5-3 鉱山奉行所内1
混乱と畏怖と、若輩者ひとりという思いと。
小十郎の中にあるのは弱者としての不安だったが、カツカツと鳴る硬質な音を聞いているうちに気持ちが落ち着いてきた。
腕の中の小菊が震えている。すすり泣いている。
今、この子を守れるのは自分しかいない。
ここで臆していては、何も成せない。
「根津様」
声は震えなかった。
「某にも主家に忠義を尽くしたいという思いはあります」
静かながらも、鋭く切りつけるような目がこちらを見る。
「それ以上に、大森の町を守りたい」
幼いころから慣れ親しんだ町だ。大江家の屋敷からは半日程も離れているが、父が本城家に出仕ていたので、年の八割がたはここに住んでいたと言ってもいい。
「何が起こっているのか、本当の事を知りたいです」
「……本当の事な」
根津様は乾いた声でそう言って、皮肉気に唇に弧を描いた。
「鉱夫たちを徴兵して何をしようとしているのですか」
あの軍勢が動いたのは、間違いなく目代様が許可なさってのことだろう。もしかすると、目代様がそう命じたのかもしれない。どちらにしても、目付である根津様がその理由を知らないはずがない。
「町に鉄砲を持ち込ませたのは誰ですか」
根津様と佐倉がさっと目を見交わした。驚いていない。鉄砲を見つけたのは小十郎らが最初のはずであり、宗一郎に伝えはしたが、そこから知るにしては早すぎる。
「御存知だったのですね」
ふたりからの明確な返答はなかった。答えがないのが返事のようなものだった。
「よろしいでしょうか」
部屋の外から、潜めた声でお伺いがかった。
「……入れ」
佐倉がそう返して一呼吸あってから、「失礼いたします」と几帳面な声が上がり、障子がすっと開いた。
中に入ってきたのは、見知らぬ長身の男だ。暗がりにいるせいか、仁王のように強面に見える。
男は頭を上げ、ちらりと小十郎を見てから、根津様に向かって軽く頭を下げた。
「生き延びそうです」
佐倉が盛大に顔をしかめる。
「ようやく捕まえた手がかりだ」
死なせるなと言う割には、不愉快そうな表情だった。
「はい。厳重に見張らせております」
もしかすると、小弓で射たあの男のことかもしれない。少なくとも太ももの矢傷は腕よりは重傷のはずだ。たぶん。
根津様が、「ふう」と長く息を吐いた。
「手厚くしてやる必要はない」
「もちろんです」
男は心得ているとばかりに頷いて、何故か小十郎を……ではなく、泣いている小菊に目を向けた。
根津様が鉄砲の事を知ったのは、馬場というこの男からだったそうだ。
馬場は太助の旅籠に泊っていて、例の浪人たちの動きを探っていた。つまりは、おおよその状況はすでにもう根津様に伝わっていたということだ。
「おとなしくしておれと申したではないか」
「……だってぇ」
「でも」と「だって」が嫌いな小菊が、めそめそと泣きながらつぶやく。
馬場はどうやら、山道の途中で小菊を見つけて、放っておくこともできずに関所を越えさせてくれたらしい。
そうか。じっとしていられない小菊は、言いつけに従わず勝手に行動し、あの男に捕まったのか。小菊らしすぎて納得する。
だが待て。陣内とかいう例の男は、太助の旅籠の常連だった? だが自由に鉱山に出入りしていたし、宗一郎をつけ狙う様子だったぞ。
さあっと血の気が下がった。
陣内が尼子の敵方。陣内は小十郎の上役たちと通じていた。
そこから導き出される答えは、本城家の叛意だ。さらに突き詰めれば……
「瀬川宗一郎殿は、尼子家に縁が?」
小十郎はそう口にしてから、黙っておけばよかったと慌てて手で塞いだ。だが、一度出てしまった言葉は戻らない。
上役たちが、腫物を扱うような態度をしていたのは、宗一郎が尼子に近い出自だと皆知っていたからか。大勢の武士たちを従える様子からも、そうとうのご身分なのだろうとは思っていたが。
「本城家に婿養子に入るという話が出ている」
「えっ」
根津様の暴露に、素で大声が出た。
それって、つまり? いや本城の殿にはご嫡男がいらっしゃるから、本城家を継ぐ云々ではないだろう。ないよな? それ以外で考えられることと言えば……。
「……銀山を?」
「尼子家と本城家が深く結びつくためのものだ」
根津様は淡々とした口調でそう言うが、ことがそんな上っ面のいい話ではないのはわかりきったことだ。
「銀山の利権でしょう」
佐倉が荒っぽく数回咳払いをした。
根津様はほんの少し笑って、「それが婚姻同盟というものだ」と言い切った。
「ですが、それを狙うのなら本城家ではなく、福屋や三沢などのほうが……」
言いかけて、黙った。
そんな小十郎の表情を見て、根津様は再びうっそりと口角を上げる。
夜の室内という閉鎖した雰囲気、行燈の揺れる明かりという不安定さともあいまって、根津様のその表情はなんともおどろおどろしく、恐ろしく見えた。
本城家はもともと、尼子氏の臣としての性格が強い。
例えば三沢や福屋のような地に根差した国人領主とはちがい、尼子氏によって銀山支配のために配置された、半ば派遣的な役割ともいえる。
だがそれも昔の事で、ずいぶんと長く山吹城の城主を任されている。
当初の目的は地元の勢力を制するためだったにしても、いまでは鉱山を堅実に運営している。着実に地盤を固めていると言ってもいい。
……そうか。尼子はそれを良しとはしなかったのか。
「銀山は尼子のものだ」
根津様にきっぱりとそう言い切られて、そうだと理性では思うのに、感情の面で違うと言いたくなる。
つまり、それが問題なのだろう。