8-7 御座所曲輪奥4
言動の好き嫌いはともかくとして、その男が何かをかばおうとしたそぶりに悪い感情はわかなかった。
だが宗一郎は違ったらしい。横目で見た表情は険しく、眉間に深いしわが刻まれている。
「……よいのです」
ふと、よく通る女の声がした。
同時に、宗一郎がチッと舌打ちする。
男はなおもためらったが、その背後ですっと障子が開いた。
小十郎の視界に飛び込んできたのは、これまで見たことがないほど肌の色が白い若い女、いや姫君だった。
年齢は宗一郎よりも上に見える。鮮やかな青と緑の打掛が目を引く。
小十郎はささっとその場で膝をついた。上位者をかぎ取る臭覚が、そうしろと言っている。
小十郎だけではなく、立ちふさがろうとした男も、視界入っているすべての者がそうしている。
例外は、宗一郎とその護衛達だ。
いや護衛はマズいだろう。将来の奥方様だぞ。せめて膝を落とせよ。
そう言ってやりたかったが、空気を読んで黙っておく。
「立て小十郎」
聞いたことがないほど冷やかな口調で、宗一郎が吐き捨てた。
「礼を取ってやる必要はない」
名指しするのはやめてほしい。主家の姫君だぞ。ご尊顔を直視するのもちょっと。
とはいえ、命じられたからには従わざるを得ず、ゆっくりと顔を上げる。
……うわ、めっちゃくちゃ綺麗なお方なんだけど!
本来は視線を外しておくべきなのだが、好奇心に負けてちらりと伺い見た先にいらしたのは、ちょっと怖いぐらいに整った容姿の姫君だった。
このお方が不服? いやいや。
贅沢者め! と内心呟きながら、その場で膝をついたまま目線だけを床に落としておく。
宗一郎は再び舌打ちした。
「ここで何をしている」
「申し訳ございませぬ」
バチッと火花が飛び散る音が聞こえた気がした。
宗一郎の言い方が悪いのもあるが、返す姫君の言葉も強かった。凛と張った声は、媚もへつらいもしないと主張している。
これは……なかなか。
毒花云々はよくわからないが、かなり気が強いご気質のようだ。
その場はなんとかおさまった。
争いにならなかったのは、宗一郎が明日にでも本城家を継ぐと、この場にいる全員が知っているからだろう。
姫はまっすぐに宗一郎を見て、「申し訳ございません」とひたすらに言う。だが本心からs頭を垂れているわけではないのは誰にでもわかる。
宗一郎が苛立っているのは、この折れない態度からだろうが……どこが好かれているって?
仮にそうだったとしても、父と兄を人質にされては恋も冷めるというものだ。
「下がれ」という無愛想な命令に、慇懃無礼な態度で頭を下げた姫君が見えなくなってから、宗一郎がぶるりと身震いした。
「あれを娶れというのか?」
「宗一郎殿」
小十郎は、許されるのなら飛び蹴りを食らわせたい気持ちを堪えながら宗一郎の愚痴を遮った。
これ以上余計なことは言うべきではない。見ろ、本城側の者たちの敵意がひどい。
特に、先ほど行く手を遮ってきた男の憤怒の表情は凄まじかった。
帯刀を許されていれば、流血沙汰にまでなっていたに違いない。
「小十郎、その方はどうだ? あんな気性の女子は御免だろう」
ここで! ここでそんな事を言ったら駄目なんだって‼ どうして感情の赴くまま、思ったことをすぐに口にするかな。
「娶られるからには歩み寄りが必要では」
それとも何か? この世のすべては宗一郎の思うがままになるとでも?
だったらこの縁談を回避してみろよ。貶すんじゃなくて。
宗一郎が不服なのは、あの姫君そのものというよりも、嫌だと言ったのに聴いてもらえなかったからだろう。
まったく、どうして最年少の小十郎がこんな面倒を引き受けなければならないのだ。もっと適任はいくらでもいるだろうに。
だが、宗一郎の護衛達は、さながら喋ってはいけないという決まりでもあるかのように誰一人口を開かない。
諫めるのは仕事じゃないって? それを言うなら、小十郎だってそうだ。
……仕方がない。
「ああ、そういう癖なのですね」
「はっ⁈」
もうどうにでもなれとぶちまけると、宗一郎の声がひっくり返った。
「ち、違うぞ!」
好きな子を虐めたくなる人間は一定数いるらしい。知らんけど。
小十郎がうんうんと頷くと、宗一郎だけではなく、尼子本城の垣根を越えて驚愕の空気が漂った。
「ですが、虐めてくる男を好きになることは絶対にないそうですよ」
これは、とある芸者のお姐さんから聞いた話だ。小菊も大いに賛同していた。
「嫌いになったら一生嫌いだそうです。ご愁傷さまです」
「待て! どうしてワシが袖にされたことになるのだ!」
「ええ? むしろどうして好かれていると思うのですか?」
小十郎が心底引いた表情をすると、周囲の目が呆れを含んだものになってきた。
いいぞ。姫君に対して失礼すぎる事への敵意より、不器用な青少年への生暖かい目の方が何倍もマシだ。
「わざわざ広間から姫を追いかけてきたのか?」
ぼそり、とそんな囁き声が聞こえた。はっとして口を押えたのは、先ほど威嚇してきた男だ。
「違う、違うぞ!」とわめいている宗一郎は無視して、改めて両手を床について礼をした。
肯定はしない。だが否定もしない。
小十郎は居住まいをただし、ニコリとほほ笑んだ。
「申し訳ございませぬ。少々ご協力をお願いしたいのですが」
何とも言えない沈黙がしばらく続き、そののちに、躊躇いがちに「何でござろう」との返答。
よし!
「宗一郎殿は勢いに任せて大広間を後にしたようですが、あの後どういう流れになったかお聞きになりたいそうです」
「違う! ……いや違わないが、違う!」
「あ、(照れているだけですので)お気になさらず」
その場にいた文官たちは、互いに顔を見合わせた。言いたいことはわかる。宗一郎の態度が、思っていたのと違うというのだろう。
世の中には、勘違いしてもらったほうがいいこともある。
立ちふさがっていた男が、先ほどとは随分変わった目つきで小十郎を見て、宗一郎を見る。
この男自身、本城家が置かれている状況を十分にわかっているのだ。事態はどうあっても覆せない。本城家は負け、尼子家からの締め付けは厳しくなるだろう。
そんな気負っていた部分が、一気に毒気を抜かれたように見える。
「……殿の幽閉先が決まり申した。若殿とは別々の寺とのことです」
あとは家内の引き締めと、これまでの政の詳細な記録の提出。
そこの部分を聞いて、小十郎のニコニコ笑顔が崩れそうになった。一瞬、その記録とやらを精査させられる自身の姿が過ったからだ。
いやそんなことにはならない。一応まだ本城家の家臣だし、軽傷だが怪我人だし。
「それから……ご婚儀の日程が決まり申した」
今度は、宗一郎の顔面が盛大に引きつった。




