8-5 御座所曲輪奥2
小十郎はひとり、その部屋に取り残された。
本城との話し合いに参加するかと問われたが、丁寧に、丁寧に! お断りしておいた。
当たり前だ。お偉いさんたちの前に引き出されて、いったいどんな顔すればいいのだ。
すでに心は主家から離れていたが、今もって小十郎が本城家家臣だというのは事実で、だとすれば今回、どこに座るのか問題も発生する。
まさか尼子側? いやいやいや。
そもそも、そういう場に加わること自体あり得ない。まだ仕官して四日目……あれ? 五日目か? どちらにせよ、新人も新人。宗一郎とは違って、正真正銘の下っ端役人なのだ。しかも、実際に職務についたのは最初の二日間だけという……。
そこまで考えたところで、心細さと所在なさで泣きたくなってきた。
一体何のためにここにいるのだ? もう帰ってもいいんじゃないか。
何度も立ったり座ったりを繰り返し、だが単独でこの部屋から出るのは恐ろしく、結局はその後の数刻を気を揉みながら過ごした。
たぶん重い話になっているのだろう。大きな館なので、奥まで声は伝わってこないが、妙にどんよりとした空気を感じる。
どういう話に落ち着くのだろう。今山吹城には、本城の兵はほとんどいない。北の山師や国人領主に対して攻め込んでいるからだ。
根津様の兵は、本城に味方をしそうな領主を抑えるために動いている。湊は特に毛利色が強いから、念入りに脅したはずだ。それだけではない。おそらくは福屋に対する牽制でもあったのだろう。見せ兵というやつか? ……いや、実際に熟練兵なのだろう。
三沢が攻め込んできたのは想定外だそうだが、仮に鉱山を抜けられたとしても、五百の兵に詰め寄られ、忠義を示すために戦えと言われたら、三沢に迎合していない領主たちはそろって槍を手に取っただろう。
何もかも計算ずくか。
小十郎は再び、長い長い溜息を漏らした。
どれぐらい待っただろう。少なくとも一刻。いや一刻半は経った気がする。
カタリと音がして、文字通り飛び上がった。
もしかすると、小十郎を殺したい何者かが来たのかもしれない、そう思ったからだ。
腰を浮かせて身構え、音がした方を見ていると、そろりと襖が開いた。
廊下に面した障子ではなく、重厚な絵襖のほうだ。
ひょい、と顔を出したのは、見慣れない華やかな着物を身にまとった宗一郎だった。
「……なにやってるんですか」
似合ってはいる。見慣れないだけで。だが、金糸銀糸の派手な色合いは、一度だけ見た役者の舞台衣装を思い出した。
宗一郎はきょろりと室内を見回してから、部屋に入ってきた。
その腕には何かを抱えている。……さっきまで着ていた地味な着物か。
「ああ、ひどい目にあった」
宗一郎は、すっぱいものを口いっぱいに詰め込まれたかのような表情でそう言って、勢いよく派手な着物を脱ぎ始めた。
「だから嫌だったんだ」
ぶつぶつと悪態をつく内容から察するに、本城家の姫君が苦手らしい。
美しく才長けたお方だと聞いたことがあるが。
「毒花のような女だぞ」
無遠慮に下帯一枚にになって、手慣れた様子で地味な着物を着こむ。
身分あるお方は何もかも人任せかと思っていたが、さすがに着替えぐらいはできるようだ。
ずっと見ているのも何なので、脱ぎ散らかされた上等な着物を丁寧に畳む。
「ですが、娶られるのでしょう?」
「……誰か変わってくれないかな」
なにいってんの。
小十郎の咎めたてする視線に、宗一郎は情けなく顔をしかめた。
「本当に苦手なんだ」
つくづくという風に愚痴るので、何があったのかと……いや、絶対に聞かないから。
聞いてほしそうな顔をされたので、むしろ何も聞くまいと首を振る。
「失礼なことを言うものではありませんよ。姫君のほうとて、意に添わぬ婚姻やもしれぬではないですか」
とはいえ、そりの合わない相手というのは誰にでも存在する。そんな二人が夫婦となるのは気の毒な気もする。
「いや、あれはワシを好いておるのだ」
「……そうなんですか?」
あまりにも自信満々にいうものだから、逆に疑ってしまう。
気のせいではないのか? 確かに、見目のいい若武者ぶりだから、嫁入り希望者は多そうだが。
「でしたら、宗一郎殿が歩み寄ればよいのでは」
どうせ、お父上の肝いりなのだし、避けては通れない婚姻だ。相手の好感度が高いのなら、よい関係を築くのは楽だと思うが。
「あのな……本城は尼子を裏切ろうとしていたのだぞ」
そういえばそうだった。武士の婚姻同盟に、敵も味方もない。逆に敵だから娶るということもあるので、一般的な夫婦関係と同列に考えるべきではないのだろう。
着替え終えたが、髪を結ぶ紐だけが派手に浮いている。元結だけにしようと悪戦苦闘していたから、手伝ってやった。
「どういう収まりになりそうですか?」
派手な赤い飾り紐をほどきながら、小声で聞いてみる。
宗一郎は実に嫌そうな顔になったが、小十郎が聞きたかったことを答えてくれた。
「銀を着服していた者たちは切腹だ。すべての膿を出しきると本城自ら宣言した」
「……それは」
本当に本城の殿がそう言ったのであれば、殿ご本人も自裁するということになるのではないか。その後に姫を娶るのか? それって姫にとっては一門の敵だ。
「松田はそれでよいと受け入れた。ただ条件として、当代当主は切腹ではなく隠居。嫡男は出家」
つまり本城親子は人質として幽閉するわけか。そして、嫡女である姫と宗一郎との婚姻。
なかなか香ばしい話になってきたな。
これって絶対、根津様の仕込みだろう。