7-3 鉱山防衛3
奉行所の前には、昼間から篝火が焚かれ、旗指物のひとつがパタパタと風になびいている。
本当はもっと大きな、派手な旗がよかったのだが、これしかなかったので仕方がない。
見えればいいのだ。わかればいいのだ。ここが尼子が支配する奉行所なのだということを。
すでに尼子兵を撃ち殺したことで敵だと旗色を明らかにしてはいるが、多少は怯む気持ちもあるだろう。
とにかく連中の足を止めることを目的にした策だった。時間を稼げば増援が来る。
たった十数人の守りなど物の数にもならないだろうが、三沢はこちらの人数を正確には把握していないはずだ。先ほどの地崩れの事もあるから、用心するだろう。
そして案の定、睨み合いの間、軍勢の足は止まった。
目立たないように門の両脇に立っていた兵たちが、「閉めよ」という与力頭の命令を受けて、長屋門の重そうな門扉を押す。
ギギギ……と、重く軋む音がした。
ここだけ場違いなほど立派な奉行所は、城や砦ほどではないにせよ、守衛に優れたつくりをしている。
大きな門、奉行所をぐるりと囲む白塗りの高い壁。
壁を壊すにはかなりの労力がいるし、専用の道具がないなら壁を乗り越えるか門に火をつけるの二択だろう。
果たして三沢は、これが時間稼ぎだと気付くだろうか。
気づいて、奉行所を見逃して先に進むだろうか。
門が閉まると気づいて、三沢軍は再び動き始めた。すごい勢いでこちらに突進してくる。
ワーワーと雑兵らが声を上げ、掲げ持つ槍や刀がギラリと陽光にきらめいた。
間に合うか? 鬼気迫る勢いに、恐怖した。だが引くわけにはいかない。逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、合図はまだだ。
門の内側に並ぶ者たちは、微動だにせず迫りくる軍勢を見据えた。
その目前で、正門の大きな扉が閉まっていく。
ぴたり、と隙間なく門が閉じ、複数人で太い閂が下ろされた。
更にしばらく間が空いて、やがてガンガンと門を叩く音がした。
「持ち場につけ」
動じない与力頭の佐田が、しっかりとした声色でそう指示をした。
「はっ」
馬場を含めた尼子兵が、覚悟の決まった表情で頷く。
小十郎も、小さく首を上下させた。
門を破る一番簡単な方法は、長屋部分ではないところから塀を乗り越え、内側から閂を開けることだ。
あとは門の蝶番を壊すとか、火をつけるとか、方法はいくつかある。
長屋門は、一般的な四つ足門などに比べると堅牢だが、たとえば城の大手門や砦の門に比べると攻略しやすい。そもそも長屋が併設している門なわけだから、内側が木造構造になっていて、いったん火が付いたら延焼しやすいのだ。
本格的に攻め込まれたら、長くもつ構造ではない。
だが今回に限っていえば、その「攻めやすさ」が都合よかった。門が燃えようが、壊されようが、さしたる問題ではない。足止めに使えればそれでいいのだ。
しばらく罵声とともに、ガンガンと扉を叩く音がしていたが、やがて止まった。
もしかすると、ここは見逃すことにして先に進むのではないか。
そんな恐れもあるにはあったが、軍勢が門の外から動く気配はない。
長屋部分に続く壁を注視する。漆喰の壁の上には瓦が乗っているので、昇ってこようとしているのは音でわかった。
小十郎は静かに小弓に矢をつがえた。
迷いはない。
雑兵の首が壁の上からのぞいた瞬間に、素早く矢を放った。
ひゅん。
長弓に比べると随分と軽い音がする。
びぃん、びぃん。
次いで矢を射たのは、ふたりの長弓の射手。耳元で聞こえた弦を放つ重い音に、とっさに首をすくめた。
誰の矢が当たったのか明言はしない。
ただ、壁から飛び出した首は可能な限り撃ち落としたと言っておく。
「行きましょう」
何故か丁寧な態度の射手が、残る数本の矢を指に挟んで壁を睨む小十郎に声を掛けた。
与力頭には、ほどよく間引いた後に退けと言われている。
ほどよく、というあいまいな命令をどう判断するか。もういいのか? 本当に?
迷っていたら、再び壁の上に兜の先端が見えた。長弓なら射るのは兜でもいいが、小弓だとそうはいかない。
引きつける。腕の中で、ぎゅっと小さく弓がしなる音がする。
射手のひとりが息を飲んだ。壁の上から腕だけを伸ばした敵兵が、ひと目で油壷と分かるものをぶら下げていたからだ。
壁を越えるのに苦戦しそうだと思ったからか、火攻めに切り替えたらしい。
そしてそれは、与力頭が望んだ展開のひとつだった。
油壷が落下する。
小十郎は慎重に矢を放つ。
パリン、と乾いた音がして、壷が割れた。
油壷に灯されていた火種が、空中でボッと広がった。
その油壷はそれほど大きくはなかったが、待ち構えていたこちら側にとっては丁度いいきっかけになった。
小十郎は小弓を下ろし、壁沿いに広がっていく火をひと眺めして、途切れることなく長屋門のほうに向かうのを確かめた。
こちらが火をつける手間を省けたと頷きながら呟く。
「頃合いです」
それでは撤退を……と、射手仲間を振り返ると、二人が驚愕の表情で小十郎を見ていた。どうしたのかと首を傾げる。
「い、いや」
二人はぶんぶんと首を振って何かを言おうとしたが、はっとしたように傍らの長弓を掴んだ。
小十郎も再び壁のほうを振り返る。
性懲りもなく敵が壁の上に上がろうとしている。
三本の矢が一斉に飛び、火の回りに唖然としていた敵兵を射落とした。
炭は、生木よりも燃えやすく、いったん火が付いたらなかなか消えない。
ご丁寧に油まで使って着火してくれたおかげで、あっと言う間に業火となって長屋門を覆った。漆喰の壁と焼き杉の門は燃えにくいが、長屋の中に燃え移っているのでそうそう消えることはないだろう。
「退け! 退けぇっ!」
段取り通りに、門の近くで火に炭をくべていた男が声を張った。
門の向こうで、それに呼応するように、三沢兵の威勢のいい声が上がる。
今が好機と門を破ろうと、なお一層激しくドンドンと扉をたたき続ける。
ミシリ、と太い閂が軋む音がした。
尼子の兵たちは互いに目を見交わし、頷き合った。
握っていた炭を最後に炎の中に放り投げ、真っ黒になった手をパンパンとはたく。
さあ、撤退だ。
小十郎は一斉に駆けだした尼子兵に交じって走った。