4-1 違和感
大森の町に入った瞬間、何かが違うと感じた。
住人たちの多くがその日の仕事を終え、家に帰りついている刻限だ。こんな時刻に出歩いたことがないから、そう思うのだろうか。
思わず足を止めた小十郎を、伝八は無言で急かした。
手代のふりをしているので、福船屋の店まで向かい、そこで身なりを改める手はずになっている。そこまで小十郎を無事に届けることが、この男が頼まれた仕事なのだろう。
すれ違う物売りが知った顔だったので、さっと笠を伏せた。この辺りは子供のころからよく来た場所なので、顔見知りも多いのだ。
人気の捌けた通りを、ゴロゴロと荷台を引く音がする。
複数人とすれ違ったあたりから、違和感がより増してきた。
「伝八」
小十郎は顔を伏せたまま、隣を歩く男に囁きかけた。
「おかしい。武士が多すぎる」
「……はい。急ぎましょう」
伝八も何かを感じ取っていたらしい。小十郎に頷き返して、台車よりも先に立って歩き始めた。
いくつかの通りを横切り進む。
先に進めば進むほど、馴染みの風景に馴染みの町人達ではない、明らかに武士と分かる浪人風の男たちが増えてくる。
いや、こいつらはきっと浪人ではない。
銀山を狙う国は多いが、今現状もっとも争っているのは毛利だ。むしろそれ以外のところがちょっかいをかけてくるだろうか。いや、尼子と毛利の両方を敵に回すような真似はしないだろう。
ではこの武士たちは毛利の手の者か? 戦の前に尖兵を送り込んできたのかもしれない。
宿場通りに近づくにつれ、違和感はもはや確信に至った。
普段は町人や流れの商人、職人たちであふれかえっている宿場通りから、それらの者たちが消えていたからだ。
小菊と、その両親の顔が脳裏に浮かんだ。いや彼らだけではない。昔から慣れ親しんだ人々に、なにかよくないことが起こっている。
横を見ると、小菊がいるはずの旅籠がある。宿場通りから一本奥まった場所で、客もそう多くは取れない小さな構えだが、小十郎にとっては実家同様に馴染みのある旅籠だ。
顔をあげてはいけない。振り返ってもいけない。
ただ足元だけを見ながら、旅籠のある通りを後にした。
福船屋は、古くからこの辺りにある店ではない。
鉱山が大きくなるにしたがって、彼らのように店を構える者も増えてきて、大森の町は年々目を見張るような成長を続けている。
宿場通りから少し遠ざかった、職人が多くいる地区に、福船屋は暖簾を掲げていた。
大通りではないが、それに近しい利便性があるなかなかの好立地、店の規模も大きい。
店に戻りつくなり、伝八は無言で小十郎を奥へと誘った。
それどころではない。すぐにも小菊の旅籠へ向かいたかったが、伝八の表情の深刻さがそれを押しとどめた。
「大江様おひとりが行かれたとて、あれだけのお武家様を相手にはできますまい」
笠と蓑を外した小十郎に向かって、伝八ははっきりとした口調で言った。
小十郎でなくとも、たとえば一騎当千の者であろうとも、あのあたりにいた不審な武士すべてと対峙するのは無理だ。
「何が起こっているのか調べさせます。しばらくこちらでお待ちください」
伝八の険しい表情をしばらく見つめて、小十郎は頷いて任せてしまいたい誘惑と戦った。
――小十郎様!
小菊の元気な声が聞こえた気がして、ぐっと唇を引き結ぶ。
「旅籠を営んでいる夫婦は、かつて大江家に勤めていた者たちだ」
小菊やその両親だけではない。この町には大勢の知り合いがいる。
「他にもまだ、世話になった者たちが……いや、わかっている」
小十郎は、何かを言おうとした伝八を遮って、言葉をつづけた。
「だから何ができるというのだろう?」
わかっていても、何もせず待っていることはできない。
「無事ここまで送り届けてくれただけでも有難いと思うている。宗一郎殿にも、頼まれたことは成したと答えればよい」
さあ、腹をくくってもうひと頑張りだ。まずは小菊らの無事を確かめる。それから、薬屋に行ってみよう。昔からこの町にいるあの男なら、伝八より詳しいことを知っているだろう。
「それはなりませぬ」
険しい顔をした伝八が、さっと首を左右に振った。
「瀬川様のお屋敷に行かれるのでは」
強い口調だった。丁寧だが、諭すというよりも言い聞かせるような。
小十郎は「ふう」と息を吐き、小さく頷いた。
「この状況では、どうだろう。宗一郎殿の屋敷にも何かが起こっているのではないか」
どんな得があるのか、あるいは頼りない同輩を守ろうとしてくれたのかは不明だが、宗一郎が小十郎の身を案じてくれたのは確かだ。
だがその話も、今このような状況下では打ち合わせ通りとはいかないだろう。
ますます厳しい表情になった伝八を見つめる。
年のころは四十程か? 身なりや所作など、どこから見ても典型的な商人だ。
だがずっと気になっていた。それが今の会話でほぼ確信に至った。
「そのほう、武士だな」
唐突な断定に、伝八の細めの眉がピクリと動いた。
勝手口側から駆けこんできた番頭が、慌ただしく伝八に用を告げに来たので、小十郎の問いかけに対する返答はなかった。
うやむやにされそうだったが、それでもいい。
小十郎が気付いていると示唆することで、少しは釘を刺せただろう。
「止めは致しませぬ。ですが先にその手の布を替えましょう」
戻ってきた伝八に声を掛けられ、小十郎は砂埃でジャリついている草履に足を突っ込んだところで振り返った。
「その間に、今わかっていることをおおよそお伝えできるかと存じます」
そうまでして小十郎を引き留めたい理由があるのか?
明かりの乏しい土間なので、伝八の表情はよく見えない。
だが差し出された手に、最初に違和感を抱いた剣だこがあるのを再確認できた。