10-8 福船屋別邸
その問いに対する反応は、ひどく微妙なものだった。
否定はしないが同意もしない。それはつまり、どちらもあり得るということか?
小十郎は、これまでよりも強く、身の危険を自覚した。
このままここにいてはいけない。ただの下級武士には凌ぎきれない大きな流れに巻き込まれる。
一番いいのは、大殿に保護を求めることなのだろう。だが、今のご病状を考えると、とてもそんなことを頼める状況ではない。
目代様の庇護下に逃げ込むべきか? 多大なご迷惑を掛けてしまいそうだが。
小十郎はぶるりと身震いした。痛みをこらえながら身体を起こす。
「……それはつまり、某はこの先も狙われるということですか」
かすれ声でそう呟くと、染谷は何とも言えない表情を作って頷いた。
「しばらくは身を潜めていた方が良い」
しばらくってどれぐらいだろう。一か月? 二か月?
「その必要がありましょうか。富田城を離れたら刺客も手を引くのでは」
黙り込んだ小十郎に代わってそう言ったのは伝八だ。
染谷は「だったらいいが」と気づかわし気に言って、首を振った。
「姫君の嫁入り先についてはかなり入り組んだ事情があってな。毛利の庶子などに渡せぬと息巻いている者どもは、大江の命を奪い、その手柄をもとに姫を妻にと望むつもりのようだ」
染谷は、そういう連中が裏で動き始めたのを察して、小十郎の保護を名乗り出たのだそうだ。
「大殿のご指示だということですね」
「本当に毛利の庶子ならば、藤姫の婿だねとしては悪くないと笑っておられたぞ」
伝八と染谷の会話が頭の上を素通りする。
貧乏武家を継いだことさえ荷が重いと感じているのに、藤姫を娶るなどとんでもない!
ありえないと伝えるのに、どう言葉にすれば失礼にならないかと口ごもっていると、伝八が「わかりました」と頷いた。
「お怪我の療養のためにも、しばらくは安静が必要です。その間に山吹城に戻れるようにいたしましょう」
「いや、それもな」
染谷はひどく気の毒そうに小十郎を横目で見て、ため息を一つ落とした。
「毛利の息がかかった者が宗一郎様の身近にいては、後々面倒なことになるやもしれぬ」
「……某は、毛利家とは縁もゆかりもありませぬが」
「そういう噂がまことしやかにささやかれておるのだ。やっきになって嘘だと言い張っても、いったん噂になったものはなかなか晴れぬ」
それってつまり、山吹城にも戻れないということだ。
本城家からは暇を願い出ようかとさえ思っていたのに、本当に戻れないとなると身につまされる。
きっとひどく情けない表情になっていたのだろう。染谷が励ますように小十郎の肩に手を置いた。
「大殿にもお考えはある。お主にとって悪くない話だと思う」
「嫌な予感がするのですが」
「まあ聞け」
染谷は改まった風に背筋を伸ばし、大殿のお言葉を伝えてきた。
言葉自体は短く、端的なものだったが、正直あり得ないというか、正気の沙汰とは思えないというか。
小十郎は震えながら息を吐き、力なく首を左右に振った。
「……勘弁してください」
「大殿の信頼を受け取れぬと申すのか」
「そういう意味ではなく!」
小十郎はすがるように染谷を見上げ、冗談ごとではない真剣な表情をチラ見してすぐに目を逸らせた。
助けを求めて周囲を見回し、驚いた表情の伝八と視線を合わせるが、その目はやけに興奮したようにきらめいている。
「よいお話ではないですか!」
「大江家は小身です。武家とは名ばかりに近い末端です。いきなりそのような話を頂いても困ります」
「そのあたりは根津殿がうまくやるだろう」
根津様の名が出てきて、急に話が現実味を帯びてきた。
たらりと冷や汗が背中を伝う。
「で、ですが」
「大殿は礼をなさりたいのだ。ワシも、あの高さから飛んだお主になら、任せても心配はないと思うている」
「無理です無理です無理です!」
小十郎はとうとうたまらず、悲鳴のような声を上げた。
まだ元服を迎えて一年にもならない若造に、燃え落ちたとはいえ城を任せるなど正気ではない。
「そ、そのようなことになったら、ますます噂が真だと思われるのではっ⁈」
怖気づいたと思いたいなら思え。実際に怖気づいたのだから否定はしない。
大殿からの提案という名の命令は、三瓶山の一帯を、小十郎に任せるというものだ。
銀山に欲の手を伸ばした三沢の領地をどこに任せるかは悩みどころなのかもしれないが、それを小十郎になどと誰も納得しないだろう。
それだけではない。その支配領域の中に、石銀地区が含まれる。つまり、現在は福屋家が管理をしているあの地域を取り上げるということだ。
大揉めどころの話で収まるわけがない。
「待ってください。本当に、待ってください」
小十郎はゼイゼイと荒い息を吐いた。あばらが痛い。上手く息が吸えない。
これはもう、本格的に命の危機だ。
刺客に狙われるどころではなく、正規の手段として討たれかねない。そうなってもおかしくない。
なんとしてでも回避せねばと、忙しなく頭を働かせる。
空回りしそうになる思考を落ち着かせようと、大きく息を吸い込むと、ずきりと全身に痛みが走った。
同時に、天啓が落ちてきた。
染谷の表面的な言葉に驚愕してしまって、大殿の真意にたどり着けていなかったことに気づいたのだ。
「……わかりました」
小十郎は至った結論に心から安堵しながら、なんとかかんとか言葉を紡いだ。
「代官として、とりあえずの差配をしろということですね」
びっくりした。本当に本気で小十郎に城を任せる気かと思った。
これはあくまでも一次的なもの、正式な城主が決まるまでのつなぎに違いない。
現状三沢氏がどうなっているのかは不明だが、残党がいるのならその対処が必要だし、いないのなら空白地帯を管理する者が要る。
確かに、誰かが現地に行っていろいろと手配する必要があるだろう。
「あいにくとこのような有様ですので、すぐには働けませぬ。それでもよいと仰られるのなら、形だけの代官として参りましょう」
まだひどく脈が乱れている。荒々しく胸を打つ心臓に手を置きながら、どこか残念そうな表情の大人二人を見上げた。
そんな顔をしても騙されないぞ。
「まさか某だけではないですよね? 他にはどなたが? 根津様は山吹城のほうでお忙しいので、できるなら文官仕事ができる他の誰かと一緒だとありがたいのですが」
安堵のあまり、ペラペラと口が回る。
まだ指先が震えていたが、こっそり握りこんで隠した。