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銀喰ノ記  作者:
月山富田城
76/86

9-16 山中御殿~

 走る。走る。走る。

 燃え盛る山中御殿を背に、丸めた打掛を、大事に腕に抱えて。

 小十郎だけではなく、あの場に残っていた数人が、囮役を買って出た。

 正直、ひとりではすぐに捕まっていただろうから、ありがたい。

 暗い夜だ。幾度も躓きはしたが、一度も転ばずにいるのは奇跡だった。

 きっと運が味方をしている。


 大殿は、どれほど声を掛けようが揺すろうが、ピクリとも反応しなかった。

 すぐそこまで近づいている敵を前にして、誰もが第一声を飲み込み黙った。

 大殿の望み通りにするか。それ以外の道を取るのか。

 謀反により大殿が討たれたと知れわたれば、大きな混乱が沸き起こるだろう。ここにいる者たちはもちろん、その家門も、厳しい局面にさらされる。

 尼子が揺れれば、間違いなく毛利が仕掛けてくる。毛利だけではなく、そのほかも。

 大殿の死そのものよりも、それによってもたらされる災禍をいかに抑えるかだ。

 回避するためには、何としてでも大殿に死んでもらっては困るのだ。

 即座に判断を下さなければならなかった。

「半助、大殿を背負ってこの囲いを抜けよ」

 小十郎考えた末にそう言うと、周囲は一斉にぎょっと息を飲んだ。

「何を馬鹿な! 素破ごときに大殿を任せるわけにはいかぬ!」

 案の定、真っ先に反対してきたのは側付きの男だ。その場にいる全員が同意見のようだ。当の半助でさえ、当たり前だとばかりに頷いている。

「では最悪の場合、即座に大殿の首を落とし、それを持って逃げ切れますか」

 だが続く小十郎の問いに、反対していた男たちが軒並み黙った。これだけの敵に囲まれて逃げおおせる自信がなかったのだろう。

 小十郎とてそうだ。担いででも逃げようと考えてはいたが、それもここまで敵に囲まれた状態では難しい。

「大殿を失うわけにはいかないのです。……生きていようが、死んでいようが」

 真正直にそのことを告げると、信じがたいものを見る目で睨まれたが、首を渡すわけにはいかない、ということには同意してくれた。

 そうしている間にも、ろうそくから燃え移った火がますます大きくなり、炎の幕の向こう側からは大勢の敵の怒声が聞こえてくる。

 議論している時間はなかった。

「わかった」

 最終的に、そう決断を下したのは側付きの男だ。

「脇坂さま!」

 小姓たちが気色ばんだが、その真っ赤に充血した目で見据えられて黙った。

「だが我らが向かうのは城ではない」

 残り少ない武士たちが、素早くこの先の動きを確認する。

 その間に小十郎は、意識がない大殿の身柄を半助の背に乗せ、落ちないように固定する助けをした。

 枯れ枝のようにやせ衰えている大殿だが、もともとの体格がいいので、結構ずっしりと重い。

 触れた手の冷たさに、今わの際の小助を思い出してしまい、再びジワリと涙がにじんだ。

 生きて欲しい。まだ死んではいけない。

 祈りを込めて、最後にその手をぎゅっと握った。

 半助は、ただ一つの指示を受けて、その場から早々に去った。

 もちろん、全員が半助に任せることに納得したわけではなく、後を追おうとした小姓もいたが、敵の怒号がその足を止めさせた。

 小十郎は黙って、姫君の小袖を腕に抱えなおした。丁度、印首にみえる大きさだ。

 それを見た他の武士たち、伝八までもが、同じように布を丸め小脇に抱える。

 それ以上の言葉は不要だった。互いに視線を合わせることもしなかった。

 ドーン、ドーンと、大きな音とともに、炎の幕がメキメキと音を立てて崩れはじめる。

 水ではどうにも火が消せず、建具を壊して侵入を試みているようだ。

 その場に残っていた全員が、一斉に四方八方に向かって駆けだした。

 そして走る。ひたすらに走る。

 小十郎お得意の、人目のつかない場所に潜り込むという手段が今回は使えない。

 むしろその逆で、できるだけ目立つように。大殿、あるいはその印首がどの方面に運ばれているのか、判断に迷うように。

「あそこだ!」

 怒声が聞こえる。

 振り返らなかったから、それが小十郎を目指してのものなのか、他の誰かなのかはわからない。

 塀を越える自信がなかったので、土塁のほうに進んだ。

 土塁の根本は緩やかな斜面で、もちろんそれでもそこを道具無しで登るのは難しいのだが、幸いにも、土塁の上に上がるための階段がところどころにある。

 敵が塀のほうに集まっていて、土塁方面には少ないというのも大きな理由だった。

 息が上がる。あばらが痛い。もう走るのは無理だ! そう全身が悲鳴を上げる。

 それでも小十郎は、真っ暗な空へと続く階段を登り続けた。

 ようやく土塁の上に到達した。そこにもぐるりと白壁が続いている。

 だが矢狭間と矢狭間の間に木部があって、そこを足場にすれば乗り越えられそうだった。

「待て!」

 足を掛け、上ろうとしたところで呼び止められた。十人程が追ってきている。

 逃げるためには、ここで足場から下りるか、塀の上に上るか。二択ではあるが、選べるのはひとつだけだった。

 改めて打掛の包みを抱えなおす。わずかに漂う香の匂いに、姫君の美しい顔が脳裏に過った。

 宗一郎の姉君だろうか。あるいは従妹? どこか本城の姫にも似た雰囲気だった。……だから嫌だったのかな。

 小十郎は、やけにゆっくりとした思考で、そんなことを考えていた。

「小十郎様」

 小菊の泣き顔。

「若さま」

 春の、小助の心配そうな顔。

 それから、実家の母と兄。

 宗一郎や根津様、目代様の顔まで思い出していた。

 彼らは一様に不安そうな、心配そうな顔をしてこちらを見ている。

 人は、あの世に向かうときに走馬灯を見るという。これがそうか……。

 壁の上から、月も星も見えない暗い夜空を仰ぎ、小十郎は「ああ」と声を出して息を吐いた。

 ビン! と弓を引く音がした。

 不思議と怖くはなかった。

 そうか、死ぬのか。

 淡々とそう感じ、無の境地で一歩踏み出した。

「ご武運を」

 姫君の、気丈にふるまう声が最後に耳に残った。

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― 新着の感想 ―
これは・・・ビアンカ小菊かフローラ姫様か・・・小十郎、YOUどっち派?
ふぁっ? ここで続く! めっちゃヤバイじゃんこんなんしぬしぬやばいやばいやばい。 (ꏿ﹏ꏿ;)
だ、大丈夫。小十郎くんは主人公の名前だから生き延びる…はず()
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