8-9 御座所曲輪奥6
結納は速やかに行われ、婚姻は一か月も経たずに成立した。いかにも急ぎだ。
根津様に言わせると、それでも遅いほどだそうだ。
婚儀は城を上げての祝宴という形で執り行われた。
小十郎は何故か根津様の隣という、かなり序列の高い席に座らされ、大変に居心地の悪い思いをした。
嫁御寮は大変美しく、正視できないほどだったが、宗一郎はずっと不貞腐れた表情のまま祝宴は続いた。
あの一件以降、本城家側の見る目が違う。反感はないとは言わないが、それよりも、半笑いの生暖かい視線のほうが多い。
それから更に一か月ほど過ぎたが、小十郎は相変わらず本城家から離れることはできていない。暇どころか、当主の側近中の側近の扱いだ。相変わらず下っ端ではあるけれど。
これって出世というのか? 扶持や待遇の面では確かにそうなのだが……
「小十郎様、もっと背筋をしゃきっとさせてください!」
小菊がパシンと背中を叩く。相変わらず容赦ない。
小菊と春は、太助の葬儀の後に旅籠を畳んだ。今は山吹城の近くにある小十郎の屋敷に入ってもらっている。
屋敷と言っても、言うほどの大身でもなく家臣もいないので、こじんまりとしたものだ。
本来なら実家の母や兄を呼び寄せるべきかもしれないが、とてもそんな気にはなれなかった。
心の中にはずっと、根津様の忠告がある。
今の平穏さは一時のもの。半年もしないうちに大きな戦が起こる。そしてその舞台は、垂涎の的の石見銀山一帯になるだろう。
そんなところに、母と足の不自由な兄をつれてくることはできない。
「はい! できましたよ」
小菊は遠慮なくまた背中をバシバシと叩いた。
山吹城の中枢で、いろいろと見聞きして分かったことがある。
戦が近いはずなのに、そこで働く多くにその実感がない。これは危険なことだ。
じっとりと胸の奥に巣食う危機感は、おそらく近い未来に現実のものになるだろう。
それまでに、二人を母のもとに送ろうと思っている。
その時が来れば、ここはもちろん大森の町も、確実に戦火にさらされるからだ。
山師たちは尼子の軍門に下った。不服はあっただろうが、従うことを受け入れ、生き延びた神屋を含め複数の山師の家が山吹城に誓紙を収めに来た。
小十郎にできることは、さりげなく今後の予想を彼らに伝え、いざというときの行動を示唆することだ。
彼らが一人でも多く生き延び、平穏無事に過ごせることを願っている。
「いってらっしゃいませ」
どうしても猫背になってしまう背中を伸ばし、小さいながらもそれなりの構えの門を出る。
振り返ると、少し痩せた春と、普段通りの小菊が笑顔で立っている。
太助を喪ってすぐなのに、あんな風に笑える二人を強いと思う。
小心者で心が弱い小十郎は、いまだそのことを引きずっているし、なんならこれから起こる戦で町が巻き込まれることを思えば、最近よく眠れない。
こんなことでは駄目だ。
パシン、と両頬を叩く。
今日は根津様と湊まで視察に行く予定だ。やり方はともかくとして、あのお方に学べることは多い。
きっと悠長に学んでいられるのは今だけなのだから、できることをやろう。
「小十郎!」
登城した瞬間に捕まった。
宗一郎はいまだに姫……いやお蔦の方への当たりがきつい。苦手意識はどうしても消えないようで、夫婦仲が良好には見えない。
宗一郎が四六時中城にいるのは、本来城主の住まいであるふもとの館に居づらいからなのは皆が気付いている。
「今日は湊へ行くと聞いたぞ!」
「……はあ」
小十郎はちらりと、宗一郎の側付きたちに目を向けた。
尼子家から来たものが半数、本城の出が半数。そのどちらからも、本心から申し訳ない! という目を向けられる。
いつもより宗一郎の護衛の数が少ないところから見ても、また勝手に抜け出してきたのだろう。
「政務はどうされました」
「飽きた!」
いや、飽きたじゃねぇよ。
おそらくこの場にいる誰もが同じことを思っただろう。
目代様が帰国してしまったので、今この男をおとなしくさせるのは根津様と、不本意だが小十郎だけなのだそうだ。
「今日にやるべき政務が終わっているなら、ついてきてもいいですよ」
最初のうちはかしこまっていたのだが、宗一郎本人が嫌がったので、さながらまだ同僚であるかのような態度だ。
「その代わりと言っては何ですが、護衛は増やします」
今の数で足りないようだから言ったのだが、宗一郎は本心から嫌そうな顔をした。
つくづく、束縛が嫌いな男なのだ。
だが今や山吹城城主。本城家の当代だ。嫌では済まされない。
「……わかった。その代わり手伝え」
「いえ某は根津様に呼ばれておりますので」
「根津よりもワシが先だ!」
宗一郎は、根津様のもとで小十郎が仕事の手伝いをしていると知っているのだ。
少しでも楽をしようとしているのが透けて見える。
小十郎は「はあ」と溜息をついた。
「本日予定の政務を、ご自身の手で、終わらせてからです」
目代様が、一言一言区切りながら言い聞かせていた理由がよくわかる。
油断したら宗一郎は勝手に都合よく判断するのだ。
ようやく追いついてきた護衛達に、目で連れて行くようにとお願いする。
なんだか叫んでいる声が聞こえたが、小十郎はそれ以上気にすることなく、根津様のもとへと急いだ。
宗一郎の父、尼子の殿が重篤な病に倒れたのは、夏が近くなったころだ。
宗一郎の父、尼子晴久は、史実では1554年に18歳ぐらいの兄義久に家督を譲っていますが
作中時代の実権はまだ父親が握っています
周囲の認識でも、晴久が一番の権力者という見方が強いです
小十郎は、そのあたりの微妙な事情を知りませんし、たいていの武士の認識もそうだったと思います