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銀喰ノ記  作者:
山吹城
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8-6 御座所曲輪奥3

 後々何度も思い返してみたが、運命の転換点はまさにこの時なのだろう。

 何の運命だって? それは……

「よし」

 身なりを替え終えた宗一郎が、満足そうに腹のあたりを叩く。

「では行くか」

「ど、どこに?」

「見つけておいた抜け道があるのだ。大広間で何を話しているか気になるだろう?」

 小十郎は下級武士の子であり、農民とも遜色ない育ちをしてきた。だから本当なら、宗一郎のような身分の若君と縁を持つはずなどなかったのだ。

 当り前のようについてこいと言われて、小菊相手でさえ発揮する下っ端気質が無意識のうちに発動した。

 我に返った時には部屋を出ていて、大勢に注目されて冷や汗をかく。

「そ、宗一郎殿」

 しまった。「殿」付けで呼んでしまった。心の中の呼び捨てよりはマシだが、ここでは「様」と呼び掛けるべきなのに。

 好意的とは程遠い視線が、方々から浴びせかけられる。

 更に汗が噴き出すぐらいには緊迫した雰囲気だが、たった一人だけ、ひどくうれしそうな男がいた。宗一郎だ。

「よいな。よい。これからもそう呼べ」

「あ、申し訳」

「よいと申した」

 こういうのは、最初が肝心だったのに。

 小十郎は、何も言われずとも宗一郎の後ろについて行っている自身に気づき、今更ながらに焦った。このままずるずると連れて行かれそうな気がしたからだ。

「待ってください。叱られたばかりじゃないですか」

 恐ろしいことに、宗一郎はまったく懲りていなかった。

 クックと悪だくみをする風に笑い、大勢が見守っているにもかかわらずわざとらしく声を潜める。

「松田は毎日同じことを言うのだ」

「言われるようなことをしないでください!」

 言い過ぎたかと怯んだのは一瞬。宗一郎は楽しそうに笑った。

「ではともに叱られてくれ」

「嫌ですよ!」

「松田も根津もお主を気に入っておるようだ。殊勝な顔をして見せれば許してくれるだろう」

 毎日叱られても許されるのは宗一郎だからだ。

 小十郎は、大きく首を横に振った。

 松田様についてはよく知らないが、根津様のお仕置きは怖い。また徹夜で山のような書類をさばくのは御免だ。

 小十郎が足を止めると、宗一郎も立ち止まった。

 何故なら、小十郎がぎゅっと宗一郎の着物の袖を掴んだからだ。

「松田様は心配なさっておいでなのです」

 さすがに理解はしているようだ。宗一郎は嫌そうな顔をして、小十郎を見下ろしてきた。背が高いので、この距離で向き合っていると威圧感がある。

 小十郎は「はあーっ」と息を吐いた。

 巻き込まれて叱られるのは御免だ。ならば叱られない方法を取ればいい。

「わかりました。それではこうしましょう」

 そう、それが駄目押しだった。

 この男の最期まで、いやその孫子まごこの代まで尻ぬぐいをする運命を、自らの手で引き寄せたのだ。


 宗一郎が向かったのは、今最も問題が過熱しているであろう大広間ではなく、この城の心臓部、本来のまつりごとを行う文官たちの詰め所だ。

 何故ここに来たかというと、おそらく城内でもっとも状況をよく把握しているのは、大広間以外の者でいえば彼らだと思ったからだ。

 それにおそらくだが、本城家の内情を推察できる立場にいる文官たちを、根津様が監視していないはずはない、というのもあった。

 宗一郎の護衛は十人を超えるが、それで足りない状況になった時の増援が見込めるのは大きい。何かが起こってもすぐに根津様に伝わるだろうし。

 宗一郎はひどく不服そうに、だが小十郎が何をしようとしているのか興味津々だった。

 数か月前に一度、本城の殿との対面の帰りに寄っただけの場所なのに、何故か宗一郎を案内する羽目に陥ってしまった。

「おい、そのほう」

 そしてその道中、小十郎は声を掛けられた。いかにも高圧的でぞんざいな口調だ。

「はい」 

 なんとなくわかっていたことだが、小十郎の巻き込まれ体質は、下っ端気質同様に避けては通れないものらしい。

 立ち止まった小十郎の背後で、宗一郎も足を止める。もちろんその護衛達も。

 声を掛けてきた男は、宗一郎はともかくとして、十数人もの護衛がついてきていることに気づいていなかったようだ。

 ちょうど廊下の折れ曲がったところだったので、視界に入っていなかったのかもしれない。

「む、無関係な者は」

 それでも一度かけた粉をなかったことにはできなかったようだ。いくらか口ごもりながらも、きっと本来の意図とは違う、当たり障りのないことを口にする。

 もし小十郎が一人でいたなら、いや一人ならこんなところに来ていないというのは脇に置いておいて、絡まれたときに宗一郎らがともにいなかったら、ひたすら低頭して謝罪を繰り返していただろう。

 それが一番、騒ぎを大きくせずに済むだろうからだ。

 だが、今回はそういうわけにはいかなかった。宗一郎を面倒ごとに巻き込むわけにはいかない。

「お伺いしたいことがあるのですが」

決して、虎の威を借るなんちゃらのつもりはなかったのだが、男の目がチラチラと宗一郎とその背後を伺い見ている。

「……ここから先は、部外者の立ち入りは許されておらぬ」

 それでも立ちふさがろうとする男を、小十郎はまじまじと見上げた。

 状況はわかっているだろう。遠からぬ未来、本城家の実権は尼子にゆだねられるということを。

 それでも職務をまっとうしようとする姿勢を是と取るべきか、反抗分子と見るべきか。

「臭うな」

 肩越しに、宗一郎の声が無遠慮に発せられた。

 おそらく「怪しい」という意味だろうに、小十郎はとっさに鼻をひくつかせていた。

 ふわりと、不快ではない匂いが漂ってくる。

白粉おしろいの臭いか」

 男がはっと身構えた。

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>「わかりました。それではこうしましょう」 あ、察し……。今後、このセリフは何度となく言う羽目になりそうですね。 しかし、このお話が歴史カテゴリじゃなく異世界恋愛だったらきっとタイトルはこんなふう。…
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