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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

ヒト喰いの見る夢

作者: 蒼キるり
掲載日:2026/03/11

 物心ついた頃から、僕は常に飢えていた。


 僕は長い間、一筋の光も射し込まないように閉め切られた暗い部屋の中にいた。

 優しい両親が時折食べ物を持って来てくれたけど、育ち盛りの僕には到底足りる量ではなかった。

 お腹はちっとも満たされなくて、もっともっとと強請りたかったけど、ただありがとうと告げていた。

 僕は両親を困らせたくなかったのだ。


 食べ物を満足にくれなくても、僕は両親のことが好きだった。だから困らせたくなかった。

 母さんも父さんも、僕みたいな子どもには勿体無いくらい優しかった。

 僕は二人を愛していた。心の底から愛していた。

 それでも僕は飢えていて、どうしようもなくお腹が空いていて、こう考えてしまうのが止められなかったんだ。


 母さんと父さんを食べてしまえたら、どんなにいいだろうかと。



***



 夢を見ていた気がする。随分と昔の夢を。

 まだ僕が生きた肉の味を知らなかった、もう戻れない子どもの頃の夢だ。



「……ラント、ユーラント」



 耳障りの良い聴き慣れた声が僕の名前を呼んだ。

 どれだけぐっすりと眠っていても、彼女の声を聞くと僕はすぐに目が醒める。


 カタコトと揺れる荷台の中で僕は薄っすらと目を開けた。

 彼女は僕の顔を覗き込んでいたらしく、すぐ近くに顔があった。

 透き通るように白い肌と琥珀色の瞳は暗い荷台の中でもまるで輝いているようによく見える。

 ぱちぱちと瞬きを繰り返す僕を見て、彼女は金色の髪を揺らしながら小さく笑った。


 寝入りの記憶はないのだけど、どうやら長い間眠っていたらしい。

 見える景色がすっかり様変わりしていた。

 さっきまで深い森の中だったのに今ではぽつぽつと建物が見える。目指している街が近いのだろう。



「……ごめん、僕、寝てたね。フィレナ」



 僕たちが乗っているのは馬が引く荷台の中だ。

 決して乗り心地が良いとは言えないけど、どこでも寝られることが数少ない僕の特技の一つだから、揺れることは眠りを妨げる問題にはならない。

 とはいえ寝入って良い理由にはならない。街から街へ渡ることは危険も伴うのだから。


 フィレナはとても強いけど、僕が眠っていれば足手まといになってしまうだろう。せめて危ないことがあっても素早く逃げれるようにはしておかないといけない。

 しっかりしなくては、と僕は自分の頬を両手でぱちんと挟んだ。

 それを見たフィレナはくすくすと笑いながら僕の手を掴んだ。

 そんなことしなくていいのに、と囁くフィレナの声はひどく優しい。



「気にしなくていいのよ、ユーラント。昨日は眠るのが遅かったものね。今日は宿に泊まってゆっくり寝ましょう」



 まるで幼子に言い聞かせるような口調だ。

 でも子ども扱いしないでとも言えない。フィレナからして見れば僕なんて本当に子どもにしか見えないのだろう。

 見た目は僕と同じように少女と言える年頃だけど、本当はもっとずっと長生きしているのだから。



「……お腹空いた? 宿までは我慢してね。いっぱい食べさせてあげるから。大丈夫? それまで我慢できる?」


「出来るよ。子どもじゃないんだから」



 ついそう口走ってしまう。それさえも子ども染みているとは分かっているのに、止められなかった。

 バツが悪く俯く僕をフィレナは優しい眼差しで見つめて、でもそれ以上は口を開かなかった。

 揺られる荷台の中で持ち主のおじさんに着いたと言われるまで僕らは黙って隣に座っていた。

 フィレナがおじさんにお礼の硬貨を数枚渡し、僕らは荷物を持って街へと繰り出した。



「すごい賑わいだね」



 ちょっと不貞腐れていたのもすっかり忘れ、僕は周りをきょろきょろと見渡しながらそう言った。

 前に訪れた街とは比べ物にならないほど人が多いし、以前訪れた村のように似たような人が集まっているというわけでもない。

 見た目や格好、様々な人たちが行き交っている。これなら僕とフィレナが目立つこともないだろう。


 目立たないのは良いとして、お世辞にも背が高いとは言えない僕とフィレナはすぐにお互いを見失ってしまいそうだった。

 僕の言葉に頷きながらフィレナが躊躇う様子もなく僕の手を取る。はぐれないようにとぎゅうと手を握られると、姉みたいだな、なんて思った。

 そんなものいたことがないからよくは知らないけど、フィレナの振る舞いはそれに似ている気がする。



「うん、人も多い。旅人らしき人もちらほらいるし、市場も規模が広いね。これなら予定通り商売も出来そう」



 商売をする為の届け出の確認をしなきゃ、とフィレナがしっかりと前を見据えながら言った。

 フィレナの背中に背負われたものをちらりと見る。一見どこにでもありそうな汚れた布の容れ物だけど、中身はとても貴重なものが溢れている。

 この街で売る予定のもので僕らの生命線でもある。


 フィレナの物とは違い、僕の背に背負われているのは在り来たりな日常用品ばかりだ。

 無くなれば困るけどまた買えばいいものばかり。例え僕がドジを踏んで盗まれても大丈夫なようにこれを持たされているのだろう。

 フィレナは決して口にはしないけど、そういうことだ。


 フィレナは僕なんか足元にも及ばないくらい強いからこれは正しい采配だけど、いつかフィレナが背負うものを僕が一つくらい持てるようになれればいいなと思う。

 フィレナは僕の恩人で、旅をする上での唯一無二の相棒なのだから。

 そんなことを思いながら、フィレナと呼びかけようとした時、思わず足が止まるような言葉が耳に飛び込んで来た。



「聞いたか! 人喰いが出たそうだ!」



 深刻なその内容は恐怖というより好奇心によって発せられているように聞こえた。

 差し迫った危険を知らせているのではなく、聞きつけたことを誰かに話したいが為の言葉なのだろう。

 つまりこうして足を止める理由にはならないし、目立つ行動を慎む方が良いことも頭では理解していた。

 それでも、その言葉と反応する人々の声が耳から離れない。


 本当かい。人喰いだって。怖いねえ。もう始末はしたのか。

 そんな人々の声に体が勝手に固まってしまう。

 心から順番に身体に冷たさが巡って、指先まで冷え切っていくようだった。

 フィレナに手を握られていることを忘れてしまうほどに。



「大丈夫よ」



 それでもフィレナが僕の顔を覗き込むと、微かに正気に戻った気がした。

 フィレナの綺麗な瞳で見つめられると、小難しいことなんて考えていられないのだ。



「そう簡単に見た目で分かるものじゃないわ」



 フィレナが小さな小さな声で囁いて僕の手を引いた。

 大丈夫、大丈夫よ。そう僕をあやすように。子ども扱いされているとは思いつつも、安心してしまう心は素直だ。

 フィレナに任せておけば間違いはない。だから、大丈夫なのだと無条件に安心できる。



「さあ、ユーラント。今夜の宿を探しましょう」



 フィレナが優しく微笑んでもう一度強く僕の手を引いた。

 これ以上僕が怯える言葉は聞かなくていいとでも言うように。


 宿に着いても部屋に入って二人きりになるまでフィレナは僕から手を離さなかった。

 だから僕は安心していつものように振る舞うことが出来た。間違っても人喰いという言葉に過剰反応はしなくて済んだ。



「いい宿ね、料金も高くないし」



 フィレナがそう言って荷物をベッドに置くのを見て、僕もようやく荷物を降ろした。

 さほど重いとは思っていなかったけどやはり多少の疲れもあったから降ろすと深い息が漏れた。

 そのままどさりとベッドに座り込む。そんなに歩いてもいないし、移動は荷台に乗せてもらった。

 なのにどうしてこんなに疲れているのだろう。

 僕は肩で息を吐きながら一つのことに思い当たった。


 しばらく食事をしていなかったからだ。

 フィレナに宿まで待てるかと問われたのも当然だ。

 フィレナと出会ってから空腹になることはほとんど無かったから、自分のことなのに忘れてしまっていた。

 やっぱりフィレナには敵わない。



「……フィレナ」



 僕が小さな声でフィレナを呼ぶ。

 まるでそれが分かりきっていたという風にフィレナは微笑みながら僕の座るベッドに腰掛けた。



「お腹が空いたのね、ユーラント」



 全部分かっているというようにフィレナは優しく笑う。全てが許されているみたいだった。そんなはずがないのに。

 フィレナが笑顔のまま僕に手を伸ばす。しなやかに伸びた指先が僕の口元まで近づけられる。

 僕の唇に静かに近づいてきたフィレナの爪先が触れる。僕はこくりと唾を飲んだ。



「さあ、召し上がれ」



 フィレナのその言葉を合図に僕はそっと口を開き、フィレナの指を口に含んだ。

 そしてそのまま一思いに、フィレナの柔らかな指に歯を立ててぐしゃりと噛みちぎった。


 薄い皮膚という皮しか被っていない指なんて、少し力を込めれば瞬く間に千切れてしまう。

 柔らかくてまるで甘いと錯覚してしまいそうな肉と歯応えのある骨を一気に噛み砕いて胃に落とす。

 ひどく濃厚な匂いのする血は噴き出すように口いっぱいに溢れてくる。

 勿体無いから一滴も零したくなくて、僕は啜りあげるように舐めとる。

 肉の断面を舌でなぞると、早くも戻りたがるように肉が大きく震えていた。

 すぐに増えて伸びるその肉にまた喰らい尽く。

 僕のお腹が十分に満ちるまで、ひたすらにそれの繰り返しだ。



「おいしい?」



 フィレナが無事な方の手で僕の頬を撫でながら優しく問いかける。うん、と大きく頷いてしまう自分が恨めしい。

 でも、おいしい。おいしい。どうしようもないくらいに。

 ふとした拍子に理性が飛んで全てを喰らい尽くしてしまいそうなほどにフィレナはおいしい。

 ああ、理性なんて本当にあるのだろうか。こんな風に、獣のように人間を貪るだなんて、正気の人間がすることではない。


 分かっている。僕は正気ではないし、きっと人間でもない。でも僕は人間でいたい。だったらこんなこと止めないと。

 けれど、頭で理解することと本能は全くの別なのだ。

 それでも、それでも、止められないほどにフィレナは美味で、僕はお腹が空いていた。



「おいしいのね、よかった。いっぱい、お食べなさい」



 フィレナの声はどこまでも僕を甘やかす。

 僕は僕の頬を撫でる君の優しい手さえ噛り付いて呑み込んでしまいたいと思っているのに、フィレナはどこまでも優しい。

 もういい、と口を離そうとするのに、空腹を訴える腹は僕自身よりずっと素直だ。

 一瞬でも離すと溢れそうになる血を気づけば追いかけている。

 戻る肉を待たずに次の肉を追いかけ、フィレナの指は跡形もなく消えている。

 手首を辺りまで飲み込んだ僕を見るフィレナの瞳は変わらず優しくて、僕は美味しいのと切ないのがごちゃ混ぜになって泣きそうだった。


 僕がこんなに食べてしまってもすぐに元のフィレナに戻るということだけが、どうしようもない救いだった。



***



 僕は生まれた時から人喰いだった。


 もちろん生まれた時のことは覚えていないから、これは僕が大きくなって両親から聞いたことだ。

 人の少ない侘しい辺鄙な村で僕は生まれたという。

 薄暗い部屋の中で母は身内の数人に囲まれ世話をされながら僕を生み、その時ばかりは元気に産まれたことを喜んだらしい。

 父が生まれたばかりの僕に鋭い歯が生え揃っていることに気づくまでは。


 人間の赤子としてはおおよそ相応しくないほどに生えた歯はそれだけならばまだ問題は無かった。

 歯が生えているために乳をあげることには苦労したらしいが、どうにかなっていたという。

 自分達の子どもにもう歯が生えているということは周りの人には決して言わなかったらしい。

 第六感で良くないものだと感じ取っていたのかもしれない。


 うちの子どもは体が弱いからと言って、外にも出さずに出来るだけ誰にも会わせずにいたという。

 問題が現れたのは食物を食べるような時期の頃だったらしい。所謂離乳食といった類を僕は一切口にしなかった。無理に口に入れてもすぐに吐き出してしまったという。

 その時点で父は察していたものがあったらしいが、まさかとは思い口にしなかったという。いつか食べるようになってくれると両親は無意味に励ましあっていた。


 しかし、そうも言っていられない出来事が起こった。飢えた僕は母に噛み付いたらしい。子どもらしくもない歯で一心不乱に食べようとしていたという。

 まだ幼い子どもだったから引き離すのはなんとか可能だったらしいが、その力さえ普通の子どもの力では無かった。

 もう言い逃れは出来なかった。自分達の子どもは人喰いなのだと、両親はついに認めたという。


 人喰いというのはその名の通り人を喰う者のことだ。

 普通の人間から突如生まれ落ちる者でそれを防ぐ手立ては今の所見つかっていない。

 呪いだの前世の罪だの色々言われてはいるがどれもはっきりとした証拠はない。

 ただ生まれたのが人喰いならば速やかに始末しろということだけが何処に行っても変わらない決まりだ。

 ごく稀に何らかの理由で生き延びる人喰いが人を襲っては喰い殺すことで問題になっているからだ。芽は早いうちに摘んでおいた方がいい。


 僕の両親はそれが出来なかった。優しくも愚かな人達だったからだ。

 人喰いの息子に笑いかけ、どうにかして食べるものを探して来ていた。息子が自分達を食べたがっていることさえ知らずに。

 いや、知ってはいたのかもしれない。それでも側に置いたのだから愛されていたのだろうと想像することくらいは僕にも出来る。


 両親はいつも墓を掘り返していたらしい。夜中にこっそりと見つからないように。そして掘り起こされた肉を僕が食べるのだ。旨味が薄くなった死んだ肉。それでも飢えた体には美味しく感じられた。

 人の肉を美味そうに喰う自分達の子どもを両親はどう思いながら見ていたのだろう。そんなことを最近、時折ふと思う。


 もう確かめようもないけれど、そう思うのだ。

 食べるのに夢中で気にしていなかったけれど、もしかして僕に自分の肉を食べさせるフィレナのように優しい目をしていたのかもしれない。なんの確証もないのにそう信じてしまう自分がいた。

 人喰いを生むことは二人の罪ではないだろうけど、僕を育てたのはきっと二人の罪だろう。

 二人は僕を、人ではない息子を、愛してしまったのだから。



***



 僕が満足いくまでフィレナを食べ終えると、瞬く間に喰われた肉は戻っていく。

 赤くぬるついた肉の断面から白い肉が覗く光景は何度見ても不思議だ。

 普通ならあり得ないのだから当然だろう。一度失った手が生えてくることなど普通なら絶対にないことだ。



「それって、痛くないの?」



 フィレナの腕に垂れた血を勿体無いからと舐めさせてもらった後に、ふと思い立って尋ねてみた。

 前に食べている時にも尋ねたことがあるのだけど、それには「痛いけど、大したことはない」と笑って答えられた。

 こうして治している時の痛みは無いのだろうかと思ったのは純粋な興味だった。



「慣れてるから、平気よ」



 ということは痛くないわけではないのだろうと思うと、申し訳ない気分になる。

 それなのに、いつだって食欲は抑えられない。もう少し成長すれば食べる量は減るだろうか。

 今の時期は所謂成長期だろうと思うから、それが過ぎればマシになるのかもしれない。


 自分の手を見ながら僕は少しだけ首を傾げた。

 そういえば最近はあまり背が伸びていない気がする。前はもっと目に見えて成長していたと思うのだけど。

 もしかしたら成長期が終わるのだろうか。今でもフィレナとさほど変わらない背丈しかないのだけど、まあ大きくても食事量が多そうだからこれはこれでいい。

 フィレナにかける負担が少なくなるかもしれないと僕はほっと息を吐いた。


 フィレナの痛々しい傷跡が嘘のように消え、元の綺麗な手に戻る。そのことに安堵する自分が僕は好きではない。

 フィレナを食べたことに変わりなんてないのだから、僕が安堵する筋合いなんてないのに。

 元に戻った手でフィレナは手早く食事を取った。市場で買ったものをひょいひょいと口に放り込むフィレナを僕はぼんやりと見つめる。

 僕が食べてもちっとも美味しくないものだけど、フィレナが食べる様子は美味しそうに食べるなぁとは思う。食べたい、とは微塵も思わないけど。


 フィレナの食事が終わると、もう窓の外は暗くなっていた。フィレナがもう寝ましょうと笑いかけてきた。商売の準備は明日でいいということだろう。

 フィレナが近寄って来て僕の頭を撫でた。そしてひときわ柔らかく微笑む。



「おやすみ、ユーラント。いい夢を」



 よく悪夢を見ると僕が言ったからだろう。

 フィレナはそんな言葉を掛けてくれた。もしかしたら今日の昼間、眠ってしまった僕を起こしたのは僕が魘されていたのかもしれないと思った。

 フィレナはいつだって僕が気づかないようなところでも僕に優しい。

 隣のベッドにフィレナが入ってしばらくすると一定の穏やかな息が聞こえてきた。

 荷台で眠ってしまったからか、僕はすぐには眠れない。



「……フィレナ」



 知らず知らずのうちに零れるようにフィレナの名前を呼んでいた。

 眠るフィレナは僕と変わらないくらい幼く見える。



「どうして君は僕を助けたの」



 君に利益なんて一つもないはずなのに。ねえ、どうして。

 直接尋ねてもフィレナは答えてくれないから、もう何度も浮かび続けるその疑問を僕は眠るフィレナに投げかけた。



***



 次の日はフィレナ曰く、絶好の商売日和だった。

 商売というものは暑くても寒くても問題があるらしく、程よい気温と程よい天気が商売の味方だという。

 フィレナの売り方はとても上手いと思うから、僕はいまいちその辺りの因果関係が分からないのだけど、フィレナがそう言うからにはそうなのだろう。


 運良くと言えばいいか、この街で商売をする手続きは簡単に出来た。もちろんずっと商売をするわけではなく、一時的であることとフィレナが試しに見せた商品によって簡単に通ったというのが正しい。

 市場の片隅に商品を並べる。あまり丁寧に並べてはいけないらしい。多少雑多に見えるように洒落込み過ぎないように。それでいて人の目を引くように。

 まだ僕は完璧には出来ないけど、だいぶ上手くなったと思う。僕が並べたところもほんの少ししかフィレナの手直しが入らなかったから。

 並べ終わった辺りでフィレナが声を上げると人がちらほらと集まり始めた。フィレナが売るものはとても貴重なのだ。



「おや、魔女の物売りかい」



 年老いたお婆さんが顔をほころばせながらそう言った。

 とても嬉しいと言わんばかりの表情だ。こういった顔を見るのもよくあることだ。

 魔法を使えるものはいるにはいるが珍しいし、大抵の場合王都にいるからかもしれない。こういった所にいるのは更に珍しい。

 厳密に言うとフィレナは魔女ではないらしい。フィレナ曰く、多少の魔力はある程度長い間修行すれば誰にでも身につくものだという。

 長く生きる間で学んだと言っていた。魔力があるならそれは魔女ではないかと思うのだけどそうではないらしい。それ以前の問題だと言っていた。よく分からない。

 本当の魔女は歳をとることを恐れないのよ、とフィレナは前に言っていた。その言葉の意味も僕にはまだ分からない。



「私はまだ見習い魔女よ。でもどれも魔女のお墨付き。おひとついかが?」



 フィレナがにっこり笑うと、商品は飛ぶように売れていく。

 本物の魔女だと明言しない方がいいのだと言っていた。

 見た目の幼さから本当にそうなのかと疑われる時間が無駄だからとフィレナは笑っていた。だからあくまで見習いと言っておく方がいいのだ。

 そうなると僕はどう思われているのだろう。手伝いとかかな。使い魔だとかだとちょっと面白いんだけど。


 魔法をかけて羽ばたく小鳥の木の置物とか喋るぬいぐるみとか飲むと瞬く間に元気になる薬を入れた小瓶だとかがよく売れた。

 大体のものが売れたから僕とフィレナはそっと笑みを交わした。これでお金の心配は無さそうだ。

 時々魔法を信用していない地域では逆に金を請求されて困ったりもするのだ。これで次の街に行くのも心配は無い。

 同じ場所に長い間留まれないのは大変だけど新しい場所を見れるのは楽しみでもある。

 僕はずっと部屋の中にいたから何もかも新鮮だ。



「見習い魔女さん、防御魔法の道具はないのかい」


「ああ、はいはい。ちょっと待ってくださいね、そういうのは表には出してないんですよ」



 無意味に買われたら危ないから、とフィレナは悪戯っぽく笑った。

 フィレナがごそごそと奥から取り出して来る物を見て、尋ねてきた人は安心したように微笑んでいる。

 なんでもない素振りを装って、フィレナはその人に商品を渡すついでに尋ねた。



「何か危ないことでもあったんですか?」


「最近、人攫いの噂があってね。この辺りにも出たら困るから」



 一人が言うと自分も聞いた、などと周りが騒ぎ始めた。どうやら既に隣街では攫われた人が何人もいるらしい。



「人喰いだの人攫いだのこの頃はなんだか物騒だねえ」



 僕が一瞬固まってしまったことはきっと気づかれてはいない。フィレナがさっと僕の前に立ってくれたからだ。



「この商品はまだ幾つかありますけど、買われますか? きっとお役に立ちますよ」



 小さな盾のようなものを持つフィレナの一声で皆が我先にと手を伸ばしてきた。

 いつもは自分たちようにと残しておくものまで売って早めに店仕舞いをしたのは僕に気を使ってくれたからだろう。

 その気遣いが嬉しくて、同時に申し訳なかった。



***



 昨日とは違う宿に入り、明日の相談をしようとする僕より先にフィレナが口を開いた。



「この街は早く出た方がいいかも」



 妙に深刻そうなフィレナは珍しくて、僕はすぐに返事が出来なかった。

 最低でも一週間は在住するつもりだったのに、すぐに街を出ようという話になったことには驚いた。



「どうして?」


「近くに人喰いがいるかもしれないから。それに思ったよりも広くそのことが話されてる。ユーラントが見てない時に色々聞いてみたんだけど、結構近くの場所で襲われた人もいるみたい」



 それは確かに普通の人からすれば怖いことかもしれないけど、フィレナからしてみればそんなことはないだろう。

 フィレナは僕に出会う前に人喰いを殺したことのあるほどに力のある人だ。

 僕だって仮にも人喰いなわけできっと襲われないと思う。だって共食いになってしまうから。



「ユーラントは同じ人喰いに会ったことがないけど、もしかしたら会ったら分かるものなのかもしれないじゃない? 私も一人ずつしか会ったことがないから分からないけど、人喰い同士なら分かるものがあるのかもしれないし」


「分かったら困るの?」


「ユーラントが人喰いだってことは知られていないもの。これから先だって気づかれないに越したことないわ」



 フィレナの言う通りだった。今まで勘付かれたこともないし、人喰いも人間も見た目は大して変わらないからバレないでここまで来れたけど、いつまでも幸運が続くとは限らない。

 僕はいつまでも逃げなければいけない。生きていようと思うなら。

 ずっとフィレナに苦労をかけながら生きていくしかないのだ。



「反対?」



 フィレナが不安そうに尋ねる。本当は僕に意見なんて求めなくていいはずなのに、フィレナはいつだって僕を尊重してくれる。



「ううん、フィレナが正しい。バレる前にこの街を出よう」



 フィレナが少しでも重荷に思わないように僕は必死に笑って見せた。上手く笑えているだろうか。

 こんなことしか出来ない自分がひどく憎たらしかった。



***



 フィレナが手慣れた様子で交渉してくれたおかげで、比較的安い値段で次の街まで荷台に乗せてくれる人を見つけることが出来た。

 近道をすると言って人気のない道をガタゴトと進み始める。しばらくは何もすることがない。次の街は平和だといいな。

 そんなことを考えていると、フィレナが不意に口を開いた。



「いつもこんなに悪い道を通るの?」



 その問いかけは僕に向けられたものではない。ああ、そうだよ。という返答は明らかに間があって返ってきた。

 やっと僕にも何かおかしいということが分かってきた。フィレナはきっともう少し前からおかしいと思っていたのだろう。

 フィレナは僕の方を見ないままにそっと声をかけてきた。



「……ユーラント、荷物を持って」



 微かに頷いてバレないように静かに荷物に手を伸ばした。



「私が合図したら荷台から飛び降りて」



 何がどうしたのかなんて尋ねる暇はなかった。でも問題はない。フィレナが言うことはいつだって正しいのだから。

 大丈夫だと思えた。フィレナの言う通りに行動すれば何も怖くはない。

 大丈夫、とフィレナに向けて小さく笑って見せた。きっとフィレナには僕の顔が見えていたと思う。

 それなのに笑い返してはくれなかった。小さく笑おうとして失敗したような顔をしていた。



「いち、にの……」



 さん、とフィレナが声を上げ、僕らは手を繋いで荷台から飛び降りた。スピードがあまり出ていなくて助かった。転げることにはならなかったから、そのまま走る。



「あ、おい、待て!」



 後ろからそんな声が聞こえたけど、止まるような馬鹿はいない。

 あいつは何を企んでいるのだろう。まさか僕が人喰いだと分かったわけではないだろう。そうなれば人攫いだろうか。



「こっちよ。大丈夫、身を眩ませれば……」



 フィレナが力強く僕の手を引いた。この手はいつだって安心する。初めて会った時から何も変わらない。



「うわ!」



 突如としてフィレナと繋いだ手が離れた。僕が背後から誰かに力任せに引っ張られたからだ。

 振り返るとさっきの荷台の持ち主だと分かる。こんなに早く追いつくなんて、何度も似たようなことをしているのだろう。だから手慣れているのだ。



「ユーラント!」



 フィレナの声がひどく遠くで聞こえる気がした。すぐそこにいるのに。大丈夫だよ、と言いたいのに、逃げ出さないようにときつく首を掴まれているから上手く声が出ない。

 少し掠れた視界でフィレナの顔がひどく歪んでいるのが見えた。どうしてそんな顔をするんだろう。

 僕は大丈夫だし、もし何かあってもフィレナだけならこんな奴、なんてことないのに。



「手間かけさせやがって」



 木の陰からもう一人の男が現れた。そいつが何故か動かないフィレナの側まで行って、フィレナの腕を捻り上げる。

 咄嗟に動こうとした僕を脅すように更に力を強められた。けほ、と軽く咳き込むだけで済む。僕が人喰いで人より丈夫な体だからだ。



「魔女の見習いだそうだな。高く売れる」



 機嫌の良さそうな声に吐き気がした。こいつらの狙いはフィレナだ。

 一体いつから目をつけられていたのだろう。大抵の奴は魔女の報復を恐れてこんなことしないのに。



「動くな。お前が動けばこいつを殺す」



 気がつくと、僕の首元にひやりと冷たいナイフが押し当てられていた。

 その時になって僕はようやく気づいた。僕がいるからこんなことになっているんだ。

 僕がいなければフィレナは狙われなかった。僕がお荷物だからきっとすぐに攫えると思ったんだ。


 そうか、そうか、そうだったんだ。僕が、僕の、せいで。馬鹿馬鹿しい。

 顔の近くにある男の手まで口を持っていくのは少し大変だったけど、なんてことはない。

 今この瞬間もフィレナは痛い思いをしているのだから、このくらい本当になんてことない。

 必死で身を捩ると、ナイフが首に少し刺さって、フィレナの甲高い叫び声が聞こえた気がするけど、気にしなかった。


 勢いよく僕は男の手に噛み付いた。ガリゴリ、と骨まで一気にだ。フィレナではないのだから遠慮はいらない。

 ああ、それにしてもひどく不味い。墓場の死んだ肉よりも不味いなんて。フィレナの方がもっとずっと美味しい。



「人喰いだ!」



 男の悲痛な叫び声はひどく遠くで響いている気がした。



***



 男の肉を貪りながら、僕は昔のことを思い出していた。フィレナと出会った日のことだ。

 その日、僕は特にお腹が空いていた。両親に近づいて欲しくないと思うほどに。うっかり噛み付いてしまいそうだったから。

 墓場から帰って来た二人は手ぶらだった。僕はうるさい腹の音を聞き流しながら、母の言葉を聞いた。



「ごめんなさい、今日は手に入らなかったの。また明日探しに行くから」



 うん、わかった。大丈夫、気にしないで。お腹はあんまり空いてないから。

 頭の中の言葉はどれも口に出ることはなかった。

 気がつくと、口の中に悲しいくらい美味しい味が広がっていて、僕の近くに父と母が転がっていた。


 至る所を食い千切られた二人の姿と程よい満腹感を繋げたくなくて、でも紛れも無い事実で、僕は途方に暮れたように座り込んでいた。

 ひどく長い時間そうしていた気がした。永遠にも近かった。でも、きっとさほど時間は経っていなかったのだろう。

 ひどく唐突にフィレナはそこに現れた。



「あなた、人喰い?」



 その問いかけに僕は緩慢に頷いた。暗闇の中に突如現れた少女を僕はぽかんと見つめていた。一体いつから、どこから、そんな簡単な問いかけも口からは出ない。

 不思議には思っているのに、何をする気にもなれなかった。だって僕は大切な二人を食べてしまったのだから。



「きみは、だれ?」



 しばらくしても彼女は興味深そうにこちらを見るばかりで何もしてこなかった。

 血の上に座る僕を面白そうに見ている。だからようやく僕は恐る恐る尋ねてみた。



「私? 私は、そうね。あなたは人喰いだから、あなたみたいな名前を付けるなら、私は不死ね」



 何がそんなに楽しいのかくすくすと跳ねるように笑いながら彼女は言った。



「そう、不死。私は死なない。生まれた時からそう決まってるの。どんな怪我も治るし、病には元々かからない。歳は昔はとっていたけど、今はもう成長しない。ずっとこのまま生きているの」



 まるで歌でも歌っているかのようだった。こんな場所に相応しくない陽気さで恐怖さえ感じることを彼女は軽やかに歌う。



「あなたを退治しに来たの。この村で噂になってるのよ。あの家にいる子は人喰いじゃないかって。もしそうなら退治してくれっていう依頼なの」



 ああ、そうか。そうなのか。ここで終わることが出来るのか。



「殺して」



 頼むことは一つだった。もっと早く死ぬべきだった。両親の愛に頼ってこんなところまで来てしまった。



「お願い、僕を殺して」



 きっとこの人は僕を殺しに来たのだろうと思ったから頼んだのに、きょとんと不思議そうに見つめられる。



「生きていたくないの?」


「うん、殺して」


「どうして? 死ぬのは怖いでしょう。痛くても苦しくても、死ぬよりはマシでしょう」



 本気で分からないという風に、彼女は心底苦しそうに顔を歪めた。



「大切な人を殺してしまうくらいなら死んだ方がいい」


「分からないわ。私は自分が死なないことを感謝しているの。だって死ぬのは怖いもの。死にたくないもの。どんなに辛くても死ぬよりはずっとマシ」



 彼女が何をそんなに怖がっているのか、僕には分からなかった。

 ただ楽になりたかった。罪も何もかも忘れて自由になりたかった。この暗闇を暗闇と感じない世界に行きたかった。



「ねえ、あなた。大切な人が死ななければ、あなたが死ぬ理由もないのよね」


「それは……」



 そうだけど、と言った自分の声は掠れていた。確かにそうなれば嬉しいけど、そんなことはあり得ない。

 二人は僕のせいで死んでしまった。死んだ人はもう元には戻らない。

 それなのに彼女はつい、と両親に向けて人差し指を伸ばした。



「その人達、まだ生きてるわよ。大丈夫。私が治してあげる」


「ほんと?」


「ええ、ほんと。その代わり、私と一緒に来て。私と生きて。そうすればあなたは誰も殺さなくていい。私の肉だけ食べて、あなたは私の隣で生きるの」



 どうしてそんな事を言い出したのかわからない。

 僕を退治しに来たんじゃないのか、とかそんなことして何の利益になるんだ、とか言いたいことは色々あった。だけど、



「私はフィレナよ。よろしくね」



 そう言って僕に手を伸ばしたフィレナがあんまりに綺麗だったから、僕は何も言わずにその手を取ったのだ。



***



 考えてみれば、人を殺すのは初めてだ。

 体を無理矢理動かして二人の男の息の根を止め、幾つかの肉片を口に押し込んだところで、僕はふとそんなことを考えた。

 両親は結局なんとかフィレナによって助かったし、きっと今頃は僕のことも忘れて元気に生きてくれているだろう。

 本当は人は殺したくなかったのだけど仕方ない。フィレナの方がずっと大事だしフィレナにこれ以上迷惑はかけたくない。



「食べないで!」



 そう思っていたのに、フィレナはきっと僕の成長に安心してくれると思ったのに、想像とは裏腹にフィレナは悲痛な声で僕には訴えてきた。



「でも証拠を残したらバレちゃうかもしれない。食べたら誰も気づかないよ。大丈夫、量は多いけど食べ切ってみせるから」



 僕は口に運ぶ手を止めない。早くしないと暗くなってしまうし、獣も寄って来るかもしれない。

 早くしないと。僕が他に人に人喰いだとバレる前に。僕がこれ以上人を殺す前に。



「違うの!」


「……なにが違うの、フィレナ」


「違う、違う、違う! お願い。食べないで!」



 フィレナは泣きそうな顔をしていた。僕が手を止めないのがとても非道な行いのような気がした。



「私以外、食べないで」



 それでも手を止めない僕はきっと本当に酷い人だ。でもこうするしかないのだ。



「一人は嫌なの」



 消え入りそうなフィレナの声が耳に届く。



「私を一人にしないで」


「しないよ」



 その言葉は聞き流せなかった。一人になんてしない。フィレナが一緒に来てと言ったんじゃないか。僕から離れるなんておかしな話だろう。



「フィレナを一人になんてしない」



 僕の言葉を信じられないものを見る目でフィレナが見ていた。

 自分の首元にこびりついた血を手でおざなりに拭うと、いつの間にかナイフで切られていたはずの傷口が早くも塞がっていて、僕は首を傾げた。


 二人分の肉を全て食べ終えると、僕はもう満足に動くことも出来なかった。空になった荷台に引き返し、僕らは夜を明かすことにした。



「昔、同じ不死の人に出会ったことがあるの」



 隣に座るフィレナがぽつりと呟いた。



「私は嬉しかったわ。一緒に長い長い人生を生きていけると思ったから」


「……そっか」


「でもね、その人は死に方を探してる人だった。そのために魔法を覚えたとも言っていたわ。私に魔法を教えてくれたのはその人。魔法でも自分を殺せなかったそうよ」



 フィレナはひどく遠くを見る目をしていた。小さく吐き出された息が寂しく消える。



「どうして死にたいのって聞いたの。死ぬのは怖いことでしょうって。そしたら生きてる方が苦しくて怖いって言うの。私にはちっとも分からなかった」



 フィレナは生きていたい人なのだろう。僕にはやっぱりまだ分からないけど。生きているのは楽しいこともあるけど、それ以上に辛いことも多い。

 もちろんフィレナが僕に生きろと言う限り生きるつもりはあるけど。



「その人とは別れたから、今頃どうしてるのかは知らない。上手く死ぬ方法を見つけたのかもしれないし、まだ生きてるかも。私には関係ないことだわ。でもね、私も途方もなく怖くなったの」


「生きることが?」


「いいえ、一人で生きることが。私はこの先一生一人なのかと思ったら堪らなく怖かった。怖くて怖くて、でもそれ以上に死ぬことが怖くて、一緒に生きる人が欲しいと思った」



 フィレナがふっと優しく微笑んで僕の方を見た。



「そんな時に出会ったのがあなたよ、ユーラント」



 月明かりがフィレナの金色の髪をより一層煌めかしていた。



「あなたは死にたがってたけど、それは生きることを知らないからだと思ったの。あなたはずっとあそこにいたから」


「でも、僕もいつかは死ぬよ」


「あなたは人喰いだから、もしかしたら私の肉を食べれば私と同じようになるかもしれないと思ったの。成功するかは分からないけど、もしかしたらあなたも私と同じ不死になれるかもしれないって」



 夢を見るような瞳でフィレナは僕を見ている。



「そしたら私、もう一人じゃないんだって」



 その掠れた声に首を振ることなんて出来るはずもない。



「一人になんてしないよ」


「ほんと?」


「僕は出来ることなら、一生君だけを食べて生きていきたいから」



 それに、と僕は自分の首元を指差して見せた。フィレナは一度不思議そうに首を傾げ、それから歓喜の表情に変わる。

 いつか僕らは同じものになるのかもしれないという予感と喜びがそこにはあった。

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