魔王城にて
フッフッフ、ついにこの時が来た、とアーニャはほくそ笑んだ。
勇者一行はもぬけの殻の城にとまどっている。
さぁ、今こそ裏切りの時!恐れ悲しみ怒り嘆くがいい、愚かなる人間どもよ!
「フハハハハ!騙されたな勇者どもよ!我こそ魔王なり!」
アーニャは高笑いをしながら前に進みでる。
ドテッ
「いだっ」
ローブの裾が勇者の聖銀の鎧にひっかかった。
「…………」
もぞもぞ、よいしょ。アーニャは立ち上がって咳ばらいを一つ。やり直そう。今のはなかったことに。
「フハハハハ、騙されたな勇者どもよ!我こそ魔王なり!」
鉄の王座に腰掛ける。その冷たさにアーニャは顔をぎゅっとしかめた。――いやいや、私は魔王!これしきの冷たさなんかどうってこと……どうってこと……あるかも。前はクッション山ほど積んでたもんなぁ、と懐かしく思い出し、アーニャははたと首を傾げた。あのクッションはどこにいったんだろう。
「…………」
気を取り直し、衝撃を受けている予定の勇者一行を勝ち誇って見る。そこに昨日の夕食の恨みなんてちんけなものが混ざっているのは気のせいだろう。――あの魚、とっても美味しかったから最後に残してたのにっ……!
「…………」
呆然とアーニャを見る勇者一行に彼女は少し溜飲を下げた。
「……嘘でしょう、アーニャ」
「アーニャが魔王なわけないよ」
王女と勇者がやっと口を開く。
――あれ?何か違うような。
アーニャはモゾモゾと腰を動かした。もっと悲壮感たっぷりの台詞のはずなのだが……声に含まれているのは、むしろ呆れ?
「あはははは、いくら魔王が逃げた後で拍子抜けしたからって体張ってギャグに走らなくても」
「なんていうか、しょうもなさすぎて失笑しか出てこないわ。本当に冗談下手ね」
「いえいえ、わりと面白くないこともないですよ。少なくとも意外性は十分です」
「アーニャ……片っ端からトラップにかかりまくってたやつがその設定は無理があるって気付けよ」
盗賊、女騎士、吟遊詩人、魔法騎士と声が続く。
――全然信じてない!そりゃ、トラップかけたことも忘れてたけど……!でも帰ってくるのは久しぶりだったんだもん。しょうがないよ!にしてもあんなにいっぱいトラップ仕掛けてたかなぁ。
「ま、とりあえず逃げた魔王を追う?それとも国に帰る?ホラ、アーニャもいつまでもそんなとこにいないで。これからのことを決めないと。魔王が逃げるなんて想定外だったからな」
「逃げてないッ!私が魔王だってば!」
暢気な勇者に声を荒げれば、
「あーはいはい、わかったわかった。いいから降りてこいよ。魔王がそこに呪いでも残してたらどうするんだ」
魔法剣士が宥めるように片手を上げて言う。
「あら、いいじゃないの。アーニャがいてもいなくても変わらないわ」
嘲りの篭った女騎士の声が続き、
「私が魔王なんだってば!」
アーニャは肘置きを強く叩いた。
グウィーーーン……
「おい、アーニャ!」
グラグラグラ……
王座が左右に揺れだす。
――こんな仕掛け、あったかな。
目を大きく見開き、アーニャはなんとか王座にしがみつきながら考えていた。
「アーニャ、降りろ!」
魔法騎士が叫ぶのとほぼ同時に、アーニャは王座から振り落とされていた。
ドォーーン、ドガンッ!
空の王座は城の天井を突き破り、空へと飛び立っていく。パラパラと細かな破片が舞い落ちる中、アーニャは思い出した。――脱出装置だ!
駆け寄ってきた魔法騎士がアーニャの腕を掴んで立たせる。埃に白く汚れた黒い魔法使いのローブをパタパタはたき、脱出装置を使ってしまったショックで涙目になっているアーニャに口をへの字に曲げながらアーニャの目元を拭う。
「ったく……魔王の椅子なんかに座るからこうなるんだよ。どんな妙な仕掛けがあるかわかんないだろ」
「妙じゃないもん!脱出装置だもん!」
「……それって魔王が負けること前提に作ってるような気が……」
「違うよ!よくサーガでもあるでしょ、一度敗れてから復活してババーン!」
「……ババーン、って……意味分かるからいいけど。というか普通に考えて復活するのは勇者の方だしな……」
「違うの!あれは脱出装置なの!私は魔王なの!」
「あー……」
魔法騎士は言葉を探すように口を数度開閉し、困り果てた目で仲間に助けを求めた。
「じゃあ、これからどうしよう」
「タケル様、一度国へ帰りませんか?魔王がどこへ行ったかわかりませんし……」
「あ、俺賛成〜」
勇者に擦り寄りながらそう言う王女に盗賊は同意する。
「それに……私とタケル様の婚約も早く皆に知らせたいですし……」
王女は可憐に頬を染めた。勇者は頬を引き攣らせる。女騎士から極寒の風が吹き付けていた。
「いや、まあ、婚約は置いとこうか……」
「ひどいですわ、タケル様!私をお見捨てになるつもりですのっ?」
「あ、いや、そんな……」
「それとも結婚は人生の墓場とおっしゃるつもりですの?私はタケル様と一緒なら墓場にだって……」
「……え゛」
「私は、反対ですが」
女騎士の声は地獄から響いてくるかのようだった。
「一度国へ帰らずともせっかくここまで来たのですから追い詰めた方がよろしいかと」
女騎士の睨みを受け、王女はいっそう勇者にしな垂れかかる。
「あ、姐さんがそう言うなら俺も!俺も〜」
盗賊の言葉は誰も聞いていない。
「ここに陣を刻んで帰ればすぐに跳んで来れますわ。剣の振りすぎで頭もそちらに特化してしまったのかしら?」
「そう言う貴女の頭は平和でうらやましいですね。いつ魔王が戻ってきて陣を破壊するかわからないというのに」
「タケル様に恐れをなして逃げた魔王が戻ってくるなんてありえませんわ。タケル様を信じていらっしゃらないんですの?」
「万が一の可能性を言っているんです。それにタケル様から離れたらどうです。迷惑がっていますよ」
「あら、うらやましいならうらやましいと素直におっしゃればよろしいのに」
「まさか。誰がうらやましいなんて……生憎、婚約したなんて妄想を恥ずかしげもなく口にする方をうらやましがるほど追い詰められてはいませんので」
「妄想ですって!?」
「妄想以外の何物だというんです!?」
「いや、あの、二人とも落ち着いて……」
「「タケル様はどう思ってるんです(いらっしゃるんですの)?」」
「いや……その」
魔法騎士は二人の女性に詰め寄られる勇者からそっと目を逸らした。隅の方で盗賊が壁にのの字を描いている。吟遊詩人は一人美し過ぎる微笑を浮かべて神のように全てを見守っていた。助けを求める眼差しはその笑みに跳ね返される。魔法騎士は悟った――結局、この頭のネジがどっか飛んだ魔法使いをどうにかするのは自分一人なのだと。
「私は魔王なのーっ!」
「あー……そう」
魔法騎士の手に頭をポンポンと叩かれながらアーニャは主張した。まるで信じてくれる様子がない。どうしたらいいんだろう。
不意に、勇者一行――アーニャと盗賊以外の――に緊張が走った。アーニャは頭を慰めるように軽く叩く心地好い手がなくなって顔を上げる。
「フアーッハッハッハッ!仲間に裏切られ己の手で始末した気分はどうだ!」
王座の向こうの壁が左右に開いて黒髪黒目の見目好い若い男が一人とその配下とおぼしき集団が入ってきた。
「お前はなんだ!」
勇者が剣を構えて問いただす。
「魔王を倒したと安心しきってたろうな……しかし!アレは偽物!我こそ真の魔王なり!」
「なっ……誰が偽物!?」
「あ、アーニャ!?何故生きて……脱出装置が作動したはず!」
「フハハハ!そんなちんけな罠を見破れないと思ったの?」
アーニャは胸を張って高笑いする。勇者達は剣を下ろした。
「なんだ、アーニャの知り合いだったのか」
「間が悪かったのでてっきり敵だと思ってしまいましたわ」
「同じ穴の貉ね。くだらないギャグまでそっくりだわ」
「二番煎じはいけません」
吟遊詩人も今回は点が辛い。魔法騎士だけはしかめっつらになっていた。
「どういう知り合い?」
「クッ……流石は魔王。見破られていたのかっ。しかぁし!勇者一行と共にお前まで討ち取ってしまえば問題はない」
「え、なんで!?何が目的?」
アーニャは素に戻って首を傾げる。
「我の目的はただ一つ!魔王になって世界を征服することだ!そのためにはお前が邪魔なのさ」
「そんな!」
「お前が我をおとなしく婿にしておけば我も従妹を手に掛ける必要はなかったのだ……」
「婿?」
魔法剣士の眉間にシワがより、殺気が立ち上る。若い男は魔法剣士に目を移した。
「おお、勇者よ!戦う気になったか!」
「いや、俺は勇者じゃないんだけど。でもあんたは気に食わないね」
「だって、蟻を潰して悦にいってるような奴と結婚するの嫌だったんだもん」
アーニャがキッパリ言うと、魔法剣士と男の間の緊張が霧散した。男は額に血管を浮かび上がらせてアーニャに怒鳴る。
「なんだとっ!?我とてお前など魔王でなければ求婚せんわ!それを公衆の面前であのように断りおって……!」
「嫌なものは嫌だし。トイレから出て手を洗わない男なんかと結婚したくないもん」
「ですわよねぇ……」
過去に何があったのか、女騎士と冷戦中の王女がしみじみと頷いた。
「だいたい今時世界征服っていうのもちょっと……」
「おま、お前は魔王をやってるだろうが!」
「魔王はいいの」
「なっ……なっ……」
男は憤死寸前という有様で怒りのあまり言葉も出ないようだ。アーニャはさらに油を注ぎ込んだ。
「それに食べ物の好き嫌いがありすぎる人も嫌だし、歯を磨かないくせに鏡に映った自分に見とれてるのも嫌だし、十五才までおねしょしてたとか何かあったらお母さんって叫ぶのとか鼻ほじる癖とか、本当勘弁してほしい。絶対に結婚なんかしたくないから」
「……フッ、まあいいだろう」
不気味なほど落ち着いた声音で男は言った。
「所詮お前はここで死ぬのだ。負け犬が何をほざいたところで何の害もない」
しかし髪をかきあげる男の手までも血管が脈打っているかのようだった。目が血走って、見るからに危険である。
「さあ、勇者らを一網打尽にするのだ!者共、かかれ!」
「…………」
勇者一行を指差し号令を下した姿勢のまま、男はしばらく待っていた。
「……ええい、かかれというのが聞こえんのか!臆するな、かかれ!」
「…………」
「あー、の、さ?」
王女と女騎士は火花を散らして睨み合っている。盗賊は隅でいじけ、吟遊詩人は神のような美し過ぎる微笑みを顔に張り付けたまま全てをスルーしていた。突然魔王を名乗りだした魔法使いはもとより当てにならない。魔法剣士も男に敵意を燃やしている今、残った勇者しかそれを指摘してやる者はいなかった。勇者は書状を手でもてあそびつつ、遠慮がちに声をかける。
「連れてきた人達、帰ってったよ……?」
ギギィ、と音がしそうなぎこちない動きで男は振り返った。男の後ろにあるのは数多の兵士ではなく、ぽっかり口を開けた抜け穴。
「なに!?」
「なんでも急用を思い出したそうで……」
『そういえば今日は嫁さんの誕生日だったなぁ』
『私、子供の授業参観なのよ』
『俺、母さんの見舞いにいかないと』
急用の数々を思い出し、勇者は心持ち申し訳なさげに告げる。その手にある書状は投げ渡されたもので、不可侵条約を結びたい旨が綴ってある。署名は魔族代表と副代表の二人。いつの間にか民主制に移行していたらしかった。
「な、なんだとー!」
勇者は一人騒ぐ男を多少の罪悪感とともに放っておくことに決め、
「じゃ、とりあえず魔王はいなくなったみたいだし……ね?帰ろっか?」
「まあ、では婚約発表の準備を!」
「いや、婚約しないから……」
「王都についたら私の親が会いたがると思うんですが、会ってやってもらえませんか?」
「え、親御さんに……?君の親って将軍でしょ?わざわざ会いに行かなくても城で会うんだけど」
「くそっ、いーんだいーんだ俺なんか……どうせただの盗賊だもんな、勇者様みたいに神のご加護とかうけてないもんな……ちくしょー!」
「だから私が魔王……むぐっ」
「はいはい、もういいから帰るぞ」
アーニャは暴れるが、魔法使いが魔法剣士に敵うわけがなく、ズルズル引っ張られていく。
吟遊詩人はその素晴らしい声でいじける盗賊を慰めつつ勇者達の後を追った。その後をアーニャを引きずる魔法剣士が続く。
「ま、待て!貴様らどこへ行く!」
取り残されそうな男も後を追い、こうして魔王城は主を失った。