生贄
この村には生贄の儀式がある。
捧げる対象は龍。ヒトの手が、決して届かぬ超越種。
捧げられるのはヒト。基本的には無垢な少女が、稀に少年が選ばれることもある。
龍の棲まう土地は豊かになる。
これはもはや一般常識と言っていいが、生贄の儀式との因果関係までを正しく理解している者は少ないだろう。
ヒトとは比べ物にならない高濃度の魔力をその身に宿す龍は、ただそこに在るというだけで周囲に影響を与える。国中の魔術師全てを集めても、生まれたばかりの龍の足元にも及ばない程度だ。痩せた土地に住む人々にとって、龍は神にも等しい存在である。
では生贄の儀式は神への恭順を示すものかというと……実はそうではない。いや、それだけではない、と言うべきか。
人間は野の獣よりも高度な知性、つまりは魂を持っている。龍はヒトの肉ではなく魂を喰うことによって、その力をより大きなものへと育てる。
一介の村人にそれが知らされることなどないが……龍に生贄を捧げる儀式――それは龍ではなく、むしろヒトの都合によって行われてきたものだった。
……本来ならば。
だがこの村での儀式の真実を、僕は知っていた。
なんのことはない、ただの口減らしだ。
幼い少女が生贄として選ばれるのは、穢れがないなどという宗教的な理由ではなく、働き手として不足があるという、どこまでも現実的な事情からだ。少年が稀に選ばれるのは、あえて説明するほどのことではないだろう。女より虚弱な男がいないわけではないのだ。
真実を、知ってはいても。
僕にそれを非難することはできなかった。
そうしなければ、もっと死ぬ。もっともっと、たくさん死んでしまう。養われるだけの者が棄てられるのは仕方のないことだ。この貧しい村では皆、生きる為に必死なのだ。
龍を鎮める為に捧げられるというのは、嘘だ。
或いは例え話だ。この村を覆う貧困に捧げられる生贄。
本当に龍がいたのなら、もう少しはマシな暮らしができただろう。
それはとても哀しい嘘だ。
嘘ならもっとバカバカしいものがいい。思いきり笑えるヤツがいい。
「いいかい、リィナ。これからする話はお兄ちゃんだけが知ってることだから、誰にも言っちゃダメだぞ?」
僕は言う。今年の生贄に選ばれてしまった、血の繋がらない妹に。
「村のみんなはお山の龍を悪い人喰い龍だって言ってるけど、それは真っ赤な嘘なんだ」
嘘つきハーリーが他人の言葉を嘘だと言う。そんな皮肉に苦笑しそうになりながら。
「あの龍はね、ただ寂しがり屋なだけなんだ。だからこの村から生贄ってことでお山に連れて行かれた子たちは、みんな龍の遊び相手になってるだけなんだよ」
零れる寸前まで涙を溜めたリィナの目が僕を見上げる。
まだ舌足らずな声で、義妹が問う。
「……ほんとう?」
「もちろん」
嘘だ。
「じゃあ、おねぇちゃんも?」
濡れた瞳が希望に輝く。
「三年ぶりに会えるね」
言って、僕はリィナの栗色の髪を少し乱暴に撫でてやる。
三年前に選ばれた義姉は、儀式の真相に気づいていた。
それと知った上で、彼女は優しい嘘を望んだ。
この嘘は、僕と彼女との合作だ。
「僕はみんなから嘘つきハーリー、なんて言われてるけどね、それはみんなが本当のことを知らないってだけなんだよ」
龍に会ったことがあるなんて嘘。
魔術を学んでいたなんて嘘。
本当は高貴な血筋だなんて嘘。
龍と友達になったなんて真っ赤な嘘。
嘘。嘘。嘘。嘘。嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘。
ハーリーの言うことは嘘ばっかりだ。
「その証拠に、ってわけじゃないけど。今度はお兄ちゃんも一緒に行ってあげるよ」
正しくは逝ってあげる、なのかな?
「ほんとに!?」
飛びついてくるリィナを受け止める。僕もまだまだ子供と呼ばれる年齢だが、これでよろめかない程度の体力はついた。
なら、うまくすれば暫くは生きていけるかもしれない。あくまで希望的観測だけど。
拾ってくれた両親は既に亡く、肉親と呼べるのはもはやリィナだけ。
だから、未練は何も無い。
「みんなには内緒で、だから、お山までは別々になるけど……我慢できる?」
「うん! リィナがまんする!」
「いい子だ」
わしゃわしゃと髪を掻き回すと、リィナは気持ちよさそうに目を細める。もうその目に涙の名残はなく、翌日遊びに行くのを楽しみにする子供そのものだ。
「あと、あんまり嬉しそうにしてると、内緒の話がみんなにバレちゃうから、気をつけるんだよ?」
はっ、として、難しそうな顔でうなっている義妹の頭をぽんぽんと叩いて、一足先にお山へ向かう。
「じゃ、先に行って待ってるね」
「おにぃちゃん!
……その、えっと…………また、あした」
「うん。また明日」
山はさほど高くはなく、森もそれほど深くはない。
日が落ちてからでも、月明かりでどうにか歩ける程度だ。
儀式場――と言っても生贄を縛るための杭が一本あるだけの粗末なものだが――にはほどなく着いた。なんの盛り上がりも、障害もなく、あっけなく。
そこに着くまでに限っては、だが。
「……嘘から出た、真?」
ヒトの手が、決して届かぬ超越種が、そこに居た。




