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第1章 #4

 リーゼは天蓋付きのベッドの下で目覚めた。体を起こすと、ただただ白い床と、ベッドを中心に囲んでいる柵が見えた。リーゼはベッドから起き上がって、白い床を真っ直ぐと進んだ。柵についている扉のところには、扉が開くのを待っているあの子供がいる。

「待っててくれ。いま鍵を探してくる」

 しかし、子供は首を横に振った。

「……鍵はまだ遠そうだね。だから、今日はこっちに来て」

「どうやって?」

「こうやって」

 ふと気がついたときには、リーゼはもう柵の外にいた。リーゼの足元からは下り階段が続いている。子供はリーゼの手を引いた。

「こっちだよ」

 そうしてリーゼが階段を下りようとしたそのときだった。

「駄目よ」

 と制止する声がリーゼの頭の上から降ってきた。見上げると、いつもは闇だけが広がる天井から、眩い光が差し込んだ。そしてリーゼはその子から手を放してしまった。



「もう、起きて下に行かないと怒られるよ、リーゼ」

 目を開けると、カノンがリーゼの顔を覗き込んでいた。リーゼの頬にプラチナブロンドの髪がかかりそうなのを、カノンは手で押さえていた。リーゼはまた、あの夢を見ていたようだ。

 リーゼはベッドから降り、現実の床に足を着けた。すでに早朝の礼拝の時間が迫っていたので、すぐに身支度を済ませて礼拝を受けに行った。

 外に出ると、昨日にも増して今日は空気が冷たかった。白い息を吐きつつ、リーゼは中州の中央にある聖堂へ向かった。当然ながら、カノンの隣に座って礼拝を受けた。

 それから館に戻ると、まず朝食の時間であった。昨日と比べて人数が少ない――リーゼはすぐに思い当たった。外に向かった退魔師がいないのだ。おそらくもうこの館には戻ってきているだろうが、今は休んでいるのだろう。なるほど、確かに体には悪そうな仕事だ、とリーゼは思った。

 リーゼたちは朝食の片付けを済ますと、次は館の掃除だった。ここから昼までは、カノンがいること以外昨日と変わらなかった。昨日と違うことを強いて挙げるなら、曇り空であることだった。


 午後になると、昨日言われたとおり、アーベル司祭が退魔師としての最低限の心得を教えることになった。

 アーベルは聖堂前で待っていてほしいと言ったので、カノンと一緒に聖堂前で待っていた。カノンは別に来る必要はなかったのだが、「私も行く」と言ってリーゼについてきた。リーゼにはそれを拒む理由は見当たらなかったし、一人で待っているというのも寂しいことだったから、リーゼはカノンが一緒に来てくれることを好意的に受け止めた。

 聖堂の前で司祭を待っていると、時々人が通り過ぎていく。その時カノンを見ていると、彼女は人目を気にしているように見えた。そしてできるだけ目を合わせないようにしているのだ。もしかしたらカノンは少し人見知りなのかもしれない。

 それからすぐにアーベル司祭がやってきた。彼もカノンがいることを大して気にせず、リーゼを目的の場所に案内し始めた。目的の場所、と言うのは、聖堂の地下にある、床に魔方陣が描かれている小さな部屋だ。いかにも、と言った雰囲気の場所で、薄暗い部屋の中には四隅に明かりが灯っていた。

「さて……、始めましょうか……。リーゼさん、よく見ていてください」

 アーベルはそう言って魔方陣の中央に立ち、厳重に封をされた硝子の瓶を開け、そこに何かを解き放った。

「見えますか?」

 アーベルは魔方陣の上辺りを示して言った。そこには、薄暗い中でもはっきり闇だと言える何かが立ち上って揺れていた。それはひどく形が不安定なのだが、上のほうに一点に留まっている赤い光が見える。あのあたりが頭なのだろうか。リーゼは見たままにそう伝えた。

「ほう……!」

 アーベルは驚きをもってリーゼの見たものに対する証言を受け入れた。

「リーゼさん、これはこれは、驚きましたよ。これは悪魔なんですよ。最下級ですけどね。こういう風に、訓練用に捕まえてきたんです。これが……普通の人には見えないのですよ。……私もそのための法術を使わないと悪魔は見えません。それが、まさか……」

 アーベルは、おそらく彼には今見えていないであろう悪魔がいる、魔方陣の上を見ていた。しかしリーゼにははっきりと見えていた。彼が、捕まえた、というように、その黒い影には束縛の呪詛が刻まれている。これなら害を及ぼす心配はないだろう。リーゼは一度アーベルに視線を移した。

「どうして、見えているのだ?」

 リーゼは再び魔法陣上の黒い影を見た。幻覚だとは到底思えなかった。

「そうですね……考えられるとしたら、あなたが闇の契約を結んでいる、位なのですが……」

「え!?」

 リーゼは一瞬怖くなって、彼から一歩退いた。

「いやいや、大丈夫ですよ。……直接、その目で悪魔が見えるのはあなたが初めてではないのです。あなたの後ろにいる子がそうです」

 リーゼは振り返ってこれまで黙っていたカノンを見た。カノンはあまり驚いた様子を見せず、にこやかな笑みを浮かべてリーゼに応えた。

「私の見たところ、君には闇の者の気配はありませんし、カノンの例もあるので、そう怪しみはしないことにします。……ですが、普通ではないことには変わりありませんし、どうして見えるのかは分かりません……。まあそれはいいでしょう。本当に見えるのですね?……ああ、良かった。これで探査の術を教える手間が省けたました。後は実際に捕まえたり浄化する術ですよ。そのために目の前の悪魔がいるのですから……」

 魔術は得意ではないリーゼだったが、カノンの助言もあって基本の術は何とか習得することができた。アーベルはそれを確認して満足したようだった。

「まあ合格でしょう。……だからと言ってすぐにこれを使う仕事をするわけではありませんよ。カノンも、館に来てからずっと裏方ですからね。……しかし、術なしで悪魔が見える目――二人とも、近いうちに出番があるかもしれませんね」

 つまり当分の間は館での雑事をこなすことになるようだ。別にそれが嫌だとか、そういうわけではない。むしろ宮殿での生活よりはこちらが楽だった。

 それにしても話が早いな、とリーゼは思った。リーゼはここに来てまだ二日目だ。それに魔術も拙いというのに、あとしばらくしたら実戦に出すというのだ。カノンはここの館にずっと前からいたはずだが、その彼女と悪魔退治の初陣が一緒というのはどういうことなのだろうか。

「どうしてカノンは、まだそっちをやっていなかったのですか?……ずうっとここにいたんですよね?」

 アーベルは、ははは、と一度笑ってから答えた。

「いやいや、まだ小さい子供で、まだ危ない、と思っていたのですが……気がついたらもうこんな歳になっていたんですよね。まあ私自身もですけど……」

 カノンがアーベルに訴えるように言った。

「いくら子供みたいに見えるからって、ひどいわ」

「ふむ、内面的にもまだ子供のようです」

 思わずリーゼもくすくすと笑いをこぼしてしまった。カノンはリーゼを睨みつけるようにして、「リーゼもひどいわ、」と悲しそうな顔をした。

「ごめん、すまない」

 リーゼが謝ると、カノンは睨むのをやめ、リーゼの手を取った。

「こんな暗いところ出ましょう。外が夕方になっていても分からないわ」

「そうですね……」

 アーベルは頷いて、灯りの火を消した。代わりにカノンが光の魔術であたりを照らした。アーベルが重い扉を開き、二人は外へと続くその扉をくぐった。


 階段を上る途中、リーゼはもう一度あのことを聞いた。

「アーベル神父……。まだここに来てほんの二日の、それも大して術ができない私まで、どうして悪魔退治に出すのですか?」

 アーベルは、今度は深刻そうな顔で答えた。

「……それが、少し厄介なのが最近出没するようになりましてね。……そのために君たちは必要かもしれないのです。……まあ、そのうち説明します」

 外に出ると、赤くなる前の空から届く光でも、今まで暗いところにいたリーゼたちの目には眩しかった。

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