9-1 富田城下町1
砦を越えて、黙々と先を急ぎ、ふと呼ばれた気がして視線を動かした。
山道の脇が開けた先の木々の間に、黒い何かが見える。
いや、何かではない。燃えた城の跡だ。
そうか、三瓶山か。三沢の主城があった山だ。
彼らがどんな思惑で銀山に攻め込んだのか、小十郎のところにまでその真相は伝わっていない。
ただ、失敗すれば何もかもを喪うとわかっていての決起だったはずだ。
その結果三沢の殿様は討ち死にした。一族は裏切り者として尼子家に攻め滅ぼされたのだろう。
これまでは考えまいとしていたそのことが、露骨なまでに生々しい現実として、いまだに煤けた臭いを漂わせながらそこにあった。
三沢家といえば、本城家よりも大身の尼子家重臣だった。抱えている家臣も多かったはずだ。
それらがすべて、泡沫のように消えてしまったのか。
小十郎は改めて、厳しい現実を見せつけられ身震いした。
馬の脚は止まることなく先に進むので、その焼けた櫓はあっという間に木々の間に紛れて見えなくなった。
ぐっと奥歯を噛み締める。
弱肉強食の戦国の世。油断してはならない。弱みや隙をみせてもならない。
小十郎の些細な言動が、もしかすると宗一郎や大森の町に重大な災いをもたらすかもしれない。
もう一度、燃え跡が見えた山裾に目を向ける。
明日は我が身など、冗談じゃない。
一度でも気を緩めたら、あっという間に食い散らかされて終わりだ。
そのまま馬を進めて、やがて月山のふもとにたどり着いた。
数刻の旅路の間も気を張っていたのだが、恐れていた襲撃はなかった。
あとから聞いた話だが、根津様がきちんと根回しをしてくださっていたらしい。
もしそれがなければどうなっていたかは……憶測にしかすぎないが、おそらくは何事もなかったのではないか。
というのも、富田城下の治安は落ち着いていた。尼子の殿様が病気で倒れたなど、誰も口にしないのだ。知らないからか、自粛しているからかはわからないが、少なくとも動揺の気配はない。
だからといって、大ごとになっていないとは思わないが、少なくとも城下の空気は平穏だった。
そして拍子抜けしたのは、小十郎が想像していたほどの規模の城下町ではかったことだ。
ここが尼子のお膝元かと見回してみて、たぶん地の果てまで続く町並みを期待していたのだろうが、建物の数も、道行く人々の量も、大森の町よりも随分と小規模で、建屋の数も店の数も少なかった。
大森の町は下町の占める割合が大きいが、富田城下はもっと構えが大きな屋敷が多い。
尼子のご家臣や、それに類する者たちが暮らしているのだと思う。
商いの声もまばらで、人の行き来もそれほど多くはなく、だが寂れたようすもない整然と整った町並みだった。
道はまっすぐに伸び、屋敷の並びはきちんと揃っている。
まるで人が住まうための町ではなく、仕えるための町のように見えた。刀を捧げ、命を差し出し、ただひとつの山に仕える者たちの。
小十郎は顔を上げた。月山が、視界いっぱいにそびえたっている。
ただの山ではない。無数の曲輪がその背に重なり、石垣と柵が骨のように張りついている。
頂を雲に隠したその姿は、山というよりも、巨大な「何か」の背中のようだった。
眠っているようにも、今にも鎌首を持ち上げそうにも見える。
侵せば目を覚まし、牙を剥くのだろう。
「ここが、月山……」
吐き出した声は、まるで自分のものではないように、小さく頼りなかった。
足の裏から伝わる、形容しがたい気配。それまるで、地の底から立ちのぼる神聖な何かの鼓動のようにも感じられた。
「しばらく休みましょう。その間につなぎをつけます」
伝八からそう声を掛けられて、はっとした。
引き寄せられるように、富田城の威容から目が逸らせなかったのだが、ようやくするべきことを思い出す。
……あそこに行くのか?
感じたのは、恐れ多いという畏怖の念だ。小十郎ごときが足を踏み入れて許されるのか。
「取り急ぎ、手前どもの店にご案内いたします」
二の足を踏んだ小十郎の怯えに気づいていないのか、伝八はまったく気負う様子もなく言った。
富田城下に店を構えているということは、この場所に慣れているのだろう。
そのことにいくらか安心感を覚えつつ、無言で頷きを返した。
伝八はまず先方の都合を聞くために城へ向かった。
当たり前の事ではある。いくら宗一郎の文を運ぶ御役目を任されたからといって、小十郎程度の下級武士がいきなり訪問できるわけがない。
情けないことだが、とりあえずの猶予に深く安堵した。
心構えをする時間が取れるのはありがたい。
富田城下に来てから、小十郎は驚くべき話を聞いた。
尼子家は既に、宗一郎の兄が跡を継いでいるそうなのだ。しかも何年も前に。
まったく知らなかった。
いや! 言い訳をさせてもらうが、つい半年前、小十郎の父が討ち死にした戦の歳にも、全面にでていたのは前当主のほうで、当代の気配は極めて薄かった。
小十郎同様、知らない者は多いはずだ。
宗一郎の同母兄とのことだから、二十も年が離れているということはないだろう。
つまり、相当若くに家督を譲られている。それなのに、ここまで表に出てこないというのは異常だ。
その理由についていろいろと思いつくことはあるが……厄介ごとの臭いしかしない。
父親が死ねば、ようやく実権を握ることが出来ると思っているか、あるいは、偉大な父を失うことを恐れているか。
どちらにせよ、この時期に宗一郎が本城家に婿養子に出されたことと無関係ではないだろう。
せめて兄弟仲についてもっとよく聞いておくのだったと、腹をさすりながらため息をついた。