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銀喰ノ記  作者:
仙ノ山2
39/86

6-2 鉱山奉行所 奉行居室2

 来客があったのは夜半。休む間もなく積み上げられていく冊子に目を通しつつ、その作業にも慣れてきたころだった。

「福屋様です」

 調子よく右に左にと冊子の山を片していた小十郎は顔を上げ、夜に見ると格別に恐ろし気な馬場の顔を見た。

 報告を受けた根津様は、帳面から目をそらさずに「通せ」と告げた。

 えっ、お通しするの? ここに?

 普通に仕事をしていて忘れかけていたが、ここはお奉行の居室だ。そうでなくとも、積みあがった資料の山が乱雑にそのあたりに置き散らかされているので、表の広間か、せめて隣室にした方がいいのではないか……。

 そう思いながら根津様のほうを見ると、相変わらずものすごい速さで冊子をめくる根津様はこちらを見もせず、馬場に向かっておざなりに手をひらひらと振っていた。

 小十郎にとっては、福屋の殿様は隣の偉い国人領主だ。本城の殿より少し下? ぐらいの感覚だった。もちろん小十郎にとっての主家が本城氏だからそう思うのであり、石見の銀山関連でいうと、地の領主としては一番力を有していると思う。

 そんなお方を、軽く扱ってもいいのか。

 小十郎の心配は良識の範囲内のことだと思うが、根津様は気にも留めない。

 ……もしかして、根津様って相当偉い人? 福屋の殿様を呼びつけ出迎えもしないということは、少なくとも同格以上なのではないか。

 たらり、と背中に汗が流れた。

 尼子家からの監査官だし、小十郎よりもずっとずっと身分が高い方だというのはわかっていたことだ。あれだけの兵を顎で使うぐらいだから相当だ。

 それでも目代様の配下のひとりなのだから、本城の殿より上かもしれないなどと、想像もしていなかった。

「御免」

 廊下からせっかちそうな男の声がした。

 小十郎ははっと我に返り、今更だが、部屋中に散らかっている冊子を片付けるべきではないかとと腰を浮かせた。

「そこに居れ」

 一応上座方向に座ってはいるのだが、あまりにも周辺が乱雑なのでそんな感じはしない根津様が、廊下側ではなく小十郎を見て言った。

「急がねばならぬ。手を止めるな」

「はっ、はい」

 本当に続けていいのか?

 不安になってきょろりと周囲を見回して、廊下に座る根津様と同年配の男と目が合った。びくりと全身が震える。

 新任の下級文官ごときに面識があるわけはないが、その立派な身なりから、おそらく福屋の殿様その人だろうと察しがついた。

 ……本当の本当に大丈夫なのか?

 根津様はともかく、小十郎がこの場にいるのは非常にまずい気がする。

 そわそわと腰が浮き、こちらの素性など知るはずもない福屋の殿様の訝し気な視線を浴びて、すとんとその場に座りなおした。

 引きつりそうになる顔を真顔に保ち、場を乱さない程度に頭を下げてから、さっと視線を手元に戻す。

 置物だ。置物に徹するんだ。

 入口すぐのところで刀の柄を握っているのに、誰の注目も浴びていない佐倉のように。


「いやぁ、手はず通りうまく行きましたな」

 福屋様は、きれいに整えられた髭をさすりながら、得意げに笑っている。

 その背後には低く頭を下げたままの男がふたり。護衛を兼ねているのかもしれないが、身なりからいって重臣だろう。

 小十郎は息を潜め、瞬きの回数すら最小限に、物言わぬ置物に徹していた。

 余計な動きをして誰からの気も引きたくない。あわよくば存在を忘れ去ってほしいと思いつつ、どうやっても耳に入ってしまう会話を静かに聞き流す。

 散らかっているからと場所を変えてくれるようなことはなく、根津様がその場所から動くこともなく、福屋の一行は入口の近くの、明らかに下座に座るしかなかった。

 それが小十郎よりも下座なのは大いに問題だ。

 武士階級のなかでも下位に属する者は、小十郎でなくともその手のことには敏感だ。気を使わなければ、誰に不興を買うかわからないからだ。

 内心冷や汗を流しながら、声を出したくない、目立ちたくない、いややはりきちんと指摘するべきか……など、ぐるぐると悩み続けた。

 そうしているうちに、福屋の殿の話はどんどんと微妙なものになっていった。

 根津様や、山吹城にいる目代様、尼子の大殿について大げさなぐらいに称賛し、福屋家の忠誠を当然のごとくに宣言し……そこまではいい。

 その次に、小十郎にとって冷や汗が脂汗に代わるような内容、本城家への不満不服を垂れ流し始めたのだ。

 本城家の不実を不愉快そうにあげつらい、欲を出すからこうなるのだと罵倒する。

 福屋の殿様が心底そう思っているかどうかはともかくとして、尼子家から城番に命じられた本城家を面白く思っていなかったのは確かだろう。うまく本城を出し抜いて兵を通したと声を大きくして喜んでいる。

 本城家を馬鹿にしきったそれらの言葉を聞いても、不思議と腹は立たなかった。主家を貶められ、怒りが込み上げてこないのは末期だ。

 むしろ、不快な言葉を延々聞かされることのほうに苛立ちを感じていた。夜明けまでに済ませなければいけない仕事が、まだまだ残っているのに。

「なるほど、既に目代様は山吹城ですか。流石に顔色を悪ぅしておりましょうな」

「身にやましいことなないのなら、顔色が悪くなることもないでしょう」

 根津様はひたすら聞き役に回り、策を弄したことなど微塵も匂わせず、にこやかに福屋の殿と話を合わせている。

 お互いの口調は丁寧で、遜りすぎたり尊大だったりもしていない。

 だが、この場の席次に福屋の殿が不快そうにしていないことが、すべてを物語っていた。

 明確に、根津様のほうが立場が上なのだ。

 田舎から出たことのない小十郎は、主家である本城の殿が、この世でもっとも高みにいるお方のように思っていたが、本城家も福屋家も尼子に臣従している。つまり上にはさらに上がいるのだ。

 そんな当たり前の事を、今になってようやく実感していた。

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