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第1章 #7

・カノンの魔術について具体的な言及がなかったので追加した次第です


 今日の午後は、珍しく暇になった。教会の敷地を歩きながら、何をしようか、とリーゼは迷った。いつもの通り図書室でゆっくり本を読もうか考えていると、後ろからカノンが走って追い付いてきた。

「ねぇ、これから暇でかな? 少し外にいかない? 珍しく天気もいいし、少し暖かい気がするわ」

 そういえば、お使い以外でまともに町の方に出たことはなかったな、とリーゼは思い返した。教会にやってきた町の人とは何度も顔をあわせたが、自分の正体に気づいているものはいないようであったし、多少町を歩いても大丈夫だろう、と考えた。

「うん、そうしようか」とリーゼは頷いた。

 リーゼがすぐに室内に戻る予定だったのと、カノンが出てきたばかりだったということで、二人とも一度部屋にコートを取りにいかなければならなかった。それから二人は、東側の橋を渡って町へ出ることに決めた。橋を渡る途中、カノンは立ち止まって欄干に寄りかかり、川の中を覗き込んだ。そこに何かいるというわけでもなく、ただ深そうな川を覗き込んでいた。見えるのはなだらかな川の微妙なうねりだけだ。

「どうかした?」

「ううん、なんでもない」そういうとカノンはリーゼの下に戻って、「行こう、」と、再び歩きだすよう促した。


 カノンは何か興味を引くものを見つけると、リーゼにそれを指し示して振り回した。リーゼは別に興味のあるものが無かったので本当に振り回されただけだったが、カノンはむしろそれを楽しんでいるようだった。

 そのようにして町を歩いていると声を掛けられることはほとんどなかったのだが、靴屋の夫人であるカミラがカノンとリーゼを見るなり自分のところで呼び止めた。

「あら、カノンちゃん、久しく見かけなかったわね」

「寒いんだもの……。あまり外に出たくはないんです」

 カミラは見慣れないリーゼの方に目を移した。「あなたは?」

 リーゼは名前とか、教会にいることとかを説明して簡単に自己紹介をした。

「ふうん、リーゼさんね、よろしく」

 彼女、カミラに限った話ではないがカノンはやたら子ども扱いされている、とリーゼは思った。そしてカノン自身はそれをあまり気にしていない、というよりも、それでいいと思っている節があった。

「そうそう、あなたたち、キーリー達を見なかった?」

 カミラは自分の息子、キーリーの話題を振ってきた。カノンは首を横にふって、見ていない、と答えた。

「どうかしたんですか?」

「いや、朝から遊びに行ってて、昼には戻ってくるって言っていたんだけどまだ帰ってこないのよね……。変なことに巻き込まれていなければいいけど……。探しに行きたいところだけど、店を留守にはできないからね……」

 カミラは心配そうな顔で斜に天を仰いだ。

「どこに行ったんですか?」

「うーん、あのぼろ屋敷じゃないかしら。まったく、あそこへは行っちゃ駄目っていっているのに!」

 ぼろ屋敷、という言葉に相当するものをここに来てから見ただろうか、とリーゼが思案していると、カノンが「見てきましょうか?」とカミラの方をうかがった。

「まあ、ありがとう。……あなたたちも気をつけるのよ」

 それでは、とカノンが小さく頭を下げると、カミラは手を振って二人を送り出した。

「さあ、行こう」

 カノンは無表情でそう言い、リーゼの手を引いて歩き出した。


 カミラの言ったぼろ屋敷というのは、少し町から離れたところにある。なんでも昔は小さな貴族が所有していたものだったらしいが、ある時その貴族がそれを手放して、それ以来ほったらかしにされ荒れ放題になっているという。

「幽霊が出るって噂もあるわ。だから肝試しをする人もいるのよね」

 と言うカノン自身は、そのぼろ屋敷の中に入ったことはないそうだ。「怖かったから?」と聞いてみたが、カノンはやけに曖昧な返答をしただけだった。図星という反応すらもなかったのだ。

 しまいには「そこの角を曲がって」と言われてうやむやにされてしまった。

 それから黙ったまま件のぼろ屋敷への道を歩き続けた。そのぼろ屋敷は町のはずれにある丘の上に建っていた。外側の壁が少々痛んでいるようだが、造り自体はまだしっかりしているようだ。

 しかしかつて庭であっただろうところには雑草が生い茂り、屋敷の入り口までの道がかなり狭くなっていた。冬だから草が枯れていて、これでも通りやすい方だという。ただ枯れた草は屋敷の荒れた状態をいっそう印象付けてもいた。

 倒れた枯草を踏みながらリーゼたちは屋敷に近づいた。近づくと屋敷の荒みようがはっきりとわかってきた。蜘蛛の巣が張り放題な窓からは、倒れて壊れた調度品や家具が見えた。

 玄関に蜘蛛の巣が張ってないのは、例によって子供たちが遊びに来るためだろうか。

 カノンは中に向かってカミラの息子キーリーに呼びかけた。しかし反応はない。

「中に入ってみようか?」

 もしかしたら奥の方にいるのかもしれない、とリーゼは考えた。カノンは頷いて、重い扉の向こうへと入ることを決めた。


 ぼろ屋敷の中に一歩踏み出すと、埃とカビのにおいがリーゼの鼻を突いた。玄関には外から入ってきたであろう泥が落ちている。辺りを見回すと、飾りが施された椅子やそこそこ高価そうなろうそく立てが転がっていた。こういったものが残されているあたり、ほとんど突然に、それこそ荷物を持ち出す暇すらないほどの短いあいだに放棄されたのだろう。

 屋敷の中でカノンはもう一度キーリーに呼びかけた。だが相変わらず何の返事も帰ってこない。

「もう少し奥を探そう」

 といって玄関あたりの部屋を中心に探したものの、誰も見つからなかった。一階西の端にある部屋まで探した時、「もしかして、ここにはいないのかな?」とカノンが首を捻った。

「……二階を探して、誰もいなかったら帰ろうか」

 カノンは頷いた。「うん」

 玄関にある階段から二階へ上がると、一階と同じように廊下が続き、部屋が並んでいた。しかしそこにも人の気配は全くない。ひたすら静寂が支配していた。

 リーゼは首を振って、「やっぱりここにはいない」とカノンに言った。「帰ろうか?」

「あと少しだけ探してみましょう? 隠れているのかもしれないわ」

 それもそうだね、とリーゼは頷き、もう少し屋敷の中をカノンとともに捜すことにした。


 直後、リーゼはあのまま帰らなくてよかった、と冷や汗をかくこととなった。

 カノンが一番最初に扉を開けた、階段に最も近いその部屋に男の子がいたのである。

「あ、カノンさん?」

 カノンは安堵し、その男の子に駆け寄り柔らかい笑みを浮かべて話しかけた。

「キーリー君、お母さんが心配していたわ、帰ろう?」

 どうやら彼が件のキーリーという子のようだった。彼は首を横に振って、まだ帰らない、と言った。

「まだみんな来ていないよ、だから帰れないや」

「じゃあ、みんなを呼びに行きましょうよ。もう十分遊んだでしょう?」

 彼は呆れたように笑って、今来たばかりだよ、と言った。

「でも、とっくにお昼は過ぎたよ」

 カノンがそういうと彼は驚き目を丸くした。

「嘘だ、町からまっすぐここに来て、それからほんの少ししか経っていないんだぞ」

「だってほら、太陽がもうてっぺんを通り過ぎてるよ」

 カノンは窓の外を指さしたが、三人は窓から離れたところにいるので太陽が出ているのは見えない。すかさずキーリーが窓の傍によって太陽の位置を確認した。彼が空を覗こうとすると、窓についていた蜘蛛の巣が彼の頭に張り付いた。彼はそれを手で振り払いつつ太陽がわずかに傾きつつあるのを見たはずだ。窓は南に面しているから、方位を見間違うこともない。

「おかしいなあ……」

「わかったでしょう、だからみんなを呼んで帰ろう?」

「みんな隠れているよ。かくれんぼをしてて、僕が鬼なんだ」

 カノンはため息をついてリーゼに向きなおった。

「じゃあリーゼ、私たちも鬼に協力しようか」

 リーゼは、わかった、と頷き、キーリーに尋ね事をした。

「みんなはどこに隠れているのかな。一階を探しても誰もいなかったんだけど……」

「うーん、みんな二階から奥の方に行ったのかな。奥の方は複雑だから」

 彼に聞くと、奥の方、というのは屋敷のうち北の方にあるもののことであった。一階からはつながっておらず、その北の方へは二階から行くしかないという奇怪な構造であった。

 三人はいきなりその屋敷の北側へと向かってみることにした。こちらはリーゼたちがこれまで見てきた廊下や部屋よりも幾分か体裁を保っていた。そのかわりにかなり薄暗く、不気味な闇が支配していた。リーゼとカノンはそれぞれ魔術を使ってあたりを照らしつつ廊下を歩いたが、より暗い部分が目立って見えた。

 屋敷北側は、その内部構造も南側より複雑だった。三つの階を結ぶ階段があちらこちらに、それも一階と三階を結んでいるわけでもないのが散見された。

 リーゼたちはその階段を行き来しつつ、廊下に面した扉を開けては中に誰かいないかを確認した。

 しかしどの部屋を開けても、そこに誰かが隠れているということはなかった。

 十数番目の部屋に誰もいないのを見たとき、「もう帰ったのかな」とカノンが呟いた。

「じつはキーリー君だけ置いてけぼりにされたんじゃないの?」

「そんなわけないよ、二階のあの廊下を通らないと外には出られないはずだよ」

 その二人の会話を尻目にリーゼは次の部屋に通じる扉を開けた。だが、やはりその部屋にもかくれんぼをしているという子供はいなかった。

 リーゼはこの時既視感を覚え始めていた。どれも似通った部屋だからだと思っていたが、どうもそれでは納得いかなかった。しかもそれは他の二人も同様だった。

「ここさっき来なかった?」

「うん、さっき来たね」

 カノンが周囲に確認を求めると、キーリーが頷いた。

「同じところに来ちゃったんだね」

「うーん、順々に部屋を見たんだけど……」

 仕方なしにリーゼたちは再び廊下を曲がったり階段を上り下りしたりして捜索を続けた。しかしどう巡っても一度は見たことのある部屋にたどり着く。リーゼたちは自分たちが延々と同じところを回っていることを疑い始めた。

「毎回別の道順でいっているのだがな」

 リーゼは一度歩くのをやめ、後ろを振り返った。カノンもそれに合わせて後ろに誰かいないか確かめた。

「気味が悪いわ」

「もう全部の部屋探したんじゃないの」

 キーリーが呆れ気味にそう言ったが、リーゼは、それはあり得ないだろう、と直感的に思った。

 今までの記憶が正しければ、リーゼたちは最初の場所からずっと奥に入り込んでいる。この屋敷の大きさからいって、とうに外に出ていてもおかしくはなかったのだ。

「いったん外に出よう」

 リーゼは踵を返して今までの道のりを反対方向に進もうとした。同じ部屋のあたりを回っているというならば、出口の方向に進めば迷うことなく屋敷から出られるだろうとリーゼは判断したのだ。

 しかしその判断は正しくなかった。当然のごとくリーゼたちは帰り道すら見失ってしまった。

「どうするの?」

 カノンからその問いが発せられるまで、リーゼはやみくもに歩き続けていた。カノンの問を受けてようやく立ち止まり、後ろからついてくるカノンとキーリーを振り返った。

「出口を探すしかないよ」

「見つからないじゃない」

 キーリーは黙ってリーゼとカノンの間の空間を睨み付けていた。外はまだ明るいようだが、この屋敷に入ってかなり時間がたっている。

 カノンは不満そうな顔をしていた。じっさいカノンは少し焦っているのかもしれない。彼女のことだから、帰りが遅くなるのを嫌がったのかもしれない。

 ふとリーゼはあの窓から出られないかと考えたが、あの窓は空けることはできないし、不可思議なことにとても頑丈そうだった。

「疲れたよ」

 キーリーは二人の間でぼそりと呟いた。

「一度休もうか、今の部屋、床はきれいだったから、ここで休もう。……カノン、いいかな?」

 カノンは少し嫌そうな顔をし、唇を震わせて何か言おうとしていたが、結局は何も言わずに首を縦に振った。

 その部屋の床は少々埃がたまってはいたものの、これまで見たほかの部屋に比べれば十分きれいであった。キーリーは特に何も気にせず床に座り、カノンとリーゼはできるだけ汚れが少ない場所を探し、そこに二人並んで座った。




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