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銀喰ノ記  作者:
仙ノ山2
38/86

6-1 鉱山奉行所 奉行居室

 突如として現れた尼子軍は、現れた時と同様さっと消えた。

 もちろん比喩だ。だが、それぐらいあっさりと夜の闇に紛れどこかに行ってしまった。

 てっきり同行するものとばかり思っていた根津様は、「それは得意なヤツに任せる」と言い置いて、指示だけをして再び奉行所に戻った。

 五百か、それ以上の軍勢がどう動くのか……あまりいい予想はできない。

 まさか山吹城に向かったのか? 鉱夫たちの軍は大森の町の北、山師たちに圧を掛けにいくのだとすれば、山吹城は手薄だ。

 どうしよう。このことを本城の殿に伝えるべきか?

 小十郎はこの期に及んで、まだ本城を主家と考えている自身が情けなくなってきた。

 根津様は、先ほどまでいた帳場とは真逆の方向にずんずんと進む。


 おっかなびっくりに冊子をめくり、揺れる蝋燭のあかりに浮かび上がる文字を慎重に追う。

 ちらりと横目で見た根津様は、脇目も振らずぱっぱっと紙をめくっている。

 その動きは単調で、これは要るもの、これは要らないもの……と、積まれた冊子を仕分けしていく仕草に感情の入る余地はない。

 小十郎はため息を飲み込んだ。

 ここは帳場ではない。帳場の書類の確認は後回しだそうだ。ではどこかというと……言いたくない。絶対に言いたくない。いや事実は事実として受け入れなければ。

「白湯にございます」

 肝が極太の小菊が、楚々とした口調でそう言って白湯を運んできた。紙を濡らしてはいけないから、少し離れた場所に置く気遣いもなかなかのもの。

 根津様に差し出すものは割と近くに、小十郎は遠くにという塩梅も、高く積まれて処理されない冊子の量を見ての判断だろう。

「おお、ちょうど喉が渇いたところだった」

 癖が強そうな外見に反して、妙に愛想がいい。にこりと笑うとますます鼠……というよりも鼬のような顔つきだ。

 目じりに皺を寄せて白湯を受け取る表情は、こんな状況にもかかわらず上機嫌だった。

 仕事がうまく行っているからだろうな。思うようにやる人のようだからな。

 ここはお奉行さまの居室だ。居室と言っても、住んでいるわけではないので執務部屋とでもいうべきか。

 戸を開けた瞬間、壁一面に置かれた棚に、お奉行は仕事熱心な御方なのだと感心するべきか、隠しものは手近に置きたがる気質だと穿ってみるべきか、おおいに迷った。

 もちろん、決定的証拠となるようなものはここにはないだろう。監査が来るとわかった段階で処分を考えただろうし、それが詰め所を爆破することだったというのは「待て」と言いたいが、理由はわからなくもない。

 小十郎がまず頼まれた仕事は、ない可能性が高い隠し忘れを探すことだった。「ある」ものを探すのではなく、「ない」ものを探すのは難しい。

 だが根津様は面倒くさがることもなく爆速で仕事をこなしている。

 ちゃんと見ているのか気になるぐらいに、ひとつの冊子に目を通すのが早い。こちらの三倍、いや五倍の速さで手を動かしているから、積まれた冊子の山は小十郎の前にある半分以下だった。

 不意に、のそりと佐倉が動いた。

 これまで部屋の柱に背を預け、目を閉じ微動だにしなかったのに、唐突に刀を引き寄せたから驚いた。寝てたんじゃなかったのか。

不忍しのばずにございます」

 障子越しに聞こえた声は小さく、佐倉が動かなければ聞き逃していたかもしれない。

「入れ」

 根津様は湯呑を傾けながら普通の声色で言った。

「失礼いたします」

 すうっと障子が開いた。建付けは悪くないが、蝋を塗ったようにスルスル動くほどでもなかったはずなのに、微塵の引っ掛かりもない。

 小菊が怯えたように身を震わせた。

 静まり返った奉行所内なので、近づいてくる者がいればわかる。そのはずなのに、足音はもちろんのこと、障子を開ける音すらしなかったからだ。

「殿は入れと申されたぞ」

 刀の鞘を掴んだままそう言ったのは、佐倉だ。

 障子を開けた男は、暗い闇に溶け込むように暗い色の着物を来ていて、両手を前に付き額を床に押し当て、さながらそういう形状の置物か人形のように動かない。

「恐れ多いことでございます」

 男は、その体勢からどうやってか更に低く首を垂れた。

「申し上げます。目代様が無事山吹城にはいられました」

「本城に動きは」

「はい。おおむね予想通りかと」

「仁万か」

「はい、仁万です」

 根津様と男はさらに何度か短い言葉を交わし、やがて根津様が「わかった。松田様に書簡を書く故、届けてくれ」と言い置いて会話は終わった。

 そして何故か、根津様が小十郎を見る。

 聞いてはいけなかったかときゅっと口を閉ざすが、目をそらせることは許されなかった。

「聞いたな」

 にんまり、と唇を引き上げて囁く。

「仁万だ、小十郎」

 名を呼ばれて、背筋が冷えた。さながら、人さらいを前にした迷子のような気分だ。

 本当にこの道でいいのか。まだ引き返すことが出来るのではないか。

 そんな小十郎の逡巡などお見通しなのだろう。根津様は傍らに置いていた冊子をこちらに向けた。

「銀五貫。仁万湊」

 五貫。下級武士なら十人は養える金額だ。いやいやそういう話ではない。

「……拝見します」

 小十郎は積み上げられた冊子の山をわきによけて、根津様に近づいた。

 みたところ帳簿だ。たいしたことは書かれていない。少し大きめの取引なら、五貫ぐらいおかしな額でもないはずだ。現在の販路は陸が主とはいえ、仁万や温泉津などの海路がまったくないわけでもないだろうし。

 直接手では触れず、顔を近づけて書面を見る。

 やはり変わったところはなさそうだ。続きは別経由の搬出が単調に記録されている。

 首を傾げようとしたところで、根津様は頁を二枚ほどめくった。

 まただ。また五貫、仁万湊。

 頻繁というわけではないのだが、やはり気になる記述だった。

「どう思う」

 更に次の次をめくるとまたある。

 根津様の試すような問いかけに顔を上げ、意外と近い距離にあった鼬顔に「ひゅっ」と息を飲み顎を引いた。

「隠し坑道ひとつぶんに見えます」

 あっ、しまった。ここまで露骨に言うつもりはなかったのに。

 ……そう。一見地味な数字のようだが、毎月搬出しているようなので合わせると結構な量だ。

 年間にしてざっと六十貫か? 武士だけの軍勢を武装込みで百人分ぐらい用意できそうな量だ。

「いや、隠して掘っているのなら二つ三つ分はあるのやもしれぬ」

 根津様はうんうんと頷き、冊子を手元に引き戻した。

 あとは、年間搬出量を合計し、尼子に年貢として収められたものと比較するのだそうだ。

 ……誰が?

 言わずものがなの問いかけは、口の中に溶けて消えた。

「兵を、仁万に送ったのですか?」

 代わりにこぼれたのは、もっと踏み込んだ言葉だ。

 小十郎はしまったと口を押さえたが、返ってきたのは蝋燭の明かりに揺れる「悪そうな顔」だ。

 山吹城ではなかったと安堵したい気持ちは、あっさりと覆された。

 いや待て、これはもっと大きな話になるのではないか。

 漠然としたその危惧が確信に至るまで、それほど時間はかからなかった。

いろいろと試されている小十郎君14さい

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― 新着の感想 ―
仕事の出来る上司?に目をかけられてしまった新入侍の、出世と受難の物語ですね
>本当にこの道でいいのか。まだ引き返すことが出来るのではないか。 いやー、無理でしょうw 根津様、多分 使えるヤツめっけた。ラッキー♪ とか思ってますよね。
エリート教育ですね~
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