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銀喰ノ記  作者:
月山富田城
71/86

9-11 下屋敷5

 真っ先に、宗一郎の父君である大殿の安否を確かめなければならない。

 可能ならばその無事を確保しなければならない。

 やるべきことはいくらでも思い浮かぶのに、それをやれる者がいない。

 正確には、やろうとしている者はいる。目代様や染谷だ。だがあの大きくて深い堀がそれを妨げている。

「お主はすぐに山吹城へ戻れ。若にこのことをお伝えし、速やかに対処を……」

「それだけお話できるのなら、大丈夫ですね」

 小十郎は、目代様の言葉を遮り、真っ赤に染まった片腕をジロジロと見降ろした。

「人は、腕を失った程度で死にませぬ」

 見たところ、目代様の負傷は肘から下だ。止血も済んでいる。確かに顔色は悪いが、命の危機とまでは行っていないと思う。

「まずはこの状況をなんとかしましょう。三日かけて山吹城に戻ったとしても、兵を率いて戻ってくるのに十日もかかるようでは役に立ちません」

 ぐっと奥歯を食いしばる。

「兄君はどれぐらいで戻れますか。どれほどの兵を率いておられますか」

 宗一郎の兄である尼子家の当主は、現在尾高城にいるそうだ。率いている兵は五千。

 急ぎに急いだとして、戻ってくるまでに一刻。だがこれは単騎の場合なので、兵を率いて戻るのなら数刻は掛かるとか。思いのほか近い。

「すでに急使は送っているのでしょう? では早ければ半刻後にはお戻りですね。我らがするべきなのは、大殿のご無事を確かめることです」

 小十郎は素早く周囲を見回し、山吹城では目代様のお側にいた側近たちが、誰一人としていないことを確かめた。兄君への使者として出たのだろうか。あるいは、目代様をお守りして……首を振って、よくない想像を振り払う。今は憶測で何かを考えている時間はない。

「敵も、兄君がどれぐらいで戻られるか考慮しているはずです。それまでに済ませようとしているでしょう。急がねばなりません」

 事情をよくわかっていない小十郎でも、決起した者が狙うのは大殿の首だとわかる。

 下々の家臣が代替わりの事を知らないぐらいだから、家中における兄君の権力はそれほど大きくないとみるべきだろう。今となってみれば、それも連中が意図してそうなるように仕向けたのかもしれない。

 この状況で大殿がいなくなり、富田城を奪われたら、若い兄弟にとっては風下もいいといころだ。手も足も出ない状況になるのではないか。

「山中御殿に向かう抜け道がある。今、通路を掃除させているところだ」

 目代様の声が、心なしか強くなった。顔色は変わらず悪いが、目に気力がある。

 小十郎は小さく首を傾げた。

「敵も知っている通路を使うのはどうでしょう。待ち伏せされているのでは」

 新宮党とやらは、十分な準備をしたはずだ。兄君も宗一郎もいない、兵も手薄になる時期を慎重に見極め動いたはずだ。

 そんな連中をかいくぐって、大殿の身柄を確保できるだろうか。それにすべてがかかっているといってもいい。

 小十郎はじっと目代様を見つめた。

 目代様も小十郎の顔を見つめ返してくる。

 ……ドクッと心臓が大きく脈打った。

 待て、小十郎がそれを決めるのか? そんな馬鹿なことがあるか。下っ端の家臣にそんな権限があっていいはずはない。

 だが間違いなく今が岐路だ。それがはっきりとわかった。

 ふと、懐に潜めた宗一郎の文に重さを感じた。ズシリと重いのは、息子が父を想う軽くはない感情だ。

 山吹城に戻って、「無理でした」「できませんでした」と報告するのか? どの面下げて?

 脳裏に過るのは、何かを耐えるような宗一郎の顔だ。泣き顔に見えるのがズルい。

 ――ああ、わかった。わかりましたよ!

 小十郎はぎゅっと眉間にしわを寄せて、口の中で呟いた。

 そこで確実に、何かが変わったのを感じた。


 染谷をはじめとする部隊が隠し通路とやらから攻め込むのは、そのまま続けることにした。

 半助先導の遊撃隊が、大勢が右往左往する空堀を通って山中御殿に潜入する。

 小十郎はその遊撃隊の一員として、十名ほどの男たちとともに目代様のもとを離れた。

 見送る目代様の、「くれぐれも頼む」と言いたげな視線に目礼する。

 腕などからきし立たない小十郎に期待しないでほしい。そう思いながらも、感情的にも状況的にも無下にはできない。

 目代様も染谷も見えなくなってから、ようやく重くため息をついた。

 小十郎を全く信用していない遊撃隊の面々が、ジロジロとこちらを睨んでくるが、本当に勘弁してほしい。

「堀を抜けるまでは楽に行けます。問題はその先です」

 半助のその言葉に、小十郎は小さく頷いた。

 再び堀の際まで戻ると、そこは旗指物をつけた兵らに埋め尽くされていた。覗き込むと堀の中に、端や小者らが駆け込んでいく。

 堀際にいる兵らが、油壷を持っていることに気づいた。これはちょっと良くないんじゃないか。

 半助に向かってそちらを指さすと、難しい顔をされた。

 仕方がないので、足元に落ちていた小石を拾って投げた。礫は得意だ。小弓と同じ要領だから。

 目指す標的は、もちろん今にも撒かれようとしている油の壷だ。

 小石を投げた瞬間、ぐいと誰かに襟首をつかまれた。

 踏ん張れずにすってんと真後ろに倒れ、そのまま茂みに仰向けに引きずり込まれる。

 遊撃隊の面々から、「何をやってるんだ!」と責めるような視線を浴びたが、半助は違った。

 その瞬間も手元も見えなかったが、動きだけで何かを投げたのがわかった。

 ボッと火が付く音がした。同時に、怒声と悲鳴が上がった。

 仰向けに倒れていた小十郎は、何が起こったのかさっぱり分からずに、慌てて首だけ起こして様子を見ようとした。

 だが見えたのはうっそうとした茂みと、薄闇の空だ。

 夜の空に月はなく、星も見えない。

 ただ、音を立てて炎が立ち、周囲に熱気が立ち込めるのを感じた。

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― 新着の感想 ―
目代さま、無くした片腕は小十郎が務めます! ᕙ(:˘∧˘:)ᕗ
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