7-4 鉱山防衛4
「おお、来たか」
馬場が、炭の汚れのついた顔でこちらを見た。彼の手元には大きめの火鉢があって、せっせと炭に火をつけていたようだ。
大広間に筵を広げ、その上に燃えやすい紙類を積み上げていたのは与力頭の佐田だ。
ちなみに本城家の足軽組頭の幸田は、真剣な顔で奉行所内の襖という襖を外し、筵の上に積み上げている。これも、火の通りを良くするためだ。
「そろそろか?」
佐田に問われ、その配下の者が頷く。
長屋門の閂が今にも破られる。緊迫する状況だというのに、誰も逃げようとか、怖がっているとか、そんな様子はない。
皆で話し合って決めた。
門が破られそうになったら大広間に火をつけ、裏口から撤退する。三沢の者たちは見通しがいい奉行所内で火事になっていると気付くだろう。
つまり、前も後ろも火の海だ。
またも、ここで十分な兵がいればと惜しい気持ちになったが、ない袖は振れない。
「よし、では退くぞ」
佐田はそう言いながら、手に持っていた冊子を火鉢の上に落とした。
一瞬火の粉が舞い上がり、次いでメラメラと燃え始める。
すぐに、近くにある筵に火が付くだろう。さらには燃えやすい紙や襖にも。
小十郎はその熱気に一歩身を引いた。
だが他の誰も、熱さなど気にしないというようにその燃えっぷりを眺めている。
ドン!
背後でひと際大きな音がした。強引に扉が破られたか。
男たちは目配せをして、素早く裏口へと向かった。
そこにだけ襖を残しておいて、敵から動線が見えないようにしてある。
広い奉行所内を足早に駆け抜け、問題なく奉行所の敷地内から出ることができた。
ここまではいい。
目立たない裏口とはいえ、関所まで障害物がないので、移動中に見つかってしまう恐れは十分にある。
さらには、関所の控室には怪我人がいる。彼らをおいていくわけにはいかないから、そこでも足が鈍るだろう。
そして案の定、奉行所の外で待機していた者たちが目ざとくこちらに気づいた。
大声が上がる。
長屋門は大炎上、おそらく奉行所内もひどい火の海だ。本隊は中に踏み込んでくれたようだが、少なくはない人数がまだ外にいた。
小十郎たちは構わず関所に飛び込んだ。中に入って、太い格子の扉をしっかりと閉ざす。
内側からも外側からも出入りができないようにするための関所なので、詰め所内からも閂を差すことができるのだ。
こちらの人数が少なすぎるので、戦線離脱した者と思われていたのかもしれない。奉行所の前にいた者たちの半数もこちらに来なかった。
いいぞ。敵は二十名に満たない。
撤退といえども、足止めの役割はまだある。敵兵を削っていけるならそうするべきだ。
「おい」
木戸の内側から小弓を構えた小十郎を見て、馬場が何かを言おうとした。
それを止めたのが、長弓の射手だった二人だ。
馬場が困惑した様子で声を発するより早く、三本の矢を指に挟んで順次放った。
そのどれもが、こちらに駆け寄ってくる敵兵の顔面にうまく当たった。
小十郎はその結果を見届けてから、唸った。
「……矢が尽きました」
愛用の矢はとうにない。拾いに行く間もなかったからだ。これまでは奉行所の備品にわずかにあったものを拝借していた。もっと潤沢に矢があれば、なんとかなったかもしれないのに。
ぱかり、と口を開けた馬場の肩に、射手たちの手が乗った。
残り十人ほど。それだけなら十分に戦える数だが、奉行所の前にも中にもまだ敵兵はいるし、こちらは怪我人も抱えている。
さてここからどうするか。事前に二通りの道を話し合いで決めていたのだが、その判断を下す必要があった。
もう少し、あと少しと三沢軍を足止めしていたが、そろそろ本当に限界だ。
ここで更に敵を削り、戦線を死守するか、このまま町まで下るか。
味方の命が掛かったその決定を下したのは、与力頭の佐田だった。
「山に入り身を潜め、後方から削る」
毅然としたその表情を見上げて、小十郎を含め全員が頷く。
意識がない瀕死の怪我人以外は戦えということだ。
三沢の目的は山吹城だろうが、ここまで兵を削り足止めをすれば奇襲にはならず、根津様か目代様がきちんと対処してくれるはず。
「……三沢も必死ですね」
燃え盛る奉行所から、幾人かは身体を焼かれながら飛び出してくるのが見える。
ようやく、奉行所はもぬけの殻で、尼子兵がこちらに移動したと気付いたのだろう。
「それはそうだ。いま山吹城は手薄だ。主勢は北へ向かい、尼子の兵は西に向かった」
「今を逃せば、逆に叩かれる」
小十郎のつぶやきに、ご丁寧に答えてくれたのは佐田と馬場だ。
二人の目は冷静に、殺気だった勢いでこちらに駆けてくる三沢軍を見ている。
もはやその数は百? いやもう少しいるか。
「ひとり十ですか」
射手がぐるぐると肩を回しながら言うと、腕を吊って真っ青な顔色の男が不敵に唇を歪めた。
「ワシらも数に入れろよ。十とは言わんが」
「怪我人は黙って見ていろ。なぁに、この弓が十とは言わず二十は仕留める」
「矢の残りは五本もねぇじゃねぇか」
どっと笑いが起こった。尼子兵の士気は高い。
皆で格子戸の前に荷を重ねた。置いてあった台車や、歩哨が使う柵などだ。しっかりと土嚢などの重りをつけておくと、ガンガンと押されてもびくともしない。
そこからの言葉はなかった。
ある者は意識のない負傷者を背負い、ある者は矢筒の位置を整え、ある者は刀を抜き放つ。
「……よいか」
佐田の声に、総員「おう!」と返した。