8-2 大手門
父の討ち死にと、兄の負傷という事情が事情だったので、前回ここに来たときは重苦しい気持ちだった。
大江家を背負っていかなければならない重責と、家門を食わせていけるのかという不安とで、ろくに周囲の事を気にする余裕もなかったといってもいい。
見知らぬ大人たちの前で頭を下げ、仕官を願うという、失敗のできない試練に、胃が痛くなるほど緊張してもいた。
それはたった十日ほど前の事だ。いや十日にもならないというべきか。
その時には、本城の殿の御前で述べる口上の事ばかり考えていて、よもやこのようなことになるとは想像もしていなかった。
山吹城大手門の前に立ち、ため息を飲み込む。
気が進まない。
根津様に呼ばれたからといって、本当に来るべきだったのか。
たかが下っ端役人だ。上役の誰かに「一身上の都合で」といって退職を願い出るだけでも十分のはずだ。
やっぱり戻ろう。そう思った瞬間に、背後から肩を叩かれた。
「何を立ち止まっておるのだ。はよう行け」
きっと小十郎の事情など百も承知の馬場が、ぐいぐいと背中を押してきた。
「いいえ、根津様には後日……」
「小菊が命がけで届けた帳面について、お主の話が聞きたいそうだ」
根津様が「要るもの」とより分けた冊子は隠してある。小菊に預けた冊子はそれの一部をまとめたに過ぎない。馬場もそれを知っている。わざわざ小十郎が報告をする必要はないはずだ。
不満を込めて見返すと、馬場はバンバンと小十郎の背中を叩いてきた。
「本城家の家臣として胸を張れ。三沢の襲撃を退けたのだぞ」
大きな声を張らないでほしい。
実は暇を乞うつもりでいるなどと、こんなところで言うわけにもいかず、大手門を守る兵たちにジロジロと見られて居心地が悪い。
その中に、チクリと刺すような敵意を感じて慌てて首を振った。
「某の手柄ではございませぬ」
「謙遜はよいことではないぞ」
「い、いえその」
何を言おうとも、馬場は聞く耳を持たなかった。
ぐいぐいと強引に押されて、仕方なく足を進める。
小十郎はちらりと、こちらを睨んでいる男たちを横目で見た。さっと視線は逸らされたが、本城家の家臣なのは間違いない。
やられた。不穏分子の炙り出しに使われているようだ。
「……勘弁してください」
小声で抗議すると、馬場は更にバンバンと背中を叩いてきた。
「根津様にお任せしておけば上手くやってくださる」
……ものすごく不安だ。不安しかない。
大手門をくぐると、曲がり角の多い急な坂が続く。足元の石畳は不揃いで、踏み込むたびに草履の先を引っかけそうだった。
衆目の中、躓いて転びたくない。
それを内心言い訳にしながら、ずっと下を向いて歩いた。
方々から小十郎に突き刺さるのは、敵意まみれの視線だ。いや、敵意というより殺意と言ったほうがいいかもしれない。
その凝視があまりにも露骨で容赦がなかったので、このままだと人目に付かない所でグサリとやられるんじゃないか、そんな恐怖すら感じていた。
まるっきり敵地。尼子に組した裏切り者だと思われているのを肌で感じ、ますます暇乞いが現実味を帯びてくる。
やがて坂道の突き当りの枡形虎口に差し掛かった。大手門と同じぐらいに立派なつくりの城門があって、その先には大きめの曲輪がある。
山吹城は山城なので、本城の殿が普段からお住まいになっているわけではないが、政務や客人との面会は御座所と呼ばれるこの曲輪で行われることが多い。
今回も、目代様をお迎えするにあたって、ここを使うことにしたのだろう。
小十郎は、大きなその門を見上げた。
曲輪を囲う土塁は高く築かれ、その上には堅固な塀が巡らされている。虎口から見上げても内側の様子はうかがえず、狭間からわずかに見えるのは空の青か木々の緑だ。
「――止まれ」
あそこから狙われたら死ぬな。そんなことを思った瞬間に、頭上から声が落ちてきた。
狭間ではなく、張り出し櫓に立つひとりの兵がこちらを見下ろしている。槍を柵に立てかけ、身を乗り出していた。
「ここから先は通せぬ! まずは名を名乗れ!」
声の響きにある棘が、こちらの素性をしっかり認識していることを告げている。
小十郎は息を呑み、額の汗を袖で拭った。いや大丈夫だ。相手は弓ではなく槍を持っている。今すぐ殺されることはない。
「そちらこそ名を名乗れ! 通せぬとは何事だ!」
素直に名乗ろうとした小十郎を制し、馬場が大きく声を張った。
「無礼な真似は許さぬぞ!」
「余人の通行は控えよとの命が下っている!」
上と下での応酬はしばらく続き、張り出し櫓の男は頑として譲らない。
それが忠心からならいいのだが、横柄さを感じる口ぶりからいっても違う。あてつけか。
「小十郎!」
平行線の応酬が続いている最中、若い男の張りのある声が曲輪の中側から聞こえた。
「何をもたついておるのだ。はよう入れ!」
瀬川宗一郎だ。
大門の脇にある潜り戸から顔をのぞかせ、気軽な雰囲気で手を振っている。
上と下の応酬がぴたりと止まった。
宗一郎はその殺伐とした雰囲気など全く気も止めずに、単身でこちらに近づいてきた。
「怪我はもうよいのか?」
「ええ、まあ……」
小十郎はちらりと張り出し櫓を見上げ、今の今まで横柄な態度でこちらを見下ろしていた男が、忌々しそうに顔をしかめながら身を引くのを目で追った。
「そこは危ないです」
まさかあの槍を、不注意だと言って落としたりしないだろうか。
そんな危惧があったから、とっさに宗一郎の腕を引いて引き寄せていた。
カツン。
寸前まで宗一郎が立っていた場所に、硬い音を立てて転がったのは、こぶしの四分の一ほどの石だった。




