10-3 病室3
日を追うごとに、嫌な予感が増した。
栗原様は変わらずよくしてくれるし、藤姫様も毎日来る。
それでも、いい方向に進んでいるわけがないと感じてしまうのは、刺々しい視線が絶えず小十郎を見張っているからだ。
何か悪さでもするのだろうと、確信しているかのような目だ。
そんな事はないと主張したくても、そもそも彼らが近づいてくることはなく、小十郎が距離を詰めようとしても無視するか、ささっとどこかに行ってしまう。
居心地悪いどころの話ではない。
怪我で身動きにも苦労する間、細々とした身の回りの世話をしてくれるのは彼らだ。
できることなら友好的にと思うのに、日常の会話ですらままならない。
避けられているのは仕方がないのかもしれない。
問題はその中に、敵意が混じっていることだ。
小十郎は、無言で部屋を出て行く小者を見送って、溜息をついた。
今のところ、直接命にかかわるような問題は起こっていないが、些細な嫌がらせはされている。
こんなところに長居したくなかった。
コツン。
どこからか物音がした。
小十郎ははっとして顔を上げた。
わざとなのか、小者は開けっ放しで部屋を出て行ったので、廊下のほうまで丸見えだ。
その向こう、庭先に見覚えのある男が膝をついて控えていた。
半助だ。
この男は大殿の手の者なのだ、とりわけ用心が必要だ。
小十郎はさっと周囲を見回してから、軽く手招いた。
半助はその場で丁寧に頭を下げ、滑らかな動きで近づいてきた。
そういえば、実際に山中御殿から大殿を救い出したのはこの男だ。
小十郎ではなく、彼こそが優遇されてしかるべきだろう。……針のむしろ状態がいいかどうかはさておいて。
「怪我はないか」
半助が何かを言う前に、この男が負傷していないことを確かめた。かなりの無茶ぶりをしたから、ずっと気になっていたのだ。……人の事をいう資格はないんだけど。
半助は視線を下げたまま、「はい」と小声で返してきた。
小十郎はほっと表情を緩めた。
「そうか」
礼を言うのも違う気がして、軽く頷きかけるにとどめる。
「ご伝言を預かってまいりました」
この男がここに来たのは、大殿に命じられたからに違いなく、改めて居住まいを正す。
背筋を伸ばせば、あらゆるところが痛むが、辛抱できなくはない。
「明後日、お迎えがいらっしゃるそうです」
迎え? 伝八だろうか。
忘れられていなくてよかった。このまま完治までここにいるのかと心配していたのだ。
……いや待て。大殿が小十郎ごときに、わざわざそんなことを伝えてくるだろうか。
また何か厄介ごとではないか?
意識が戻ってから今日で五日目なので、さすがに手を動かした程度では痛まなくなったが、まだまだ思うように身体が動かない。お役に立てるとは思えない。
よくよく聞いてみたところ、大殿自身が療養先を城から別のところに移すらしく、何故か小十郎もそれに同行しろということだった。
えええ……なんでだよ。遠慮したいんだけど。
確かに、富田城は山のてっぺんにあるので、療養するには向かない。
山城はそもそも人が住むようにはなっておらず、小十郎はともかくとして、大殿や姫君たちにとっては不便ではあるのだろう。
だからといって、小十郎にまで気を遣ってくれなくてもいいのに。
半助はそれだけ言って去ろうとした。呼び止める理由はすぐには思い浮かばなかったから、小十郎もそのまま見送ろうとした。
だがその前に、半助は何かに気づいたようなそぶりを見せた。
小十郎も、数秒おいてその理由がわかる。
足音が聞こえるのだ。小十郎を無視する使用人たちのものではなく、栗原様や藤姫様のものでもない。見舞いの客でもなさそうだ。
というのも、ダンダンダンと、もの凄く荒々しい足音だったからだ。
とっさに、逃げ出したい衝動にかられた。
それは正しい本能ではあったが、まだ身体が思うように動かず、素早く行動に移せない。
開け放たれた障子の、見えない方から誰かが近づいてくる。
ここが二の丸だということと、足音の荒さから言っても、身分は相当高く、間違いなく小十郎など木っ端だ。
どうしよう……と周囲を見回し、縋るように半助を見た。
半助はすぐにも立ち去りたそうだったし、実際そうしようとしていたが、懇願の目で見つめると少し考え、浮かせていた腰を静かに下ろしてくれた。
それだけでもいくらか心強い。
やがて現れたのは、どこか見覚えのある容貌の若い男だった。
とっさにそれが誰かわからなかったのは、小十郎が知る尼子家姉弟、藤姫様と宗一郎のふたりと、あまりにも似ていなかったからだ。
だが身なりが良いし、なにより栗原によく似ている。
正体は定かでなくとも、尼子家のお方だというのは確実で、確実に身分は上だ。
小十郎はあばらの痛みを堪えて、正しく貴人を迎える所作で頭を下げた。
故に、その後の男がどういう表情をしていたのかはわからない。
もの凄く怒っていたから、叱責されるのだろうという身構えはあった。
「……大江小十郎か?」
しばらくして、いくらか戸惑ったような口調で声を掛けられた。
「はい」
もちろん顔を上げたりはせず、即座に是と返す。
誰かが咳ばらいをした。たぶん、目の前の男ではない。
「顔を上げられよ」
そう言われ、小十郎はおずおずと上半身を起こした。思わずわき腹に手をやりそうになったのは、痛みが走ったからだ。それはかろうじて耐えたが、苦痛の表情を我慢することはできなかった。
「あー、臥せっているところを済まぬな」
とりなすようにそう言ったのは、栗原によく似た容貌の男に従う、彼よりも少し年上の男だった。
小十郎は、ちらりとふたりを見はしたが、すぐに視線は下げた。
特に先頭を突っ切って、足音も荒く近づいてきた男は、誰の目にもわかるほど立派な身なりで、城中で刀も所持している。
逆らっていい相手ではない。
「臥所に戻ってはどうか? 顔色が悪いが」
「虎之助」
緊張と痛みで、おそらくは相当ひどい様子に見えるのだろう。虎之助と呼ばれた年長のほうが気遣うようにそう言ってくれたが、荒い足音の主がそれを乱暴に遮った。
「この者は父上と藤乃に付けこみ、たぶらかした佞臣ぞ」
「とてもそのようには見えませぬが」
「か弱きふりをして油断させようとしているに違いない!」
……うわぁ。
女中や小者らにそう思われているのはわかっていたが、面と向かって言われるとさすがに引く。
違うと言い訳したくてたまらなかったが、ぐっと飲み込んだ。
相手の正体がわかってしまったからだ。
おそらくはこのお方こそが、尼子家の当代当主。
大殿の嫡男であり、宗一郎の兄君だ。