5-1 山道の先
「……そうか」
小十郎は静かに呟いた。
目の奥がツンと痛んだ。ぐぐぐっと胃の中からすっぱいものが込み上げてくる。
今は駄目だ。今は駄目だ。
考えろ。考えろ。考えろ。
伸ばした手で、矢羽根をぐしゃりと握った。小十郎の背にあるものよりしっかりとした本物の猛禽の手触り。手にまいた布越しにその硬さを感じ取り、もう一度「そうか」と呟く。
神屋を射た弓は、小十郎を狙ったものだったのだ。
敵はこの命をどうあっても刈り取りたいらしい。
理由は?
隠し坑道。抜け荷。これ以外に考えられない。
小十郎が死ねば、何が敵の有利になる? 何が目的だ? 言っては何だがたかが新人、下っ端の文官だぞ。
ゴゴゴゴ……
遠くでかすかに、重く石臼をするような音がした。
はっと見た先で、いつのまにか、砦方向に無数の松明のあかりがあった。
ぞっと全身に鳥肌が立った。見ている間にも次々と、その明かりが増えていたからだ。
すでにもう闇深い夜なので、小十郎の目に映るのは、まるで人魂のようにも見える無数の明かりだった。蛍のように優しく小さな明かりではない。轟々と燃える、命の灯ようにも見えた。
本能的に身を屈めた。あれが何かなど、言われるまでもなくわかる。
大森の町の番所が破られ、浪人が鉄砲をもって集結していると伝わったのだ。
小十郎はそれを、安堵の目で見ることが出来なかった。宗一郎の手の者によって、すでにあらかた状況は収束している。そのことが伝わっていないとは思えない。
何のためにあれほどの数を出すのだ? 鉱山の男たちは兵ではない。いやその辺の農民よりはずっと屈強かもしれないが、彼らが戦に駆り出されることは滅多とない。
そもそも鉱夫は銀を掘るために存在する。専門の職人といってもいい。彼らを動かす許しを出せるのは、本城の殿。あるいは……尼子家。
折しも、あそこには目代様がいらっしゃる。目代様がいらして、本城の殿が鉱夫を兵として動かすには相当の理由がないと難しいだろう。
松明のあかりが、まるで生き物のように隊列をなして近づいてくる。次第に松明を掲げ持つ兵らの輪郭が見えてきて、先鋒に立つのはやはり鉱夫たちだと見て取った。
小柄な小十郎は、ほんのわずかに茂みに身を潜めるだけで、簡単に夜に紛れることが出来た。
息をひそめて軍列を見送る。
見てわかるのは、彼らが思いのほかしっかりと武装しているということだ。
まさか、大森の町を殲滅するつもりではないだろうな。
ぐっと奥歯を噛み締めて、当たってほしくない予想を頭から振り払った。
いやちがう。絶対に違う。罪人として賦役についている者も、それ以外も、大森の町には家族がいる者が多い。そんなことにはならないはずだ。
目測で千ほどの鉱夫が主の軍勢が、物々しい沈黙の中、山道を下っていく。
その最後尾には武士の一団が堂々と歩いている。挨拶を交わした上役たちもちらほら。鉱山奉行の本城左近将監様、本城の殿のご実弟が大将のようだ。
ああ、枝野がいる。幸田はいない? もしかしてまだ戻っていないのか?
随分と本格的な戦支度だ。宿場通りで籠城している浪人たちを相手取るには過剰すぎる。やはり敵がどこかにいるのだ。毛利か? それとも近隣の有力国人領主か?
小十郎は身じろぎもせずに、軍勢が通り過ぎるのを見送った。
戦になるのか。雑兵をあつめる余裕もないほど緊急なのだろう。鉱夫に銀を掘らせず武器を握らせるなど、よほどのことだ。
もしここにいるのが父なら、あるいは兄だったら。
間違いなくあの軍列の末端に付き従い、何が起こるかつぶさに見ようとしただろう。あわよくば武功のひとつふたつ、あげることが出来るかもしれない。
だが小十郎に戦働きは向かない。
言い訳ではない。それよりもっと大切なことがある。
隊列が十分に離れるのを待ってから、小十郎は再び山道を登り始めた。
鉱山に入るには、この道しかないと言ったかと思うが、それは正確ではない。
実際のところ、山をぐるりと柵で囲っているわけではないので、獣道あるいは道なき道を行けば山に入ることは可能なのだ。
この道が唯一だと言われているのは、単純に、荷台が通ることができる整備された道がここだけということだ。軍勢も然り。
符丁を持たない小菊が奉行所に行くには、関所で訴えるか土地勘を頼りに山に入るかの二択になる。土地勘といっても仙ノ山には立ち入ることが許されていないから、漠然としたものだろうが。
まずは小十郎を頼って関所に行ったはずだ。そこで不在を告げられる、あるいは無下に追い返される。幼い少女がひとりで尋ねて行ったとて、それぐらいの対応がせいぜいだろう。
いや、誰かが親身に小菊の話を聞いて、大森の町の異変に気付いたのかもしれない。
だとしても、軍勢を出すに至る前に、大森の町の実態を調べるだろう。そもそも兵ではない鉱夫たちに、あれほどしっかりとした武装をするには、準備期間が必要なはずだ。
嫌な予想だけが増していく。
こうなることを、奉行所のお偉いさんは知っていたのかもしれない。
煌々と篝火が焚かれた関所を前にして、足が止まった。
ふと、思ったのだ。
番所を襲った者は、町の中ら外へ向かったのか、外から中へ入ろうしたのか。
小十郎は、深く考えることもなく、山からの抜け荷がすでにもう町に入っているからだと思っていた。
その逆だったら?
番人たちは小菊の話を聞いて、そのあと太助が切られた姿を見ただろう。襲撃者は、その口を塞ぐ必要ができたのではないか。
すいません、寝落ちして昨日のうちに更新できませんでした
この話は昨日更新予定分です
今日の分は今日のうちにあげます
またも文字ばかりですいません
大事な考察なので……