら話した。リーゼには彼が話すのが異様に遅く感じられた。
「決まっている。“銀の心臓”だ。それ以上は欲しない……それとも私がどうして貴女の場所を知りえたのかを聞いているのか?……そうだな、こちらの方角だというのは見ていたが、思ったより調べるのは手間がかかったな」
リーゼは逃げようと聖堂正面の扉を開けようとしたが、まるで取っ手だけの壁になったようにぴくりともしなかった。
「素直に逃がすわけがないだろう?」
リーゼは扉から出るのを諦めて側廊から側塔へと逃げた。階段を上りきると、当然そこは側塔のてっぺんであり、行き止まりだった。
「逃げる必要はない……。貴女の命をもらうわけではないのだから。貴女は少しの間じっとしていればいい……。少し時間がかかるがな……」
リーゼの足元に魔法陣が出現し、その外縁から光が立ち上りリーゼを中に閉じ込めた。
「まずは邪魔な護法を取り除く」
その言葉と同時に、以前と同じ呪詛がリーゼの体表に現れ、今度はそれがリーゼの体を少し離れた。
リーゼが陣の外に出ようともがいているいる間に、アルザスの魔方陣はその呪詛の解析を終了し、解除の段階へと移行した。
「やはり時間がかかる……か。いや、構わない」
彼は誰かと会話しているような話し方をした。リーゼが彼のほうを見ると、彼の後ろに控える大きな影から黒い腕がリーゼの方に伸ばされていた。おそらくアルザスが契約した悪魔だ。アルザスが話していたのも彼だろう。
悪魔の腕がリーゼを閉じ込めている光の壁をすり抜け、護法の呪詛に触れた。悪魔の手が触れた先の呪詛から悪魔に蝕まれて、溶けていった。これには結構な時間がかかった気がした。
リーゼが気がつくと、呪詛はすべて溶け落ちていた。
「よし、大丈夫だ」
アルザスの体もまた光の壁を無視して陣の中に入った。リーゼの胸の中央に、光の満ちた穴――リーゼの中にある「銀の心臓」の在り処と繋がる入り口――が開いた。アルザスがそこに手を入れると、リーゼは全身を押しつぶされるような苦しみに襲われた。リーゼはアルザスの腕を掴んで引き戻そうとしたが、腕に力が入らない。体が宙に浮き、手足を無様にばたつかせる結果となった。
「見つけた」
アルザスがそう言うと同時に、外から握りつぶされるな、あるいは中から引き裂かれるような激痛が襲い、リーゼは一瞬失神した。アルザスがリーゼの中であの“銀の心臓”を握り締めたのだろう。
「リーゼ!?」
側塔を上ってきたカノンがアルザスとリーゼを見つけたのは、アルザスがそのままリーゼの体から「銀の心臓」を取り出そうとした時だった。
アルザスはリーゼの中にある「銀の心臓」を掴んだまま突然現れたカノンを凝視した。
「なに……してるの、リーゼを、放して」
カノンは声を震わせてそう言った。アルザスはリーゼから「銀の心臓」を引き抜いてそれに応えた。アルザスが腕を引き抜くとリーゼはその場にばったりと倒れてしまった。
ついにリーゼにその姿を見せた「銀の心臓」は少し小さかった。見た目は八面体の結晶で、アルザスの手のひらで宙に浮いて淡い光を放っていた。
アルザスはそれを握り締め、カノンの横を無理やり通って側塔の階段を下りて行った。
アルザスがいなくなるとすぐにカノンが駆け寄ってきた。
「大丈夫? 今あの人……」
「いや、大丈夫……」
カノンはアルザスが腕を突っ込んでいたあたりを覗き込んでいたが、そこに体の傷は見当たらなかった。
「とりあえず、戻ろう……。本当に大丈夫?」
リーゼは頷いてカノンの手を貸してもらい立ち上がった。
その時聖堂の中から大きな音がした。二人が聖堂まで下りてみると、クラウスが中央に佇んでいた。聖堂の正面の扉は片側だけが中途半端に開いていて、外の風が音もなく入って来ていた。
「彼ですね?」
クラウスはリーゼに確認を求めた。リーゼは頷いた。
「逃がしました。……ですがもう彼もそう遠くには逃げられないはずです。ああ、私は大丈夫です。君たちの気にすることではないよ……。君たちはもう戻って休みなさい……」
どうやらここでアルザスとクラウスは一発ずつ魔術を撃ち合ったらしい。その結果相打ちになったようだ。
リーゼとカノンは静まり返った廊下で音を立てないようにしながら部屋に戻った。それまでは二人とも口を開けなかった。
「あの人は誰なの?」
部屋に戻ってカノンの口からようやく出てきた言葉がそれだった。
「前は司教だった。でも悪魔のほうに堕ちたんだ」
「リーゼの中から出てきた、あれは何なの?」
「知らない」
「なんであの人はあんなものを狙ってきたの?」
「分からない」
「どうしてリーゼの中にあったの?」
「私も知りたい」
そこで会話は一度途絶えたが、今度はリーゼがカノンに聞き返した。
「どうしてあんなところに来たんだ?」
「帰ってくるのが遅いから、探しに行ったのよ。……それで、たまたま」
「たまたま?」
「なんとなく、こっちにいるのかな、って気がしたの。……とりあえず、無事でよかった……」
カノンはその言葉を最後に眠りについてしまった。リーゼは自分の体のあちこちを触ってみたり、体を色々動かしてみたりしたが、「銀の心臓」を奪われた影響は見受けられなかった。
つまるところ自分はただのう動く宝箱だったのだろうか? もしそうだとして、どうして自分だったのだろうか? そしてどうして自分には秘密だったのか――。考えても、分かるはずもなかった。




