10-5 病室5
大殿が宗一郎を本城家に出した本当の理由が、わかった気がした。
もう長くはないと悟った時、尼子家を割らないために手を打ったのだ。
小十郎自身、たいして優秀ではないからわかる。もし兄と年齢が逆だったら、嫡男であることにかなりの引け目を感じていたはずだ。
兄君が小十郎と同じように、己よりも弟のほうが優れた資質を持つと感じているなら、思うことも多々あるだろう。
不在時に富田城で謀反が起こった件も、嵌められたと感じたのではないか。
裏に宗一郎の派閥がいると疑っているのなら、この態度も頷ける。
どこの家族でも、多少の折り合いが悪かったり、行き違いがあったりはよくあることだ。武家だけではなく、農家だろうが商家だろうが。
だが尼子家ほどの家門になると、それは弱みにしかならない。
このこじらせが高じて、家門を割るような事態にならないことを祈りたい。
……いや、祈るだけでは駄目だ。
宗一郎と兄君の不仲が顕在化してしまう前に、手を打つべきだ。
小十郎は、自身の腕を掴んでいる虎之助殿に体重を預け、その顔を見上げた。
「新宮党の件はどうなりましたか」
今回の内訌は、新宮党が大元とされている。新宮党といえば、大殿の叔父か大叔父の系譜で、十年ほど前に大きな内乱があってから、その血統は絶えていたはずだ。
本当にその者たちが生き残っていたのかとか、その名を掲げて実際には誰が蜂起したのかとか、そのあたりの詮議は今すすめられている最中だろう。
本音を言えば、関わり合いになりたくない分野なのだが、尼子家の根底が揺らぐ事態になるよりははるかにましだ。
つまり、兄弟共通の敵を作ってしまえ論法である。
「毛利とつながっているという噂を聞きました。本当ですか」
「……なんだと」
小十郎の発言に、真っ先に反応したのは虎之助殿だった。
腕を掴む力が強い。痛い。
「毛利が尼子の足元を狙ってきたのだという噂です。新宮党は口実にされた旗頭にすぎず、多くの家門が旗色を迷っているのだと」
実際は、小十郎の耳に届くところでそんな噂は聞こえてこないが、あながち間違った話でもないと思っている。
毛利の勢力がじわじわと尼子家の勢力範囲内にも浸食している。特に国境を接しているあたりではいざ戦になれば毛利方につく者も出てくるだろう。
それは各国人領主が生き残るためにする選択であり、尼子本家が不安定だとなおのこと、毛利についたほうが安全だと思われるに違いないのだ。
「山吹城は無事でしょうか。宗一郎様や根津様はなんと」
宗一郎の名を聞いて、兄君の眉がびくりと動いた。
「宗一郎様は、尼子家の為にも兄上様の御ためにも、銀山を守るのだと張り切っておられました。 このような事態になるとは想像もしておられぬはずです」
いや、今になって思えば、こういう事態もあろうかと予想していたのではないか。宗一郎がではなく、大殿がだ。
だからこそ、山吹城を離れないように、銀山を何としてでも守るようにと命じられたのだろう。
小十郎は静かに息を整え、痛みでくの字に曲がりそうな身体を伸ばした。
「不甲斐なくもこのような有様になりましたが、可能な限り迅速に山吹城ヘ帰参したいと思うております」
銀山は、尼子家にとっての肝だ。生命線だ。最悪の場合はこの城を失ったとしても、仙ノ山さえあれば復興も可能だろう。
それほどまでに、銀山のもつ財は巨万で、失うわけにはいかないものなのだ。
宗一郎が本城家の婿養子に入ったことは、本来であれば、兄君にとっては競る相手が失せたという意味をもつはずだ。それなのにまだ敵愾心が薄れないのは、銀山がもつその富に由来するのだろう。
疑い出せばきりがない。いったん疑おうと思えば、そのあたりに転がっている小石ですら疑惑の種になる。
小十郎はズキズキと痛むあばらを擦りたくてたまらなかったが、辛抱した。
仕上げとばかりに兄君と視線を合わせ、決意を込めて言った。
「鉱山に、おそらくは毛利由来と思われる焙烙玉が隠されておりました。大森の町には鉄砲が、無視できない数持ち込まれており、危うく山吹城を取られるところでした。今回の件と、あながち無関係だとは思えませぬ」
富田城での戦で、火薬や鉄砲が使われたとは聞いていない。
だが、毛利が関わっていたのなら、知らないところで使われていた可能性は十分にある。
それは小十郎のあてずっぽうだったが、見当違いでもなさそうだった。
何故なら、たちまち虎之助殿の表情が険しく、兄君も苦い表情になったからだ。
小十郎が息をつめて二人の反応を伺っていると、やがて虎之助殿が低い声で言った。
「……すぐにも対処せねばなりませぬ」
用心深い、だが確信を持った声色だ。
「思えば、尾高城でも妙に鉄砲が多かった」
「毛利か!」
兄君の怒声に、小十郎は思わず安堵の息を漏らしそうになった。
いいぞ。うまく意識が逸れてくれた。
「殿を尾高城に足止めしたのやもしれませぬ」
そう言ってこちらをちらりと盗み見る虎之助殿は、果たして小十郎の意図に気づいているのだろうか。
「毛利の好きにはさせぬ!」
兄君は苛立たし気に足踏みをして、鼻を鳴らした。
虎之助殿は小十郎の腕から手を離し、迎合するように何度も頷く。
「もちろんでございます。最悪の事態には至っておりませぬ。これより家中の引き締めに入りましょう」
小十郎は無言のまま、二人のやり取りを見守った。
これ以上余計なことを言う必要はない。少なくとも、今この瞬間の危機は乗り越えただろう。