6-4 鉱山奉行所外1
奉行所の裏口から小菊を逃がした。裏口にも関所にも見張りはいなかった。すべての目が騒ぎに向いているようだ。
運がよかったというよりも、危うい。気を逸らされているうちに、奇襲を掛けられたら……。
首の急所ががら空きのような感覚。
さっと周囲を見回して、最後に走って遠ざかっていく小菊の背中を見つめてから、関所の小さな扉を閉ざし念入りに閂を掛けた。
耳を澄ませる。騒ぎが近い。
本当に石銀地区から攻め込んできたのか? どれぐらいの軍勢が?
小十郎は意を決して走り出した。まずは状況を知るために、馬場を探そうと考えたのだ。
決定的な何かが起こる前に、探してくれるとは思うが、小十郎はあくまでも本城家の家臣であり、根津様の直属ではない。
彼らの指揮系統に組み込まれておらず、緊急時には後回しになるのはわかり切っていた。
小十郎自身が動かなければ、どういう状況なのか知ることさえできないだろう。
「大江殿!」
少し距離があるところから呼ばれて声のほうを見た。馬場殿だ。奉行所のほうから手を高く掲げながら駆け寄ってくる。
「どこに行っておったのだ!」
互いに走って距離を詰めて、開口一番、馬場の口からこぼれたのは非難だ。いや心配してくれたのかもしれない。
「小菊を逃がしました」
小十郎が頑として譲らぬ口調で対峙した。
「あの子は町人です。武家ではありません」
「……お主も逃げても良かったのだぞ」
そうなの⁈ ……反射的にそう声を上げそうになって、馬場の顔にあるのが、怒りとは違う表情だということに気づいた。
そんなに状況が悪いのか。
もし本当にここが敵に攻め落とされるのなら、小菊が逃げた先も安全とは言えない。
大森の町が戦場になってしまう? ……嫌だ。絶対にそんなことはさせない。
「根津様に知らせは?」
「もちろんすぐに走らせた。目代様にもな」
「敵の数は」
「わからぬ」
「猶予は」
「わからぬ!」
叩きつけるように叫ばれて、小十郎はぐっと奥歯を噛み締めた。
普段なら、念入りに距離をあける類の凶悪な面相だ。だが馬場が心底焦っているのがわかるだけに、小十郎がとったのはそれとは真逆の対応だった。
「では死ぬのを待つだけですか?」
鼻息荒い馬場の腕を両手でぐっと掴み、何度か強く揺すった。
「そんなことはありませんよね」
負けるにしても、負け方がある。何もできずに殺されてなどやらない。
せめてここで食い止め、あるいは時間を稼く。そうすれば根津様がなんとかしてくれる。
その時の小十郎は、もはや本城の殿に何の期待もしていないことに気づいていなかった。
「敵は今どこに? 山道は細いです。いっぺんに全軍がここに到達することはないはずです」
馬場ではなく、周囲にいた見知らぬ誰かがはっと息を飲んだ。
「どこで敵に襲われましたか? それはここからどれほどのところですか?」
「……ちょっと待て」
馬場が小十郎の腕を離させて、顔をそむけるように斜め後ろを向いた。しばらく荒く肩を上下させ、呼吸を整える。
「すまぬ、取り乱した」
再びこちらを向いた馬場は、先ほどよりも強面度が増した顔で小十郎を見下ろした。
「そうだな。すぐに調べさせよう。詳細がわかっておらねば、対応のしようがない」
「これを」
小十郎は、懐にねじ込んでいた例の手書きの地図を取り出した。
「坑道の配置図です」
「……おお、助かる」
地図を片手に遠ざかっていく馬場を見送って、小十郎もまた無意識のうちに乱れていた呼吸を整えた。
改めて見回した奉行所前の広場には、十人ほどの根津様の配下が集まっている。隠し坑道探しに出かけて無事戻ってきた者たちだ。
その中のひとりと目が合った。
お互いを認識した瞬間、相手が動きを止めた。組頭の幸田だ。何故ここにいる?
一瞬頭をよぎった、尼子の間者だったのか……という疑念は、おそらく幸田のほうも感じたはずだ。だがよく見れば、周囲の者たちのように武装しているわけではなく、帯剣もしていない。もしかすると隠し坑道探しに駆り出されたのか?
「……何故ここに?」
近づくと問われ、小十郎はどう答えたらいいかわからず口ごもった。
ますます厳しい顔になる幸田だが、いやどう考えても怪しいのはそちらのほうだ。
「隠し坑道は見つかりましたか」
小十郎は思い切ってそう返した。
本城家が率先して隠し坑道を掘っていたのなら、この男が知らないはずはないのだ。いまだ見つかっていないのなら、本城家に忠実。既に報告済みならその逆。
じっと睨まれ、怯みそうになるのをこらえた。
そもそも本城家が隠し坑道を掘り、主家である尼子を裏切っていたのだとしても、その家臣である幸田や小十郎がそれに疑問を持つのは間違っている。
幸田の考えはそんなところだろうが、恥じるところがないなら口封じを考えるべきではなかった。鉱夫たちに被害が出ない方法などいくらでもあったはずだし、大森の町に鉄砲を持ち込む必要もなかったはずだ。
神屋や太助、殺された番所の男たちの事を思い出し、腹に力を籠める。もしこのことに幸田が関わっているのなら……許せる気がしない。
小十郎がむっつりと唇を引き結び、幸田が何かを言おうとしたところで、「おーい!」と声を張り山のほうから駆け寄ってくる尼子兵の姿が見えた。
「三沢だ! 三沢の兵が三百! あいつら鉄砲もってやがる!」
三百か。三沢氏が動員できる兵の数がどれぐらいかはわからないが、本城家は鉱夫を入れないと五百人ぐらいだ。福屋の兵も合わせれば、十分に押し返せるはず。
だが彼らの目的が鉱山ならまだいいが、尼子にとっての敵、例えば毛利と組んでいるなら話は別だ。
根津様は大軍が迫ってくればわかる、と言っていたが、言い換えればその逆ならわからないということ。尼子家と全面対決しても勝ち目のない三沢が起ったということは、よほど強固な後ろ盾があるからだ。
やはり毛利か。
小十郎は、遠くから散発的に聞こえる「パン! パン!」という乾いた音に、どうすればいいのかわからず立ち尽くした。