9-3 富田城下町3
伝八は、強く頭部を殴られて失神し、そのあと目を覚ましはしたが起き上がれずにいるらしい。大きな負傷でなければいいのだが。
何があったのかは、使いの男は明言しなかったが、やはり「襲撃された」のだろう。無言のうちに、尋常ではない事態なのだと告げている。
もちろん危機的状況なのはわかっている。だが伝言通りに、ここに籠っているのが一番いい方法なのかは疑問だ。
小十郎は苛々と身体を揺らした。無意識のうちに結び文をクシャリと握りつぶしてしまい、舌打ちしながら皺を伸ばす。
「伝八はどこにいたのだ? 城の中か?」
「……はい。二の丸奥です」
二の丸。……そう言われても、城の構造には詳しくないのでピンとこない。
「誰かと同席していたのか? それとも、通される前に?」
「申し訳ございません。わかりません」
はっきりとした断言に近い応えに、小十郎は数呼吸のあいだ追及をとめた。
顔を床に向けて、こちらに目線も寄越さない男をじっと見つめる。
この男は何者だと、再び懐疑心が沸いた。
伝八が信頼して伝言を託したのなら、疑うべきではないのだろう。そもそも小十郎には伝八以外に頼れる者はいないのだから。だが……。
「それは、言うつもりがないということか、本当に分からぬのか、どちらだ」
男からの返答はなかった。わからないなら、そう言うだろう。つまり言うつもりがない……というよりも、言えないのかもしれない。
小十郎は少し考えて、別の角度から尋ねてみた。
「お主をここに寄越したのは、まこと伝八か?」
やはり反応はない。だがそれこそが、正解の問いなのだとわかった。
「なるほど。よくわかった」
小十郎がそう言うと、男はわずかに視線を上げた。それでも目は合わないが、障子越しの明るさにその容貌が初めてはっきりと見て取れた。
なんという特徴もない、本当に若いのか、意外と年を取っているのかもあやふやな容貌だ。人ごみに紛れたらあっと言う間に紛れてしまうだろう。
「これだけは教えてくれ」
小十郎は静かに問いかけた。
「伝八は生きているのだな?」
男は再び頭を低くした。
「……本気ですかい」
小十郎の要求に難色を示したのは、福船屋の番頭頭、侘助だ。伝八のかわりに小十郎の面倒を見てくれていたのだが、わがままを聞けとまではいわれていないらしい。
「いいじゃないか。ここで武士の恰好をしては目立ちすぎる」
「ですが」
「ちょっと外の空気を吸いたいだけだ」
小十郎の言葉を全く信用していないのが表情でわかる。
半白髪の、皺の多い顔が微妙な感じで歪み、やがて小さなため息をついた。
「正直におっしゃってください」
「嘘はついていない」
「では、どちらにお出かけに?」
小十郎はちらりと周囲を見回してから、侘助から顔をそむけた。
「……親父殿を引き取りに行く」
「親父殿?」
「城で倒れたらしいのだ。卒中かもしれぬ」
ぎょっとしたような男たちの視線が小十郎に集まった。
「えっ、親父殿って、え?」
手代がこそこそと囁きをかわすのが聞こえる。
侘助が当惑したように首を傾けた。
「流石に無理があるのでは」
「ではこのまま待つだけか?」
小十郎はそう言い置いて、部屋の隅の暗がりに控えている男を見て顎をしゃくった。
「半助が案内してくれるそうだ」
その場にいた全員が、まるで壁の一部であるかのようにじっと動かない男に目を向けて、すぐに視線を逸らせた。
「音無しを信じなさるんで」
「そう言う問題ではない」
内心では「オトナシってなんだ?」と思いながら、どうでもいいと首を振った。
「音無しだろうが顔無しだろうが、仕事をこなしてくれればそれでいい」
男たちは互いに顔を見合わせ、実に複雑そうな顔をした。
後から知ったのだが、音無しというのは忍びの別称だそうだ。初めて聞いた。
「伝八のもとに連れて行ってくれるそうだ」
侘助はぎゅうと眉間のしわを深くしながら、感心しないという風に小十郎を見下ろした。
「行ってどうなさるおつもりで」
「もちろん連れ戻す。身体が利くならよいが、身動きできぬ状態は命に係わるのではないか」
「旦那様は百も承知ですよ。覚悟の上です」
「勝手に覚悟されてもな。生きていてくれねば困る。お主らもそうであろう」
小十郎は、ことさらじっと侘助を見つめ、頷いた。
「息があるなら連れ帰る。必ずだ」
「お考えはわかりました。ですが……」
侘助はなおも納得いかないという風に首を振り、すうと息を吸い込んだ。
「それとこれとは話が別です」
小十郎はむっと顔をしかめ、賛同者を探して周囲を見回すが、誰一人として頷きかけてはくれなかった。
「何をどう考えたら、大江様が旦那様のお子として城に上がることになるのですか!」
駄目か? 富田城に入り込む……もとい、伝八のもとへ駆けつける絶好の口実だと思うのだが。
「ならば下っ端の手代でもよい」
「そういう意味ではございませぬ! お武家様が商人に身をやつすなど」
「だが、伝八もそうではないのか?」
そう口にした瞬間、その場の様子が変わった。
一気に敵地になったかのような、ひやりとする沈黙。
まずかったかと誤魔化そうとしたところで、侘助が座った目つきで口を開いた。
「……どなたからお聞きに?」
「誰ということはない。そうではないかと思っただけだ。……どうやら違わないようだな」
これまでは、武士に対する丁寧さを装っていた男たちが、剣呑さを隠そうともせずこちらを見ている。
とはいえ、武器を突き付けられたわけではなく、特に心配はしていなかった。
ただ、男たちの一番後ろにいる半助が、懐にそっと手を突っ込んだのが、やけに目についた。