7-5 鉱山防衛5
格子戸など、言っては何だがたいした守備力はない。そこに守り手がいないならなおのこと。
大量の重しがあったところで、壁を越える難易度もそれほど高くはないし。
ある程度の足止めを期待しておかれた障害物を積み上げてから、尼子方はさっさと関所を後にした。
次は三沢勢を先に行かせ、背後からの追撃だ。まずは山道の先が見えなくなるところまで行かなくては。
小十郎は放つ矢のなくなった小弓を背負ったまま、尼子兵に交じって駆けた。
たいした距離ではないが、たちまち息が上がった。
情けないと歯噛みしながらも、なんとか遅れまいと足を動かす。
山道が大きく蛇行し、関所が見えなくなった地点で、まず先頭を走る馬場が足を止めた。
小十郎はゼイゼイと荒い息をつきながら、たいした距離でもなかったとほっとする。これが倍の距離だったら、絶対に遅れていた。
振り返って関所を見る。
木々の間からかろうじて見張り台の一部が見て取れるが、おそらく必死に格子戸を開けようとしている連中の視界は外れただろう。
そこは偶然にも、かつて伝八らとともに襲撃にあった場所だった。無意識のうちに、矢が刺さっていた木を探す。
馬場が示した比較的なだらかな斜面の茂みを見て、佐田は同意するように頷いた。
怪我人を抱えているので、あまり急だと厳しいのだ。
笹の茂みに覆われていて、踏み込んでも痕跡が残りづらいのもよかった。
尼子勢は、少人数であることを最大限に生かして、素早く山に踏み込んだ。
逃げるのなら下る方向にだが、後ろから不意を突くのなら山の手だ。
総員十数名。あいにくといくらかは欠けたが、よくここまで生き残ったものだ。
誰もの表情が、恐れもなく毅然としていた。
小十郎もだ。
何が恐ろしいって、それは連中が大森の町に攻め入ることだ。
最後の瞬間までそれを食い止めようとしてくれる尼子兵に、深い感謝すら抱いていた。
小十郎は茂みの中で、これまで下ろす機会のなかった空の矢筒を外した。愛用の小弓も脇に置く。もう射る矢がない。使えないものを持っていても仕方がない。
腰の刀に手を置き、ろくに使えないのはこれも同じだと思いながらも、軽く鯉口を切る。
左手の親指を鍔に押し当て、息を整えた。
それほど長く待つまでもなく、三沢の兵が大声を上げながら目前を駆けていく。
隣で、馬場がぐっと重心を前に掛けるのがわかった。
さっと与力頭の佐田が手を上げる。あれが振り下ろされた瞬間に、背後から三沢勢を討つのだ。
どくどくどくと脈拍が上がる。ひそかに息が細くなる。
目の前を、ひと際身なりのいい武者が通り過ぎた。
「……掛かれっ」
ひそかな掛け声に、茂みに身を潜めていた十数人が一斉に腰を上げた。
同時に、耳元で矢が放たれる音がした。大将格らしき武者鎧の男が振り返り、その顔面の真ん中めがけて矢羽根が飛んでいくのが見えた。
残念。一の矢は兜のたれに突き刺さり、二の矢は避けられた。
「奇襲だっ!」
そう叫ぶ敵の声は、小十郎の耳にはひどく現実感が薄く、遠いものに聞こえた。
三沢の兵はまだ百を越えている。十数人では到底なんとかなるものではない。
小十郎は、己はたぶんここで死ぬのだと覚悟を決めていた。
血の臭い。誰かが誰かの命を絶つ音。
戦働きは難しいと自覚して役人になったのに、結局のところ武士とはこういうものだ。
無我夢中で刀を振るい、自覚はないが幾人かに切りつけた。
非力な己では実戦ですぐに死ぬ。そう思っていたのに、なかなかどうして、人間はそうくたばりはしないのだ。
それでも、焼けつくような刃が小十郎の身体にいくつもの傷をつけた。
いいや。死を覚悟していたから、動ける傷など負傷のうちには入らない。
たぶん、声を限りに大声で叫んでいた。
覚えているのは、血しぶきは熱いということだ。
どれぐらい戦っていただろう。
ふと、空気が変わったのがわかった。
何がどう変わったのかはわからないが、明確に、小十郎に向かってくる敵の圧が減った。
気づいた時には呆然と立ち尽くしていた。
だらりと垂れた手に、血まみれの刀を握り、小十郎自身もあちこち切りつけられてふらふらしていた。
「……っ」
息を飲む。
膝が折れそうになる寸前、両脇からぐっと腕を掴まれた。
「増援だ」
馬場の声は耳に届いていたが、小十郎のポンコツな頭はほとんど意味を解さなかった。
「なんとか、間に合ったな」
反対側の腕を掴んでいるのは、佐田だ。その荒い息と、返り血を浴びて真っ赤に染まった顔面が何故か泣きそうに見えた。
その後の事はあまり覚えていない。少なからず、小十郎も手傷を負っていたからだ。
戦いはまだ終わっていなかったので、引き続き三沢軍との混戦が続いたのだろう。
ただひとつ。
増援の先頭に立っていた大将が、若き宗一郎だということだけが、はっきり目に焼き付いていた。
「小十郎!」
大声で名を呼ばれた。
何か応えたような気もするが、それを認識する前に意識が途切れた。
あとから聞いた話によると、三沢兵は挟撃される形になって総崩れ。大将の三沢の殿様が討ち死にしたそうだ。