10-2 病室2
ここがどこかというと、城だった。しかも二の丸だ。
朦朧としていたのは一日だけで、翌日からわりと意識はしっかりしていたので、己が置かれている状況に胃が痛くて仕方がない。
……なんでこんなところにいるのだろう。
周りが静かなのは当たり前だ。おそらく最も多い怪我人は下級武士あるいは足軽たちだが、彼らの多くが集められている場所はここではない。
くらり、と眩暈がした。柱に手をついて身体を支え、乱れた呼吸を整える。
視界の下に雲がある。その切れ目から、無残に燃えた山中御殿が見えたからだ。
思い出すのは怒号と剣戟の音。泥と血の臭い。
あのひどい乱戦をつっきって、よく無事でいられたものだ。
ようやく呼吸を整えて、改めて山の中腹あたりに広がる惨状を見つめる。
こうやって高い位置から見下ろすと、どこで戦いがあったのかは一目瞭然だ。この距離で荒らされた細かい所が見えるわけではないのだが、ひどく燃えて黒くなっている建屋がいくつもあるのがわかる。
その範囲の際にあるのが、堀切の向こう側に建つ下屋敷と、さらにその先にある城下町だ。
町に被害が及ばなくて本当に良かった。
「無理をするな。その足で山を下るのは難しかろう」
情けないへっぴり腰で立ち尽くしていると、背後からそう声を掛けられた。振り返ると、そこにいたのはずっと面倒を見てくれている医者だ。栗原草庵という名だそうだ。
「無理をすると、回復に障るぞ」
それは困る。
小十郎は素直に頷いて、痛む足を引きずりながら、もと来た道をそろりそろりと戻った。
一歩一歩が痛い。脂汗がにじむ。
富田城は山の頂に張り付いた城なので、同じ曲輪の中でも高低差がある。怪我人には優しくない道のりだ。
「目を離した隙に抜け出すとは」
「申し訳ありません」
渋い顔をされて、即座に謝罪する。
「おちおち厠にも行けぬわ」
それは本当に済まないと思っている。実際、栗原の目を盗んで臥所を抜け出したのは、これが初めてではない。
逃げようとしたとか、そういうのではなく、二の丸の一室に丁寧に寝かされていることに落ち着かないのだ。
こそこそと、こちらを見て囁きをかわす使用人たちも、きっと不相応だと思っている。
「せめて花の壇(下屋敷)に移らせてください」
「そういうわけにはいきません」
きっぱりとした若い女性の声がした。
小十郎は「でた」と内心思いながら、くの字に折れ曲がっていた背中を伸ばし、頭を下げた。
ひらり、と鮮やかな青い打掛が視界をよぎった。
それが見えた瞬間、使用人たちは魚が逃げるように散った。正論で詰めてくるこのお方に目を付けられたくないのだろう。
やはりもっと遠くまで逃げ……もとい、しばらくは景色を眺めるふりでもして、時間を潰すべきだった。
「ゆっくり養生しなければ、よくなりませぬ」
「……はい」
「今朝も食が進まなかったと聞いております」
「えっ、はい」
なんでそんなこと知ってるんだよ! 小十郎の心の声が聞こえたのかもしれない、これ見よがしなため息が返ってきた。
「大江小十郎」
「はい」
「顔を御上げなさい、大江小十郎」
た、頼むからそんな大声で名を連発しないでほしい。
おずおずと顔を上げると、つん、と顎を上に持ち上げた美しい姫君が真正面からこちらを見ていた。しかも手を伸ばせば届きそうな距離だ。これはよくない。
「小十郎」
飛びのこうとしたが、身体の痛みで思うように動けず、結果としてそれがよかったらしい。見上た姫君の表情が満足そうになった。
「わたくしたちは、そなたに命を救われた恩義を忘れませぬ」
びっくりした。こういうお立場の方々は、やってもらって当然と思っているものだ。
「大殿もそうです」
いや、ものすごく腹を立てていると聞いている。だから、おとなしく目立たないようにして、その怒りをやり過ごそうとしているのだ。
それに、小十郎のやったことなどたいしたことでもない。あの場には、同じように命を懸けた者が大勢いる。
「過分なお気遣いに感謝しております」
「そういう態度がいけませぬ」
当たり障りのない受け答えをすると、ぴしゃりと返された。
「謙遜は美徳ですが、過ぎては付け込まれます。この藤乃がしっかり教えて差し上げます」
し、しっかり? えっ、どういうこと?
小十郎は助けを求めて、その場にいるはずの栗原を探した。……やけに遠いな、おい。
どう見ても逃げようとしている医者に、縋り付くような目を向けたが、にこやかな笑みを返された。ものすごくとってつけたような笑顔だ。
後からわかったことだが、栗原は藤乃様……宗一郎の姉君にあたる藤姫の大叔父だった。つまり、大殿の叔父ということだ。
庶子だというが、尼子本家にとって極めて近い血族ということには違いない。
そんなお方に直々に面倒を見てもらっていたのだと気付き、震えあがってしまうのは随分と後のことで、今はさりげなく距離を開けている栗原を恨めしく睨む。
「聞いているのですか! 大江小十郎!」
だ、だから名前をそんな大声で……。
言いたいことはいろいろとあったが、小十郎は空気を呼んで素直に「はい」と返した。
そのあと部屋に戻され、甲斐甲斐しく……とまでは言えないが、ああだこうだと注意を受けて、無理やりに臥所に寝かされた。
ものすごくいたたまれない。
本当に助けてくれと、実際に世話をしてくれているお付きの年寄たちを見つめてみるが、ほほえまし気な頷きを返されるだけだ。
小十郎はわりと、いやかなり他人の動向が気になる方だから、部屋の外からこちらを見ている女中や小者が何を考えているのかと気が気ではなかった。
そしてその危惧は、大筋で外れていなかったのだ。
藤姫はたぶん、小十郎よりも三つ四つ年上です
身長も、頭ひとつ分は高そう