4-5 宿場通り1
時は戦国。そう言われて随分になる。
応仁の乱から八十年を越え、今なお日ノ本全土で戦乱が絶えない。
だからこそ、市井に生きる者たちにも危機意識があった。
いつか自分たちの住む町にも戦火が押し寄せるかもしれない。そうなった場合どうするのか。
肥大し続ける町を守る年寄や名主たちは、常にそのことを考えていたのだと思う。
小十郎の、いや庄次郎の呼びかけに応じ、一刻どころか四半刻ほどで主だった男たちが集まってきた。
「大江様」
初対面ではないが、会うときにはいつも緊張してしまう町年寄の神屋は、六十を越えてまだ現役の山師だ。
山師と聞けば、鉱脈を探して津々浦々を放浪する怪しげな奴らを想像するが、石見にいる山師たちは違う。いや鉱脈を探す専門家ではあるのだろうか、それだけではなく、自らの山、自らの坑道を持ち、莫大な財と力を築き上げた存在でもあった。
つまり、下手な小国の国人領主よりずっと力を持つ存在なのだ。
小十郎の前で丁寧に頭を下げた白髪の男は、そんな複数ある山師の一族の代表格であり、大森の町の年寄職でもあった。
鉱夫を入れて六千を越える町人たちの代表だ。木っ端役人の小十郎に頭を下げるいわれはない。特に、幼いころから町中で走り回っていた小僧なわけだし。
頭を下げられて焦ったが、両手を上げたところで周囲の男たちの視線に気づいた。
そうか。かつての小僧ではなく、役人の大江小十郎としてここにいるのだ。
「厄介なことになっとるようで」
神屋はどっしりと太い声でそう言って、遠目に見える宿場通りに目を細めた。
その背後には、筋骨隆々の山の男たちが、手に刀や槍、ある者はつるはしを握って立っている。斧を持っている者もいる。身なりは様々だが、ほとんどが軽装ながらも防具を身に着け、物々しい雰囲気だった。
見慣れている屈強な奴らのはずなのに、漂う異様な雰囲気に腰が引けた。
小十郎はごくりと喉を鳴らし、怯えを飲み込んだ。怖いなどと言っている場合ではない。
「神屋殿」
しまった。声がひっくり返った。
だが笑い声をあげる者は誰もおらず、眼光鋭い神屋の目がこちらを向いた。
口の中がカラカラに乾き、何を言っても震えそうだったが、相手が小十郎の返答を待ってくれているので、数回唾を飲み込んで息を整えた。
「……まずは話し合いからです」
今度は普通の声が出た。
神屋はじろりと小十郎を見据え、腹に響くような声で言った。
「何を話し合うと?」
「太助が切られました」
ざわり、とその場の空気が揺れた。
おそらく神屋は知っていただろうが、集まっている男衆に周知はしていなかったようだ。
今でこそこれほどの規模を誇るが、かつては小さな集落だった。だから主だった者には、小十郎のいう太助がどの太助かすぐに分かったのだろう。
太助は旅籠屋を営んでいる。そして武士たちが宿場を占領しているという非常事態。
誰もがそれを関連付けるのは無理はないし、間違ってもいない。
だが、小十郎は手を上げてその騒ぎを制した。
「こちらから先だって、荒事にするべきではありません」
一度滑り出せば、小十郎の口は早口で回った。
「何を言うっ」
神屋の隣で、腕組みをした名主のひとりが声を上げる。
「あんな奴ら、まとめて始末するか追い出すかすりゃあいい!」
「もし尼子家の影共なら?」
本城の殿の策のうちである可能性は口にはしない。
「あるいは、毛利の尖兵なら?」
小十郎の、普段より早い言葉繰りに、ざわついていた男たちが一気に口を閉ざした。
ひんやりした夜の空気が、場をさらった。
「遅くに悪ぃな! 店主はいるかい」
けたたましく入口の木戸を叩く音と同時に、威勢のいい声が、宿場通りのあちこちから響いた。
一斉に大勢が詰めかけたので、おそらくは警戒していただろう武士たちも対応に迷ったと思う。
夜間なので木戸が閉められていたが、どの宿もドンドン激しく叩くとつっかえ棒が外され、中から顔がのぞいた。
神屋と並んで通りに立っていた小十郎は、その多くが店の者ではなく、帯刀した武士だということを見て取った。
ぎゅっとみぞおちのあたりに力がこもる。
宿の中では、すでに取り返しのつかない事態になっているのかもしれない。そんな恐怖に血の気が引く。
「あれっ、お武家様じゃぁありませんか。ここの店主は?」
なかなか芝居がうまい男たちが、三軒となりにまで聞こえるほどの声量でそう問いかけている。
「いやね、いま抜け荷をした連中を追っておりましてね。宿改め中なんでさぁ」
まったく何も気づいていませんよ、という感じの大声。それをどこもかしこもやるものだから、静まり返っていた通りが一気に騒がしくなった。
「なんだお主ら!」
「夜廻り組でさぁ。ちょーっとすんません」
「待て! 勝手に入るな‼」
「あいや、お武家様には関りございませんよ。抜け荷を請け負う商人を探しておりまして……店主はどこでしょう?」
お願い、頼む。小十郎は心の中で懇願しながら、ぎゅっと手を握った。
尼子の影共であってくれ。味方の策の一部であってくれ。
そんな祈りはかなわなかった。
けたたましく起こった女の悲鳴が、夜の通りに響き渡ったのだ。
小十郎だけではなく、その場にいた者全員が一斉に身構えたと思う。
「ついてこい!」
名主が血相を変えて叫び、走り出した。
根っからの下っ端気質の小十郎は、配下の男衆に向けたその言葉に従って後に続こうとしたのだが……神屋にぐっと腕を掴まれてその場にとどまった。
「大将はどんと構えておるものです」
太く朗々とした声色で、本物の侍大将っぽく言われたが、そもそも小十郎には己がそうだという認識がなかった。
引き留められたので足を止め、年長者の言葉の意味を一瞬考えて、「えっ」とのけ反る。
「神屋の旦那!」
走って行った名主が呼ぶ声がした。
再び女の悲鳴がした。今度は複数だ。
同時に、バタバタと走る音。男たちの怒声。戸を蹴破るような音。
駄目だ。とてもじゃないが、じっとしていられない。
ふっと、神屋の手が緩んだ。最初は、引き留める手がなくなったから前に進もうとした。
だが何故か足が止まった。本能的に身をよじり、振り返る。
松明を掲げた男衆と目が合った。互いに何を見ているのか、理解していなかったと思う。
血しぶきが上がった。