5-4 鉱山奉行所内2
宗一郎殿ではなく、宗一郎様と呼ぶべきか? そんな事を考えていた最中、恐ろしいことに気づいた。すでに尼子方は、隠し坑道について知っているという事だ。
むしろ小十郎は宗一郎から聞いた。馬場が調べていたことも踏まえれば、抜け荷についても同様だ。
本城家を慮って口をつぐんでも無意味だったのか。
どっと疲労感に襲われ肩を落とす。
目代様までおいでだということは、もとより尼子は本城家を追求するつもりでいたのだろう。
奉行所の上役たちは監査に身構えていたのではなく、どこまでことが露見しているか、戦々恐々だったわけか。
そういえば宗一郎から、「目代様に話をしておく」というようなことを言われた。小十郎と同期の新人文官には、絶対に無理な芸当だ。
「宗一郎殿がおぬしを気にかけておるのは、確実に、本城の裏とつながっておらぬからだ」
恨みがましく思いながら根津様を見ると、ひょいと肩をすくめられた。
「それなりに胆力があり、それなりに頭が回り、それなりに……まあそこそこ? 立ち回ることができる。おぬしの頼りないところは今後に期待だな」
「それなり」と「そこそこ」ですみませんね!
「はあ」と情けない息を吐き、もう一度じっとりと湿度の高い目で抗議の意思を伝えてから、さっと首を振って気を取り直した。
「それでは、鉱夫の派兵はどういう意図でしょう。お奉行を現場から離したいだけなら、改めて山吹城に呼べばよいのでは」
「わかっておるのだろう」
小十郎の不服の表情を見て、根津様も佐倉も苦笑した。
ほほえましい者を見るような目をしないで欲しい。ようやく立った赤子じゃないんだから。
「隠し坑道の実態と、抜け荷でどれほど着服していたかを調べる」
やがて、根津様がはっきりとした口調で言った。
だから鉱夫らもまとめて追い出し、目付のこの方が居残りなのだろう。
また知らなくてもいいことを知ってしまった。
「聞こえませんでした」
小十郎はきっぱりとそう言って、首を振った。
「最近耳の調子が悪ぅて」
小菊に回していた手で両耳を塞いで、二、三度擦る仕草をして見せると、根津様は変わらずの苦笑顔だが、佐倉は若干呆れたような表情になった。
「聞こえませんでした!」
嫌だ。絶対に嫌だ。これ以上厄介なことに足を踏み入れたくない。
「そうか。だがまあ、耳が聞こえずとも仕事はできる」
根津様はそう言って、弄んでいた扇子を腰に戻した。
「宗一郎殿が本城を名乗るようになれば、お主の本城家への忠義も報われるであろう」
怖い怖い怖い。
露骨に不機嫌そうなのに、にやにやと笑っているのが何よりも怖い。
小十郎はぶんぶんと首を左右に振った。
陣内某が、小十郎を執拗に殺そうとしたのもうなずける。宗一郎に組するということは、本城家への背任行為ともとられかねない。
……出仕初日から皆に裏切り者と思われていたのか。本当に勘弁してほしい。
そもそも尼子から見れば、本城こそが逆臣なのだろうけど、そんな陰謀じみたことに巻き込まないで欲しい。
「そ、某は大森の町に何かよからぬことが起きぬかと」
「鉄砲」
なんとか回避しようと言葉を選んでいると、根津様は急にズシリと重い口調で言った。
「何故に町に鉄砲が持ち込まれたと思う?」
小十郎は、小菊ごとびくりと身を引いた。想像はできるが、考えたくない。
「ひそかに毛利が攻め込んでくるとか……」
「大軍が迫っておればさすがにわかる」
さらりと否定されてしまったので、続きの言葉を飲み込んで眉を垂らした。
陣内が浪人たちの一味ということは、つまり宿場通りで籠城している奴らは本城方だ。
怯えた表情の小菊に目をやって、奥歯を食いしばる。
本城家の命令で、太助や番所の男たちが切り捨てられたのかもしれない。神屋が射られたほうに至っては、否定したくともできない証拠まである。
連中の狙いが宗一郎なのだとしても、そのことが露見すれば、町衆は本城家に反発するだろう。
そして小十郎は本城家の家臣だ。考えまいとしていても、親しい隣人たちに刀を向けなければいけない状況を想像してしまう。
「で、ですが宗一郎殿に鉄砲を撃ちかけるようなことは起こりませんでした」
「それは守りがしっかりしておったからだろう。まだその時ではないしの」
まだ、その時ではない?
小十郎ははっとして、根津様に顔を向けた。
長めの沈黙が落ちる。どくどくと心臓が脈打ち、急に口の中が干からびたような気がした。
ゆっくりと口を開け、カラカラの喉で声を絞り出す。
「毛利ではない」
情けなくかすれたその言葉に、根津様が小さく首を傾け。ぶるぶると震える小十郎を興味深そうに見ている。
「毛利では、ない」
「そうだ」
核心を言わない嫌な大人の返答だ。こちらが真実にたどり着かない限り、何もしゃべる気はないのだろう。
小十郎はぐっと両手を握りしめ、守るように小菊を腕に掻き抱いた。いや、縋るようだったかもしれない。
「お奉行が向かったのは、南ですか?」
震える唇が当たってほしくない予想を紡いだ。
「それとも……北ですか」
根津様はにんまりと口角を上げ、佐倉は難問を前に唸っているかのような声を漏らした。
「どちらだと思う?」
南なら、山吹城。北なら……石見の銀山を実質的に支配する山師たちの領域だ。
「鉱夫の多くが、山師たちと密接な関係にあります。彼らに武器を持たせてもいい結果になるとは思えません」
「そうかね。石見の銀は尼子のものだ。勝手に掘られては困る」
小十郎は、腹から息を吐いた。
そういうことか。尼子はとうとう、山師たちをも傘下に収めると決めたらしい。
勝手に銀を掘り、勝手に勢力を拡大されては困るということだろう。
鉄砲を用意したのは本城家であり、その標的は宗一郎なのだろうが、目代様はそれを黙認、いやわざと見逃して、口実にするつもりだ。
「毛利の侵攻が近々また起こるだろう。いざというときに足並みがそろわぬでは困る」
根津様はそう言って、脇息から肘を外した。
「懐を肥やすことばかりに夢中で、敵に取り込まれるものが出るのもな」
この辺りの勢力は単独では弱く、毛利が銀を狙って攻め込んできても守ることが出来ない。
尼子はそれでは困ると言いたいのだ。
「腹を決めて手伝え」
根津様の声に威圧的なものはまったくなく、むしろ面白がっているようでもあったが……それは実質的な命令だった。