8-10 御座所曲輪奥7
その知らせが入った時、小十郎は宗一郎の近くにいた。
ちょうど真正面の位置だったので、さっと表情が固まるのが事細かく見て取れた。
ある程度の覚悟はしていたのだとわかった。
ずっと病を隠していたのだろうか。近いうちにこうなるとわかっていたのだろうか。
宗一郎の目が、ぐるりと周囲を見回した。
誰も何も言わない。根津様もだ。
「……わかった」
宗一郎は、急使の男に言葉少なく返した。
「支度をしましょう。駆け付ければ間に合うはずです」
小十郎の言葉に、宗一郎は首を横に振る。
「今ワシがここを離れるわけにはいかぬ」
幸いにも危篤の知らせではない。宗一郎は父親の容体よりも、混乱が起きることのほうを気にかけた。
正直、宗一郎ひとりが欠けたところで、戦力的に大きな差が出るわけではない。
だからすぐにも行くべきだと、小十郎はそう言いたかったが、厳しい宗一郎の表情から、こうなった場合の覚悟を決めていたのだとわかった。
「父上の事は伏せよ。福屋が来るのだろう」
そう言い切って立ち上がった姿を皆が見上げる。
本当にそれでいいのか。小十郎だけではなく、根津様ですらそう尋ねたそうにしていたが、誰も口を開かなかった。
小十郎は身を翻した宗一郎の後を追った。なんだかんだと憎めない気質のこの男の事が、心配だったからだ。
その背中を見失わないように足を速め、追いついた時には、奥まった部屋に飛び込むところだった。襖が閉められないうちに手を掛ける。
振り返った宗一郎の目は真っ赤だった。
小十郎は黙ってその身体を押して部屋に入れ、後ろ手に襖を閉じた。
明かりの入らない室内は、昼前にもかかわらず真っ暗だ。
だが、「うう」といううめき声ははっきりと聞き取れる。
その強い悲しみが、小十郎自身が父の討ち死にを知った時のことを思い出させた。
人目もはばからず大号泣した己に比べると、随分と立派な感情の抑え方だ。
小十郎はぼんやりと室内の様子が見えるまでそのまま立ち尽くし、それから宗一郎の腕を引いて部屋の奥に連れて行き、座らせた。
「ま、前々から病だとは聞いていたのだ」
ぼそり、と小さな声がこぼれた。
小十郎は、聞いていいものかわからずにいたが、「はい」と静かに返す。
出て行けと言われないなら、寄り添うべきだろう。
「父上は強くてご立派な御方だが、ワシには優しゅうて」
ぐしっと目を拭う。
そのあとも、親子の細々とした思い出が語られて、宗一郎が心底父親のことを慕っているのがわかった。
ならばなおのこと、駆けつけるべきではないのか。
本人は絶対にそうしたいはずだし、二日ほど山吹城を不在にしたとしても、大きな戦況の違いはないはずなのに。
もう一度、会いに行けと言おうか迷った。だが、宗一郎の覚悟を無にしたくなかった。
「……某の父は、先の戦で討ち死にしました。まだ半年ほどです」
もちろん同列に語るつもりはない。国の一番偉いお方と、精々足軽組頭程度の、武勲も上げていない下級武士とでは、比べる幕もない。
「某が受け取ったのは、父が死んだという事実だけです」
はっと息を飲んだ宗一郎がこちらを見る。
「大江家は父を含め二人の男手を失いました。いえ兄は生きているのですが、足を喪ったのでもう前線には立てませぬ」
その時に思ったのだ。もっと父と話をしておくべきだった。こんな風に失うぐらいなら、お小言の二つや三つ、余分に受け取っていてもよかった。
同時に、兄はまだ生きている。武士として立つことはできないにしても、顔を見て話をすることができる。
足を喪ったという悲嘆よりも、生きて戻ってくれたことへの喜びの方が大きかった。
それを伝えた時に、一瞬だけ、兄の顔が泣きそうに歪んだことは、今でも鮮明に覚えている。
生きているうちにしかできないことは山ほどある。
「文を書きましょう。たとえ会いに行くことが禁じられているにしても、気を掛けていることは伝わります」
「……軟弱者と叱られる」
「叱られるぐらい、いいではないですか」
なんとなく、事情がありそうだと感じた。
親子の関係は悪くなさそうだから、周辺に何かあるのだろうか。
「根津様にお願いして、目代様に届けていただきましょう。確実にお父上の手に届きます」
暗がりで、いくらか迷うような気配がした。
迷うことがあるか? ただ私的な文をとどけるだけだぞ。
「……いや」
宗一郎は、普段より幾分落ち込んだ声色でそう言って、首を横に振った。
「ただでさえ、松田はワシの派閥に見られている。これ以上巻き込みたくない」
巻き込む?
その意味を訪ねようとしたところで、小十郎は言葉を飲み込んだ。
権力者が死ぬときに、何が起こるのかということを想像したからだ。
まさか、尼子家でもそうなのか?
いや、強大な武家ならばなおのこと、あり得る話だと考えるべきか。
やはり何かがあるのだ。
ぞくり、と背筋に悪寒が走った。
宗一郎が、本城を名乗るようになったいきさつにもかかわっているような気がした。
「わかりました」
詳しくは根津様に聞くべきだ。そう思いながら、小十郎は頷いた。
「では、こうしましょう」
普段は過剰なほど怒らせている両肩が、しぼんで垂れている。そこにそっと手を添える。
「誰が誰のもとに宛てたのかわからぬように書いてください」
公には駄目でも、文を届ける手立てはあるはずだ。