2-2 帳方詰め所
どうしよう。「○○やっておいて」という指示など、精々農作業かお使いぐらいしかされたことがないぞ。
元服を済ませてホヤホヤ、重大な責任を投げられた経験もなければ、そもそもここでの仕事の一片すら教えてもらえていないのに。
とはいえ、任せられたからには、うまくやらなければならない。
気の毒そうにこちらを見ている兵たちも、視線が合いそうになると顔を背ける。
……ちくしょう。わかった、わかったよ! やればいいんだろう!
小十郎はすっと息を吸い込み、背筋を伸ばした。
頭の中で、宗一郎の指示を思い返してみる。
隠し坑道。……うん、いかにも怪しげなこの言葉は、よく聞き取れなかったことにしよう。
重要なのは、採掘中の鉱夫たちを坑道から出し、吹屋の精錬作業も中断させて、鉱山にいるすべての作業員を広場に集めることだ。全員と言われたのだから、可能な限り一人も残すべきではない。
問題は、小十郎にはその「全員」が本当に「全員」なのかわからないという事だ。
だがそのあたりは、昨日会った三人の頭に頼めば何とかなるだろう。
「いやだが、その鉱夫の頭たちはどこにいるんだ?」
小十郎の困惑ぶりを気の毒に思ってくれたのか、独り言に兵のひとりが答えてくれた。
彼らは鉱夫の頭というよりも、この鉱山で働く作業員すべてのまとめのような立ち位置で、今の刻限なら吹屋に火入れが始まる石銀地区にいるのではないか、ということだ。
石銀はここから徒歩でかなり遠いと聞くが……え? 今から行くの? 小十郎の足だと行って帰ってくるだけでも半日はかかるぞ。
それよりも、兵らの力を借りた方が絶対に早い。
……よし、やるぞ。
小十郎はパンと両頬を手で叩いて気合を入れた。
驚いた顔でこちらを見た兵たちから、箒やはたきや濡れ雑巾を受け取り、丁寧に礼を言って詰め所から出てもらった。
後ろ手に戸を閉めてから、まだざらつきのある床をばたばたと走り、正面の壁にかかっている大きな木の板を見上げる。
そこには、鉱山の全体図が描かれた紙が張り付けられていた。
小十郎には仙ノ山の土地勘などまったくないが、この図面があれば効率よく招集の伝達を送ることができそうだ。いや実際に効率がいいかは二の次で、効率よりも確実にすべての作業員を広場に集めなければならない。
じっくりと地図を見据える。かなり略されたものだが、坑道の一つ一つに番号が振られていて、おそらく見回りや採掘量の把握のために使われているものだろう。
ざっと見たところ、坑道の数は二十から二十五。三十はなさそうだ。
大まかにだが山道の位置も記入されているので、どの道をたどればどの坑道に行けるのかが一目瞭然だった。
この地図によると、仙ノ山の南側中腹にある石銀地区には兵の詰め所もあるようで、少なくとも一人にはそこまで行ってもらわなければならない。遠いから、早めに頼むべきだろう。
小十郎は、誰のものかわからない机の上で墨を擦った。帳場なので、紙の在庫は多くある。一枚を机の上に置き、慎重に筆を走らせた。
幾通りかある山道と、数ある坑道とをかぶらないように整理して、五つの小組に要領よく回ってもらえるように道順を考える。
五枚の紙に、それぞれが担当する坑道の数字を書き、そこの鉱夫に集合を伝えたか否か、崩落していないか否か、簡素だが間違いようのない〇×で記入してもらうようにした。
万が一、この地図にない坑道があるのなら、それはもう小十郎にできることはない。そのあたりは鉱山での務めが長い者に見落としがないよう頼んでおくしかない。
五枚目を書き終えたところで、手が止まった。
再び隠し坑道という言葉が脳裏を過ったからだ。
今回見つかったという隠し坑道は、公の採掘量の数に入っていないものだろう。新しい坑道の入口がどこかにあるのだろうか、あるいは申告していなかった鉱脈?
どちらにせよ、頭たちが知らないということがあるのか?
ぽたり、と墨が滴り紙に落ちた。はっとして筆を硯に戻し、もう一度全体地図を見上げる。
鉱脈についてはわからないが、坑道はこの仙ノ山のいたるところにある。どこかに隠し坑道があったとしても、例えば二十五の坑道が二十六になったところで、小十郎が気付けるとは思えない。
だが、実際に岩を掘る鉱夫たちなら? 掘った石を運び出す者も同様だ。そこが番号の付いた坑道ではないと気付かないわけがない。
不意に、ぞわりと背筋に寒気が走った。
昨日、崩落現場の近くに、役人が寄り付かなかったことを思い出したのだ。
たまたま小十郎の目に留まらなかっただけで、どこかにはいたのか? いや、詰め所から比較的近いあの場所で、役人だけではなく兵のひとりも見かけなかったというのは、やはりおかしい。
新人の宗一郎と小十郎が知らないだけで、ここでは表立っては言えないような何かが、山ぐるみで行われているのかもしれない。
「……いや、まさかな」
小十郎は、脈略のない妄想を頭から振り払おうとした。掠れた独白が、やけに空々しく耳に届く。
書き終えた五枚の紙を手に立ち上がろうとしたところで、自身の手が細かく震えていることに気づいた。
膝が机にぶつかり、鈍い痛みが脳天まで走る。
せっかく書いた紙が、手の中でくしゃりと皺になった。
きっと、気づかないふり、わからないふりをするのが処世術というものなのだろう。
だが大勢が死に、大勢が重傷を負った。あの地獄のような現場で見たものを、処世術で流して許されるのか?
小十郎は無言で、皺のよった紙を手のひらで伸ばした。
両手の腹に大きめの砂粒が食い込み、ヒリヒリと痛んだ。
帳方の詰め所を出た瞬間、どこからか「見られている」と感じた。それはまるで、抜き身の刃を突き付けられたような感覚だった。
ひそかに呼吸を整えて、困惑の表情を作る。
見ている誰かには「箸にも棒にも掛からぬ木っ端役人」だと思ってほしい。実際その通りなんだし。
おずおずと隣の建屋を覗き込み、武装した兵らに声を掛けようとして、そこに先ほど宗一郎に耳打ちしていた役付きっぽい男を見つけた。
最初その男は小十郎に気づかなかったが、隣にいた部下らしき兵に何かを言われてこちらを見る。
視線があって、怯みそうになるのを気合で堪えた。
「宗一郎殿から頼まれた件ですが」
小十郎はあえて、瀬川とは言わなかった。
宗一郎を「瀬川様」と呼んでいた男が、それによりこちらをどう判断したのかはわからない。
勢いよく立ち上がり、難しい表情のまま大股に近づいてきた。