4-6 宿場通り2
反射的に手を伸ばした。
だが小十郎の力では、老いてなお屈強な神屋を支えることが出来なかった。
二人そろって地面に叩きつけられる。
大きな石はないが、大勢に踏みしめられて硬い地面だ。
小十郎は激しく身体を打って呻いた。かばおうとした神屋も無事ではない。胸を貫いた矢がまだ刺さったままなのが、松明の明かりにはっきりと映った。
一斉に駆け寄ってきた大勢が、幾重にも周囲を取り囲む。その中の一人が重なっている小十郎と神屋とを引き離し、どくどくと鮮血があふれる矢に触れようとした。
「抜くな!」
小十郎の制止に、矢を抜こうとした男の手がびくりと止まった。
もそもそと起き上がった小十郎は、這いつくばるようにして神屋に近づいた。
矢は左胸の上、鎖骨の下を斜めに貫通している。出血も多く、何より――場所が悪い。
「医者を。早く!」
傷をひと目見ただけでわかった。下手に抜けば死ぬだろう。
書物で読んだことがある。返しのある矢尻は、抜けば内側の肉を裂く。すぐに止血ができなければ命が尽きる。
だが幸いにも医者が近くにいる。腕のいい金瘡医だ。あの男なら……。
目まぐるしく考えながら、震える手でかすむ目を拭った。神屋の血が顔に飛び散って視界を塞いでいる。いや、額あたりを擦りむいたかもしれない、擦ったところがジンジンと痛い。
小十郎は何故か神屋とひとまとめにされて担がれて、矢が届かない位置に移された。
血まみれだったから、怪我をしていると思われたのかもしれない。
「……畜生がっ!」
男衆たちの怒りが膨れ上がり、それぞれが武器を構える。
止めなければいけないのに、うまく言葉にならなかった。
よりにもよって、町年寄であり山師の頭領を矢で射られたのだ。冗談だったでは済まされない。
ここをうまくさばかなければ、取り返しのつかないことになるだろう。
幸いにも、大義名分はこちらにある。抜け荷に対する初動は、年寄や名主の領分だ。宿改めをするのは当たり前であり、相手が名乗りもしない浪人ならば、そこに忖度の介入の余地はない。
しばらくの間をおいて、怒号が宿場通りいっぱいに反響した。
駄目だ、よくない。これはよくない。
衝突が起こる可能性は高かったが、多勢に無勢、小競り合い程度で収まるはずと期待していたのに。
初っ端の神屋の負傷が火蓋になってしまった。皆を止めなければ。
小十郎は硬い土にぎゅっと爪を立ててから、立ち上がった。
オロオロと神屋を囲んでいた男たちがこちらを見る。
深く息を吸いながら、神屋が死んでないことを確かめようと目を向けると、その瞼が薄く開いていた。
「あっ」と誰かが声を上げ、数人がその顔を覗き込む。神屋は思いのほかしっかりとした手つきでひとりの肩を掴んだ。
幼いころ、小十郎がよくこの町に来ていた時でさえ、年に一度顔を見るか見ないかの関係だった。言葉を交わしたことなど数える程度。それでも、小十郎にとっては頼りになる「立派な大人」で、尊敬に値する町のまとめだ。
そんな人が、血の気が失せな真っ青な顔をして、ぶるぶると震えている。
「大江様」
低い声はかすれ、ひゅうひゅうと喉が鳴っている。
「……町を……皆を……」
「旦那、しゃべっちゃ駄目だ!」
肩を掴まれた男が必死で呼びかけるが、神屋の声は次第に小さく、目も朦朧としたものになる。
「お守り、くだされ……」
言葉の続きは喉に詰まり、最後のほうはほとんど聞き取れなかった。
小十郎はゆっくりと息を吸い、そして吐いた。
「わかった」
果たしてその返答は、神屋の耳に届いただろうか。
刺さった矢が呼吸のたびに小刻みに震えている事だけが、生きているしるしだった。
「静まれっ!」
剣呑な叫びが飛び交い緊張が張り詰める中、小十郎の声はまったく目立たなかった。それどころか、かき消されたといってもいい。
それでも、できる精いっぱいの大声を張った。
「これより、宿場通りを封鎖する!」
おそらく、ほとんどの者の耳には届かなかったと思う。だが、手前にいた者からはっとしたように振り返り、仁王立ちになった小十郎を見る。
まじまじと見たところで、所詮は若輩者。元服しているかどうかも怪しい小柄な武士だ。
だが、まずは通りに溢れている町の男衆から、戸惑ったように武器を下げた。
徐々に静けさが伝播していくのを確認してから、もう一度大きく息を吸う。
「身の証しが立つまでは、何人たりとも通さぬ!」
今度こそ皆の耳に届いたと思う。
そう、これこそが小十郎が選択した、右に転んでも左に転んでも対処可能な「事態の掌握」だ。
言葉の意味がそれぞれの頭にしみ込んだであろう瞬間、まるでそれを待っていたかのように、ぼぼぼ……と、幾つもの松明が夜の闇に翻った。
「双方、武器を収めよ!」
ざわめく通りに響き渡ったのは、芯がある若い声だった。
松明の並ぶ間から現れたのは、白い羽織姿の若武者……瀬川宗一郎だ。
「これより動いた者は容赦なく捕縛する!」
ざわりとどよめきが走った。
小十郎と同期の下級武士のはずなのに、背後には黒胴に槍を手にした武士たちが整列し、宿場通りを封鎖するかのように広がっている。
その身なり、雑兵ではない兵の質。……やはりただ者ではない。
小十郎は呆然とそれらの一団を見つめていたが、近寄ってくる宗一郎に「ようやった」と言われて初めて自失から回復した。
勢いよく息を吐いた。大量に吐きすぎて肩が落ち、背中が丸まる。
「なんですか。どういうことですか」
「おぬしには言おうと思うておったのだ」
できればもう少しだけ早く来てほしかった。せめて神屋が射られる前に。
「あなたは何者ですか」
今聞くことではないとわかっていても、そう問わずにはいられない。
宗一郎はニッと唇を引き上げただけで、それ以上口を割ろうとはしなかった。