9-8 下屋敷2
すごい。あっという間に襲撃者を撃退してしまった。
一人二人ではないのだ。ざっと数えたところ十人を超える。
いや、見とれている場合ではない。たかが商人を襲うのにこれだけの人数を用意するとは、少なくとも襲撃を命じた者は、小十郎の正体に気づいていると見るべきだろう。
柱に押し当てていた背中を離し、まっすぐ伸ばす。
同時に、最後のひとりを追撃で蹴飛ばした染谷が、脇差を振って血糊を落とした。
何がすごいって、その場にいる多くに息があることだ。
染谷の腕なら殺してしまうこともできたはずなのに、おおよその者は行動不能になるように念入りに“壊されて”転がっている。
彼らが生きているのは、やまない苦痛の声と、上下する胸の動きからわかる。
果たしてそれを、命拾いしたというべきか。
黙々と襲撃者たちの顔覆いを外していく染谷は、三人目あたりから表情の渋さを増し、五人目を越える頃には逆に無表情になっていた。
転がっている全員を拘束してから、背筋を伸ばして座っている小十郎を振り返る。
「……説明しろ」
「困りました」
本心からそう返したのだが、染谷の鋭い眼光が嘘やごまかしは許さないとばかりに睨んでくる。
「何故そのほうが狙われている」
言いたいことはわかる。襲撃者たちが、尼子家の禄をはむ者だと気付いたのだろう。
逆に聞きたいのだが、染谷はこれでいいのだろうか。襲撃者を撃退したということは、おのずと立場が宗一郎寄りとみなされる。
いや、いいも悪いもない。そもそも染谷は、小十郎が何者かなど知りはしないのだ。
それなのに立場が決められてしまったのは、気の毒だとしか言いようがない。
小十郎は、先ほどより近い距離で仁王立ちになっている染谷を見上げた。
特に筋骨隆々というわけでもないのに強面すぎて、まるで憤怒像に睨まれているような気分になった。
「本城宗一郎様より書簡をお預かりしています」
はっと息を飲んだのは侘助だ。その目がきょろきょろと周囲を見回した。誰かに聞かれたのではと心配したのだろう。
今更だ。襲撃者はもう知っている。
小十郎はしっかりと染谷と視線を合わせ、軽く頭を下げた。
「大殿にお取次ぎいただけないでしょうか」
「……つまり、福船屋伝八もそれが理由で襲われたのか」
最短で結論にたどり着いた染谷に苦笑を返す。
「おそらくは」
息子から病身の父へ、ただ近況を告げるだけの内容なのに。
こんなもののせいで過剰に反応し、大勢の前途有能な家臣を潰した。もっとうまく立ち回ることはできなかったのか。
「染谷様が我らを迎えたことに焦ったのでしょう」
小十郎はちょっと首を傾け、苦痛に呻いている襲撃者たちを改めて見回した。
「……もっといい機会もあったでしょうに」
染谷はここから席をはずすところだった。襲撃があと少し遅ければ、結果は真逆だっただろう。
「のけ! これは何の騒ぎだっ!」
廊下をばたばたと駆け寄ってくる気配がした。騒ぎを聞きつけた者たちが集まってくる。
やがて現れた男たちは、室内の惨状を見て唖然とした表情で立ち尽くした。
「そ、染谷殿?」
これはどういう状況だと、混乱した様子なのは、やはり転がっている男たちの素性に気づいたからだろう。
さあ、ここからだ。宗一郎の文を握りつぶしたい何者かは、次はどう動くだろう。こうもたびたび襲撃事件が起こっては、さすがに何事もないふりは厳しいぞ。
耳を澄ませ、目を凝らす。
これからどうなるかを見極めようとしたのだが、事はそれほど単純ではなかった。
きっかけは、宗一郎の文かもしれない。
だが、騒乱の要素は熾火のようにずっと、燻ぶった状態でそこにあったのだ。
誰かがふうと息を吹きかけた。誰かがそっと火口を置いた。誰かが起こった火に枯れ枝をくべた。
それぞれは互いに反目しあっていたのかもしれないが、宗一郎がつけた種火は相乗効果で大火になった。
……むしろ燃えすぎたまである。
確実によくない方向に進んでいる。誰もがそう思っただろうに、誰にもそれを止めることが出来なかった。
「どうしてこうなった」
そうつぶやくと、侘助が呆れた表情で首を振った。
小十郎のせいだとでも言いたそうだが、違うからね。
詳しいことはわからない。ただ、下屋敷の中は混乱の声がそこかしこから聞こえ、小十郎同様「どうしてこうなった」と思っている者が過半数だろう。
果たして、状況を正確に把握できている者がどれだけいるだろう。
小十郎はため息をつき、下屋敷の一室で放置されたこの状況を、何とか生かせないかと思考を巡らせた。
染谷にここにいるようにと言われたのだから、おとなしく従っておくべきだ。
商人の恰好をしているだけに、この部屋から出て下屋敷をうろつくのは危険だし。
だが、小十郎や伝八を襲うように命じてきた者たちは、状況が落ち着いたら再びこちらの存在を思い出すだろう。
今襲われたら防げるとは思えない。全員殺されて終わりだろう。
不意に、ひときわ大きな悲鳴が聞こえた。ひとつではない。いくつもの男女の絶叫だ。
侘助が不安そうな顔をして、締め切られた障子の向こうを透かし見ている。
「山中御殿に火が付いたぞ!」
誰かが大きな声で叫ぶのが聞こえた。
小十郎は腰を浮かせた。
その日、富田城内で内訌が勃発した。