2-3 兵詰め所
かみ合わない会話を幾度かかわして、小十郎は組頭の幸田というその男に、強い懐疑心を抱いた。昨日赴任したばかりの新人相手に、どうしてここまで警戒する?
鉱山の事を探りに来たとでも思っているのか、口調のいちいちが刺々しい。あるいは、後ろ暗いところがあるから、新入りの行動に目を光らせているようにも感じる。
「急ぎ使いを出そう。これがあれば素早く回れそうだ」
幸田は、渡した紙を疑い深そうにひと通り眺めてから、渋々と頷いた。
その体格は屈強で、身体の厚みも腕の太さも小十郎では勝負にならず、つまりは荒事になれば勝ち目はない。
「ええはい。助かります」
心の中で幸田を要注意人物に分類しながらも、小十郎は当たり障りない口調で「下っ端役人」に徹した。
「宗一郎殿が戻るまでに間に合えばいいのですが」
大げさに不安の表情を浮かべ、さりげなくこの場にいる兵たちの様子を伺った。
詰め所内にいるのは五人程度だが、外には三倍以上いた。この周辺だけでも二十人越え、関所や石銀地区の兵も合わせたら百人ほどか? 交代の人員は大森の町に住んでいるが、それを含めると、少なめに見積もって二百。
鉱夫らの総数と比べると心もとないが……小十郎たち役人を制圧するだけなら簡単な数だ。
幸田が配下に指示を出している間、できるだけ空気に徹してその状況を伺っていたのだが、どうしてもよくない方向に考えが向かってしまい、「不安そう」ではなく真実不安で落ち着かなかった。
しばらくして幸田が戻ってきた。
部下たちに命令を出す様子に不審なところはなく、指示も的確だった。
だからこそなおの事、この男が敵だったら、いや小十郎を敵とみなしたらと想像すると怖くなってくる。
大股な足取りで近づいてきた幸田は、顔色が悪い小十郎を見て何を思ったのか、盛大に顔をしかめた。
「隠し坑道の事は他言するなよ」
ドスが利いた低音で圧を掛けられ、目を見開く。
「……言わずとも皆知っているのでは」
「なんだと」
つい口をついて出た余計なひとことに、幸田はなお一層表情を険しくした。
小十郎は、まずい、ヤバいと思いながらも、ごまかし笑いで流そうとしたが、砕けるほどの強さで肩を掴まれ身体が傾いた。
「どういう意味だ! 何を知っているっ」
「組頭!」
公平を期すために言うのだが、幸田はただ肩を掴んだだけで、乱暴狼藉を働いたわけではない。
だが踏ん張りの弱かった小十郎は、突き飛ばされたように壁に背中をぶつけた。
幸田の部下が止めに入らずとも、それ以上の事は起こらなかっただろう。ぶつけた背中より、掴まれた肩の方が痛いぐらいだし。
「大丈夫ですか? お怪我は?」
だが板の壁に激突した音は思いのほか大きく、そのまま土間に腰を落としてしまった小十郎の無様さを、必要以上に心配された。
助け起こされ、まるで子供にするようにパタパタと袴の土を払われる。
「なにやってんですか、組頭」
「何もしていない」
「したからこんなことになってるんでしょう」
幸田は舌打ちをして、忌々し気に小十郎を睨んだ。
そんな顔をされても、わざとじゃないぞ。馬鹿力め。
「すみません。よろけてしまって」
殊勝に詫びてみせると、幸田はますます嫌そうに顔をしかめた。
「大江様……でよろしいのですよね? はじめてお目にかかります。枝野十蔵と申します」
「あ、大江小十郎です」
互いにペコペコと頭を下げて、まずは挨拶。こういう常識的な相手がいるとほっとする。
「様付けはいらないですよ」
そもそも小十郎は、槍働きに不安があるから役人をしているだけで、いい家柄の出というわけでもないのだ。
「いえいえ、そういうわけには」
枝野はニコニコ笑顔でそう言って、肘でガンガンと幸田の脇腹をごついている。謝れと言いたいのだろうが、幸田にその気はなさそうだ。
「こいつは何かを知っている」
「組頭」
食い気味に言葉を遮られ、幸田の不満はますます高くなったようだが、そうやって敵意を向けられれば向けられるほど、小十郎のほうの警戒心も増す。
結局のところ、彼らがどういう立ち位置にいるかよりも、小十郎にどういう対応をしてくるかの方が重要だった。
「あっ、そういえば」
枝野がニコニコ笑いながら、世間話の体で話しかけてくる。いかにも親し気な、友好的な表情だ。……親し気だからといって、真に味方だとは限らないのに。
「この前町でお見掛けしましたよ。かわいらしいお嬢さんとご一緒でしたね」
油断していた。
枝野のその言葉は、小十郎の柔らかな部分にぐざりと突き刺さった。
ここで顔色を変えなかった自分を褒めたい。瞬きもなく目の奥を覗き込まれて、反射的にニコリと笑みを返していた。
「ええ。身の回りの世話を任せています。一人暮らしだといろいろ大変で」
どうしよう。小菊を巻き込むかもしれない。
足元がぐらつくように、不安や恐怖を抱いたのは一瞬だけだ。
彼女や彼女の両親を守らなければと、逆に腹が座った。
小十郎は、意図して呼吸を整え、表情を笑顔に保ったまま続けた。
「そういえば最近、間者らしきよそ者が町に入り込んでいるそうです。そのことで、後で上の方から何か指示があるかもしれません」
「……間者ですか?」
「大森の町にも商人が増えました。これまでは比較的自由に出入り出来ていましたが、敵国の間者が大手を振って歩いているのは問題です。そろそろ規制する方向に行くようですよ」
大嘘である。いやそのことが深刻に取りざたされたら上も動くだろうし、逆に規制などずっとないかもしれない。
だが小十郎があえてその話題を振ったのには理由がある。お前らはその間者か? 他国に組する者なんじゃないか? そう釘を刺したのだ。
そして枝野は、小十郎の言外の含みを敏感に察知したようだった。
互いに一度じっと見つめ合ってから、すっと視線が離れる。
わかりやすく警戒心を向けてくる幸田よりも、むしろこの男の方が要注意人物だと確信した。