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銀喰ノ記  作者:
仙ノ山
3/80

1-3 崩落1

 幼少期から、刀よりも畑で鍬をふるうことが多かった小十郎だが、畑仕事をする田舎者の全員に体力があると思わないでほしい。

 むしろ食うに困る貧しい暮らしで、どうやって屈強な身体を作るんだ。

 槍や刀をもって戦場を駆け回った父や兄とて、そう大柄というわけでもない。母など小枝のように痩せている。

 何が言いたいかというと、急斜面になっている山道を駆け上るには、小十郎の足腰は貧弱だったということだ。女や子供や老人ですら、重い荷物を担いで往復する道のはずなのだが。

 更には、大勢が避難しようと山を駆け下りてきていて、その人波に逆行するのも大変だった。

 押し返されて後退することもしばしばで、小さな崖のような場所から滑り落ちていてもおかしくなかった。大勢が一斉に叫んで走り抜けていくので文句も言えない。


 もうもうと砂煙が立ち込め、まともに目も開けられないし息も吸えない中、ようやく騒ぎのもとにたどり着いた。

 崩落が起きてから四半刻は経っていたと思う。

 必死だったから気づかなかったが、そこは崩落現場ではなく、土砂の中から掘り出された者たちが集められている場所だった。

 乱雑に並べられた死体は土まみれで、戦場を知らない小十郎にとって地獄のような光景だった。

 砂塵で目をやられて、涙が頬を伝う。瞬きをしても、もはや異物感ではなくヒリヒリとした痛みしか感じない。

 山道を登って息も絶え絶えの小十郎は、その涙が生理的なものか、自分が泣いているのかもわからない状態で両膝を折った。

 生きている者もいる。だがその者たちも、腕や足が無残に潰れている。

 細い声で泣く子供が、動かなくなった男にすがっている。父親だろうか。だがその子の足も、太ももから下が血まみれだ。

 ……なんてことだ。

 内心逃げ出したくてたまらなかったが、小十郎はぐっと奥歯を噛み締め頬の涙をぬぐった。

 「崩落」という言葉は聞いたことがある。鉱山でしばしば起こる事故なのだそうだ。

 しばしば? ……その言葉を覚えた時にはわからなかった現実に、打ちのめられそうになる。

 小十郎は懐から取り出した手ぬぐいで、血の気の失せた顔をしている子供の足を縛った。

 戦場から戻った時、兄の足はすでに失われていた。止血をしてもらわなければ死んでいたそうで、その時のことを根掘り葉掘り聞いていたのだ。

「と、とうちゃ」

 小十郎よりもずっと小さな子供が、力のない声で父を呼ぶ。

 ちらりと見た屈強な鉱夫は、もう息をしていなかった。その胸元の守り袋を首から抜き取り、子供の手に握らせてやると、うつろな目にブワッと涙が浮かんだ。

「……生きろよ」

 小十郎はそう言って、泥が乾き始めた子供の手を、守り袋ごとぎゅっと握った。


 その後も、どんどん死体と怪我人は増え続けた。

 時間を経ることに死体のほうが多くなり、苦痛の声に交じってその近しい者たちの嘆き声が響く。

 小十郎にできることはほんのわずかで、死体と怪我人の仕分けと、可能なようなら止血の真似事と、悲壮な表情の子供たちの頭を撫でることだけだった。

 そうこうしているうちに周囲を取り巻いていた砂塵が薄れ、春の陽光が容赦なく現実を突き付けてくる。

 いったい何人死んだ? どれだけの怪我人が出た?

「邪魔だ!」

 そんな小十郎の背中を、誰かが強く押した。

 つんのめって吹き飛ばされそうになり、振り返ると、いかにも気が荒ぶった男が怪我人を二人、両脇に抱えて仁王立ちになっていた。

 背中を押されたというよりも、空いている場所に怪我人を寝かせたかったようだ。

 小十郎はとっさに両手を伸ばし、意識のない怪我人たちを支えようとした。仁王立ちの男はそれを振り払うように分厚い身体をねじ込ませ、二人を土の上に寝かせた。……ああ、ひどい怪我だ。

「医者を」

 思わずそう呟いた言葉がにかぶせるように、盛大な舌打ちが返ってきた。

 そんなものは来ないと言いたいのだろう。

 小十郎とてわかっている。鄙びた田舎の片隅の、食うに困るほどの貧乏武家の出だ。

 医者を呼ぶには金がかかる。いい医者ならなお高い。目の前にいるような、眼球に木片が突き刺さっているような怪我を診てくれる医者は、こんなところには来ない。

 男が運んできた怪我人は、片方は女だった。小十郎の母に近い年齢だ。肩のあたりに腕ほどの太さの木切れが食い込んでいる。

 右目に木片が突き刺さっているのは、鉱夫にしては線の細い若い男だ。日焼けして顔も泥で汚れているが、瀬川ぐらいの歳だろう。

 二人とも土気色の顔をしていて、いまにも息絶えてしまいそうだった。

 彼らを運んできた男が、女の傍らに両膝をついた。分厚い手でするりと彼女の頬を撫で、痛みをこらえるような表情になる。

「逝くな、逝くな、わしを置いて逝くな」

 そうか、この男の連れ合いか。

 男の慟哭は短く、小声だったが、鋭く小十郎の胸を刺した。

 まともに見ていることが出来ず、目を背けるが、それでも視界に入るのは地獄絵図だ。

 ここにいる誰もが、小十郎が関所を通り抜けた時には生きていた。奉行所で挨拶まわりをし、詰め所まで帳面を運んでいたその間に、どれだけの命が無残に散らされたのだろう。

「怪我人を山から下ろそう」

 その呟きが、誰かの耳に意味のある言葉として届いたとは思わない。独り言のように頼りなく、細い小さな声だったからだ。

 小十郎はゆっくりと息を吐いた。

 医者がいないにしても、止血などの手当てはできる。大森の町に行けば薬売りもいる。こんな時代だ、多少なりと治療の心得がある者もいるだろう。

 大切なのは早さだ。時間が経てば経つほど、怪我人の命が失われていく。

 それから覚悟だ。下っ端役人の小十郎は、勝手な真似をする権限などみじんも持ち合わせていない。いや逆に、初日の何も教えてもらっていない今だからこそ、知らなかった分からなかったと言い訳もつくのではないか。

 そんな風に身構えてしまうのには理由があった。小十郎以外の役人の姿が、いまだどこにもないのだ。

 これだけの騒ぎが起こっていて、気づかないなどあり得ない。つまりは、役人たちは気づいているのに来ないのだ。

 現場を仕切っている者たちはいる。だがその誰も武士ではない。

 つまりは、崩落事故の対処は役人の仕事ではないのだろう。

 初日から目立ちたくなかったが、仕方がない。新人の出しゃばりで片が付くなら、いくらでも頭を下げる。

 小十郎は手を伸ばし、背中を丸めている男の腕をつかむ。反射的に振り払われたが、構わず声を掛けた。

「大森の町に、医者がいないか聞いてくる。薬師の心得がある者には心当たりがある」

 妻だけを見ていた男の目が、ゆっくりと小十郎の方を振り返った。

「……なんだと」

「怪我人を山から降ろす。手を貸せ」

「無理だ。我らは関所を越えることを許されておらん」

 鉱山で働く者には罪人も多い。もちろん一般の働き手もいるが、特に危険な坑道内で岩を掘る役目は、そういった者たちが担うのだ。

「ならば連れてくる」

 小十郎は、真っ赤に充血した男の顔を、至近距離から見据えた。

「生きているなら、諦めるな」

 奇しくもそれは、父が最期に兄に遺したという言葉だった。

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― 新着の感想 ―
こんな崩落現場にお役人がひとりも来ないとは…。 とんだブラック職場ですね。 新人初日から大変なことです。
冒頭は物語りのどん底か、そうなる寸前というのが、ハッピーorグッドエンドの基本と聞きますが 随分と厳しいスタートですね 成り上がりというキーワードを信じて!
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