5-6 鉱山奉行所内 帳場
根津様の所作は静かだ。立ち上がり、帳場の入口に向かって歩き始めても、すっすと床をする足音しかしない。
どうしたのだろう、どこに行くのだろう。
小十郎の不安など気にも留めず、無言のまま戸を開けた。
その向こうに人影。だが敵ではない。根津様に向かって丁寧に頭を下げている。
「十人で詰め所跡を見てまいれ」
「ま、待ってください!」
根津様の動きを見守るだけだった小十郎は、はじかれたように立ち上がった。
いろいろと忘れていたことがある。
「詰め所のあった場所に、焙烙玉が仕掛けられていたのはご覧になられましたか」
「水浸しであったが」
「はい、水瓶が割れて火が付かなかったようです」
「なるほど、何かが残っているならそこだということだな」
それだけではない。五郎左だ。あの男に頼んで、鉱夫の幾人かに、他にも隠されていないか探してもらったのだ。あの件はどうなった?
焙烙玉が自作自演で、わざと爆ぜさせたものだという予想が正しければ、これ以上は隠されていないだろう。そもそも宗一郎殿と重要書類の両方を処分するための仕掛けだったのなら。
ああそうか。赴任初日の崩落も意図的なものだとしたら、監査が来る前に隠し坑道をつぶそうとしたのかもしれない。
ぶるぶると手が震える。いや手だけではない。膝も肩も全身が震えている。
駄目だ。まだ確定じゃない。
込み上げてくる怒りを飲み込み、冷静さを保とうとする。
「……おぬし」
根津様がこちらを振り返り、まじまじと小十郎を見て目を大きくした。
小十郎はごくりと喉を鳴らした。何か言おうとしたが、どうしようもなく震えて声にならない。
ぎゅっと小菊が袖を引いた。
息を飲み、幼い彼女と視線を合わせて、うるりと視界が緩んだ。
「どうして」
小菊の表情は、今にも泣き出しそうだ。きっと小十郎も同じ顔をしている。
「たくさん死んだんです」
証拠隠滅のために、味方の詰め所に炮烙玉を仕掛ける奴らなのだとしたら。鉱夫たちを人の数にも入れず隠し坑道ごと埋めようとしてもおかしくはない。
「……どうしてっ」
思い出すのは、呆然と座り込んでいた子供の姿。死にゆく妻を前にした男。目に木片が突き刺さっていた者も、手足が潰れてしまった者もいた。
悲しみと失望で目の前が真っ暗になる。
こんなことの為に仕官したのか。こんな連中に名を連ねるために?
だが半面、わかってもいた。
この世は強者のためにある。弱者は踏みつけられ、搾取されるのがならいなのだ。
「泣くな小僧」
しばらく黙っていた根津様が、静かな口調で言った。
「己が手で変えようと思え」
ボロリと涙がこぼれた。はっとした小菊が袖でせっせとふき取るが、余計にこらえきれなかった。
情けない。こんな時に泣くだなんて。
すぐに頭が冷え涙は止まったが、ひっくひっくと嗚咽だけがみっともなく残った。
「も、申し訳……」
小十郎はもじもじと詫びて、ちらりと根津様を見上げた。
根津様はまだいいが、佐倉はこれ見よがしにニヤついている。
カッと頭の先まで赤くなるのがわかった。恥ずかしい。
涙腺が弱いのは昔からだが、幼少期よりはずっとマシになっていたのに。
ごまかすように咳ばらいをして、ずっと出そうか出すまいか迷っていた鉱山の地図を懐から取り出した。
特別なことは書かれていない。なんなら、すぐそこにある冊子の裏表紙と大差ない。単純な山道と坑道の配置図だ。違いは、集計時にわかりやすいように番号を振っていることぐらいか。
八つに折っていたのでそれほど皺はなく、文机に丁度の大きさだった。
「一昨日、大きな崩落が起こりました」
小十郎は卓上の地図の数か所を、順に指でたどった。
「被害が特に多かったのが、ここと、ここです」
昨日、 避難指示を考えていて、小骨が喉に引っ掛かったように、気になっていたことがあるのだ。
「詰め所にあった地図を、某が手で書き写したものですが、可能な限り正確に模写したつもりです。ここから、このように鉱脈がはしっているので、一見おかしくはないのですが……」
仙ノ山はこのあたりでは背の高い山だが、現在掘られている坑道はその中腹あたりに集中している。一昨日崩落が起きたのは三か所。一見飛び飛びのようにも見えるが、山の斜面沿いの上と下だ。
鉱脈は、帯のように連なっている。だとすれば、このあたりにも坑道を掘っていておかしくない場所がある。
もちろん、道が作れないとか、本当にそこだけ銀が取れないとか、地図上の配置が正確ではないとか、大いにありそうではあるが。
長く仙ノ山に勤めている者がこの場にいれば、「現場を一度も見たことのない素人が!」と怒鳴りつけられてもおかしくなかったが、幸いにもこの場にいるのは、等しく土地勘のない素人ばかりだった。
佐倉などは感心したように「ほう」と顎をさすっているが、根津様はさすがにそれほど単純ではない。だが隠し坑道探索の参考にはしてくれるようだ。
もし坑道が、既存の鉱脈にないのなら、素人に見つけ出すのは相当に難しいだろう。本職の山師を頼るしかなくなる。
あともうひとつ。
これは言ってもいいものだろうと、両手を膝の上に戻して背筋を伸ばした。
「詰め所が燃えた後に、前日の崩落も焙烙玉のせいではないかと危惧しました。また同様のことが起こるやもしれぬと、鉱夫たちを坑道から出す指示をしました」
正確には宗一郎殿からの無茶ぶりが先だが、それはまあいい。
すべての坑道に避難指示は出せたはずだが、あくまでもそれは本城氏の管理下にあるものだけだ。そう、つまり……他家のものはどうなているのか、被害があったのかすら入ってきていない。
「兵らが十数人、坑道を回ると出て戻ってきていません。おそらくぐるりと一周し、ここに向かったはずなのですが」
小十郎は口をつぐんで、改めて地図の一角に指を乗せた。
石銀地区だ。