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銀喰ノ記  作者:
大森の町
28/86

4-8 太助の旅籠1

 離れなので、出口は裏通りに面し、門も小さなものだ。

 その前にずらりと並ぶ武士たちを見て、またも宗一郎の素性について思いが及んだが、考えても無駄なのでやめておく。

 ジロジロと寄せられる視線をかわし、ぺこりと頭を下げて足早にその場を去った。

「大江様」

 そこからほんの数十歩。細い道の角のところで声を掛けられ、立ち止まった。

 身構えた小十郎の前に庄次郎が立ち、誰何するように目を凝らして、ふたりほぼ同時に相手が誰か察した。

「福船屋か」

 警戒の口調で庄次郎が呼びかけると、暗がりからすっと男が現れた。影になっているのでまだはっきり顔は見えないが、福船屋伝八だ。

 そういえば、神屋や町の男衆を集める声掛けをしてくれた後、姿を見ていなかった。いくら宗一郎に仕えていようとも、一介の商人であるならあの場に顔を出さないのは妥当な判断だ。

「瀬川様より、お手伝いをするようにと」

「……手伝い?」

 庄次郎は訝し気な口調でそう言って、しばらく黙った。不穏な沈黙だ。

 小十郎はそっとその袖を引いた。

「急がないと」

 庄次郎ははっとして背中を揺らした。小十郎のほうをちらりと振り返り、数回首を上下させる。

 まずは小菊と春だ。無事を確かめて太助の負傷を知らせなければ。

 それから番所に行って、今夜から明日、警戒を緩めないようにと伝えるのだ。あとは……。

 小十郎はこうしてはいられないと歩き出し、庄次郎も、伝八もその後に続いた。

「そういえば、長屋のほうは?」

 下町の騒ぎは無事収まったのだろうか。悲鳴のようなものも聞こえたが。

「新入りと揉めたようで。解決したというか、危ういところだったというか……」

 話しながら通りを横切り、二つ目の小道を曲がる。大柄な庄次郎には難儀な狭さだが、文句は出なかった。

 目と鼻の先なので、太助の旅籠の裏側が見えてくるまですぐだ。

 裏側といっても、背中合わせに立っている木賃宿が宿場本通りに面した位置にあるので、松明を手に巡回する兵と宿場通りに居座る浪人らは、会話が聞こえるほど近い。

 三人はしばらく黙って、松明の明かりを躱しながら細い道に入った。いや道というよりも、建屋と建屋の隙間だ。

 やがて月明かりの下に、いつもと何ら変わりない太助の旅籠が見えてきた。

 ほっとして足を速めようとしたところで、伝八に止められた。

「先に行きます」

「そうだな。ワシが殿だ」

 用心せず突進するのは危険だと、二人ともから言外に言われて、闇雲に急いているのが恥ずかしくなった。武士なのに。しっかりしないといけないのに。

 目を凝らす。太助の旅籠には、一見何も変わりがないように見える。

 裏木戸が閉まっているのはいつものことだ。だが洗濯物? 見間違いでなければ、あれは小十郎の袴ではないか? 預けたのは昨日の早朝だから、おかしくないのかもしれないが、そもそもこんな時間まで洗濯物を干しているだろうか。

 もう一度、他に何かあるかと観察して、勝手口の軒先に客の草履がぶら下がっているのも変だと思った。夜露に濡れるので、いつもは納戸に入れているからだ。

 足を踏み出そうとした伝八の着物を掴んだ。庄次郎に切りつけられたままの袖なしの袖だ。小十郎は振り返った男に、静かにするようにと身振りで告げた。

「……奴らがいる」

 そうだ。何事もないなら、洗濯物や草履を出しっぱなしにしている母娘ではない。

 想像して血の気が下がった。いつからだ? 太助が怪我をしたことと係わりあるのか? 裏通りの小さな旅籠には浪人はいないと聞いて安心していたのに。

 伝八の表情が険しくなった。小十郎の肩越しに顔を突き出した庄次郎も、疑い深げに顔をしかめる。

「ひと通りざっと見て回ったんじゃないんですかい」

 そう。宗一郎が連れてきた武士たちは、宿場通りを封鎖する際、取りこぼしがないように他のところも見て回ったと言っていた。

 それにいくらか気を緩めていた自身に歯噛みして、小十郎は小さく頷いた。

「……いる。あるいは、小菊たちに何かあったんだ」

 全身がぶるぶると震えた。それを情けないと思うより、恐怖が勝った。血まみれの太助の姿が脳裏から離れない。小菊は? 春は? まさかもう……。

「しっかりしろ」

 両肩をぐっと掴まれた。

「助けを求めてるかもしれねぇ」

 庄次郎の低く座った声色に、じわりと涙がにじんだ。

 怖い。この先に進むのが怖い。小菊や春が、あの勝手口の先で死んでいるのかもしれない。

 だが同時に、一刻を争う事態の可能性もあった。

 ぐいと袖で涙をぬぐって、頷く。

「どうすればいい」

 二人は顔を見合わせた。


 小十郎は息を整えた。拳で勝手口の戸を叩こうとして、やはり手が震えていることに気づく。

 こちらを見守っている庄次郎と伝八が、励ますように頷くのが見えた。

 二人は勝手口を開けても見えない位置に身を潜め、いつでも介入できるようにしている。

 もう一度大きく息を吸った。手の震えが止まった。小さく数回戸を叩く。

「……春、いるか? 春」

 そっと、声を潜めた。

「小菊? 太助? 無事なのか?」

 なおも叩こうとしたところで、伝八が軽く手を上げた。指で中を示して、親指と人差し指と中指を上げる。

 三人? 三人いるというのか?

 春と小菊と、あとひとりは客だろうか。あるいは三人ともが侵入者か。

 ガタリと内側のつっかえ棒が外される音がした。

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ホラー小説ばりにドキドキ……! :(´◦ ̫ ◦`): 小菊ちゃんになんかあったら許さん!
ハラハラドキドキのフェイスマークがほしいです。
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