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銀喰ノ記  作者:
山吹城
59/86

8-11 御座所曲輪奥8

 暗すぎる部屋に光を入れた。襖を開けた瞬間に、神妙な顔をして控えていた宗一郎の側付きたちに、書くものを用意するようにと頼む。

 宗一郎は特徴がある文字を書くので、それだけで誰の手かわかるだろう。

 あとはその文を、確実にお父上に届ける者を探すだけだ。

 根津様なら何とかしてくれるに違いないが、今回は念のために複数の経路を考えている。

 小声で護衛の一人に頼んだのは、厨に向かうことだ。

 福船屋はほぼ毎日、城にご用聞きに来ている。いつも昼過ぎなので、そろそろだ。

 小十郎よりもかなり年上のその護衛は、心得たように頷いて、軽く頭を下げてその場を去った。

 やがて文机と文を書く用意が整った。

「他にも紙はありませんか?」

 小十郎が尋ねると、その男は少し考えるそぶりをして、一礼して席を立つ。

 城主である宗一郎が使うのだからと、気を利かせていい紙をもってきてくれていたのだが、ひそかに届けるのなら、もっと普通の紙のほうがいい。

 小十郎は改めて振り返り、こちらに背中を向けている宗一郎のほうを見る。

 誰の声も聞こえない様子で俯いているから、お父上のことを回想しているのかもしれない。

 邪魔をするのは申し訳ないが、ゆっくり待つ時間が惜しい。

「殿」

 小十郎の呼びかけに、馬のしっぽのような髷がぴくりと揺れた。

「書くことはお決まりですか」

 これが父親に向ける最期の文になるかもしれない。

 それがわかっているからだろう、俯いたその横顔はつらそうにこわばっている。

 馬を使えば二、三日で往復できる距離なので、ものすごく遠いというわけでもないのに、会いに行けないのが不憫だった。

 小十郎が銀山から抜け出した時のように、手代に扮してお忍びで行くか? いや、宗一郎の存在感を隠すのは難しいだろう。

「同じ内容のものを二通書いてください。どちらかが確実にお父上のお手元に届くよう、手配します」

 少し言葉を溜めてから、続ける。

「お二人にしかわからないことを、さりげなく織り交ぜて書いてください。たとえば、あの時の柿がうまかったとか、黒竹のたてがみの飾り紐の色とか」

 黒竹というのは、宗一郎がお父上から贈られたという愛馬の名だ。

 すぐに届けられた紙は、文官が日常使いにしている、いくらか黄ばんだ色のものだった。いささか格が足りない気もするが、だからこそ目立たなくていいだろう。

 宗一郎は、てきぱきと整えられていく室内の様子を黙って見ていたが、やがて一度ぐっと床を見据えてから顔を上げた。

 泣いてはいなかった。目は真っ赤だったが。

 泣けばいいのにと言いそうになって、その言葉は飲み込んだ。

 いつでも容易く涙腺が緩む小十郎と違って、宗一郎には立場があるのだから仕方がない。……いや、仮に小十郎が同じ立場だとしたら、傍目も気にせず号泣していそうだが。

 励ますように頷きかけると、宗一郎はぐっと唇をへの字にゆがめてから、見ていてもわからない程度に小さく首を上下させた。


 読めと言われたので読ませてもらったが、わりとありきたりな内容だった。

 親子の間だけでわかる何かが込められているのだろう。

 どうあっても文字がうまくならないという愚痴と、いつも叱られている畜生めという、どう考えてもふさわしくない語句もあったが、そこから書き手を推測するのは難しいだろう。

 いかに文字に特徴があるといっても、まさかこれが病床の父に届けられるものだとは思うまい。

 むしろ、故郷で心配している父への、「がんばっているから、こちらのことは心配するな」という近況報告のようなものに見えた。

「……読み取ってくれると思う」

 若干不安そうに、だが確信を込めてそういう宗一郎を見て、小十郎は頷いた。

「すぐに手配します」

「誰が届けるのだ? 今の富田城に入るのは難しいはずだ」

「伝八に頼むつもりです」

「福船屋か」

 宗一郎は少し考えこんでから、ちらりと小十郎を見た。

「あれは父上から預かっている男だ。確かに、文を預けるには適役だろう。だが……」

 だが……なんだ? 嫌な予感がした。

「それでは、すぐに届けさせます。御免」

「小十郎」

 呼び止められたので、即座に返した。

「絶対に嫌です!」

「……まだ何も言っておらぬではないか」

 言われずともわかる。厄介ごとだ、間違いなく。

「まあ待て。同じものをもう一通書くのだろう」

 小十郎は、浮かせかけていた尻を渋々下ろした。

「なぁ、小十郎」

 宗一郎が筆を動かしながら話しかけてくる。聞かないわけにもいかないので、「はい」と無難に返しておく。

「お主は、本来なら大江家を継ぐはずではなかったのか?」

 想像していたのとは全く違う質問をされた。

「……兄がおりますので」

 用心しながら宗一郎を見つめ、言葉を選ぶ。

「どんな兄だ?」

 これはどう答えるべきだ? これまでに宗一郎の兄弟について聞いたことはない。お父上の話は割と頻繁に聞くのだが。

 それが即座に兄弟間の不仲を示すものではないはずだが、事情がありそうだとは感じていた。

「普通の兄です」

「普通?」

 いったん顔を上げ、小十郎を見て笑った。

 まだ目が赤いからか、どこか皮肉気に見えた。

「某よりは武芸事ができますが、得意とまでは言えません。文仕事は好みません。口下手ですが、実直です」

「……普通だな」

「はい」

 特出したところのない、凡庸の極みのような兄だ。悪口ではない。なんでもある程度は器用にこなすといってもいい。

「大江家は代々そんなものです」

「そうか」

 宗一郎は何故か、納得したように頷いた。

「うちとは大違いだ」

 農民とそう変わらない貧乏武家と、出雲の雄だぞ。比べてどうする。卑下するつもりは全くないが、比較するのもおこがましい。

 だが宗一郎は、むしろうらやまし気に見えた。

「父上と兄上に、伝えて欲しいことがある」

「某に言うのは間違いでは」

 何故か唐突に、遺言でも伝えるような表情をしたので、あえて軽く流そうとした。

「ワシはこの地を離れぬ。命をとしても守る」

 シン……と室内が静まり返った。これまでは静かに動く気配がしていたのに、誰もがその場で固まっていた。

「ご安心をと」

 それは、近く戦乱に巻き込まれることを覚悟しての言葉か。尼子の家督に色気は出さないという意味か。こんなところで宣言されてもなぁ。

 え? この言葉を伝えるって? ……誰が?

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馬を使えばニ、三日で往復──石見銀山から月山富田城までググったら約100km。島根県まで遠すぎるので土地勘のある足尾銅山で考証。古河掛水倶楽部を2km徒歩圏で宿場の大森町に、100km離れた小山市の祇…
>え? この言葉を伝えるって? ……誰が? 勿論小十郎くんですね~。がんばれ! ( ・∀・ )ゞ
死にゆく父へ、故あって死に目に会えない息子からの言伝ですよ 向かう先が虎口であってもこれは断れないよなぁ……
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