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銀喰ノ記  作者:
仙ノ山
17/86

3-4 奉行所の牢3

 根津様からひと通りの尋問を終え、再び牢屋に戻された。

 真冬でないことを感謝するべきだろう。それでも、石床の牢はひどく冷える。

 吐いた息は白くはなかったが、石床から伝わってくる冷気に身体が芯まで凍り付きそうだった。

 できることはやった。

 隠し坑道のことはしゃべらなかったし、根津様がそれに言及することもなかった。

 小十郎にしてみれば、最大限の努力をしたと言いたいところだが、正直、いろいろと気づかれていると思う。そもそも知っていたという可能性もある。

 出仕二日目にして、精神的にゴリゴリ削られ、肉体的にも、今思えばかなりの危機だった。

 こんなに頑張ったんだから、お手当てとか褒賞とかないだろうか。……ないんだろうな。

 溜息を飲み込んで、がっくりと膝をつく。

 大丈夫か、この先もここでやっていけるのか。

 不安は募るばかりだ。

「大江様」

 暗がりから声を掛けられて、ぎょっとした。

 人が近づいてくる足音などしなかった。……いや、悪い方へ悪い方へと考え込んでいたので、聞いていなかっただけかもしれない。

 目を凝らす。わざわざ声を掛けてきたのだから、用があるに違いないのに、その男は暗がりの中に佇み何も言わない。

 ようやくこの暗さに目が慣れてきて、明り取りからわずかにこぼれる月明かりの助けを借りて、男の様子が少し見えてくる。

 独特の服装と、手に槍を持っていることから、牢番らしいというのはわかる。声に聞き覚えがないから、先ほど宗一郎を呼びに来た男ではないだろう。

 瞬間、わずかに過った警戒心が仕事をした。

 とっさに身をよじらなければ、格子の隙間から突き出された槍に心臓を貫かれていただろう。

 冷たい石床にペタンと尻をつけて座り込んでいたので、飛びのくことはできなかった。ただ後ろに手をついて、槍先が目の前を横切るのをギリギリでかわした。

 一度目はそれでよかった。だが狭い牢内、座り込んた体勢のままでは、二度目三度目の回避は無理だ。

 とっさに格子から突き出た槍の柄を掴んだ。少しでも躊躇っていたら、そのまますっぱり両手の指が落ちていただろう。

 後から考えたら、なんて無謀なと思うが、その時は必死だった。

 お互いに無言のまま、槍の柄を引っ張り合う。小十郎は非力な少年だが、相手もそれほど力がある方ではなかったのが幸いした。

 堅い木格子に、全体重をかけて槍の柄を押しつける。

 小十郎の細腕と牢番の腕とが互いに逆方向へ力を掛け合い、細長い柄が弓なりにたわんだ。

 ――みしり。

 攻防の中、じりじりと穂先を石床近くまで下ろし、尻を滑らせて柄を抱え込んだ。牢番は外側から全体重を預け、さらに上体を乗りかかるようにして押し込んでくる。

 ――みりっ……みりっ……。

 沈黙と暗がりの中、柄が軋む音だけがやけに大きく響いた。

 もしこのままだと、こちらの腕が先に折れる。あるいは鋭い穂先が小十郎を切り裂くだろう。

 もう駄目かもしれない。ぎゅっと目をつぶって、間近に迫った死を覚悟した。

 その時。

 ――ばちん‼

 闇に乾いた破裂音が響いた。槍の柄が、木格子が当たっていたところで折れたのだ。

 折れた下半分が石床を跳ね、牢番の手から離れて転がった。

 残ったのは三尺ほどの短槍……否、小太刀ほどの刃と化した穂先。落ちたのは牢の内側だ。

 小十郎は素早くその穂先を拾った。

 折れた柄の部分のささくれが、鋭く手のひらに突き刺さる。それを上塗りするように、体内へ駆け上がる昂りが、声となって零れた。

「殺されてなどやらぬ!」

 穂先を逆手に握り直す。短くなった分、格子越しでも取り回しは利く。牢番が狼狽して腰の刀に手をかけるのが見えた。

 小十郎は反射的に身をひねり、刀がまだ鞘口を離れぬうちに折れ槍の穂先を突き上げた。

 鋼と鋼が擦れ合い、鈍い火花が闇の中でぱっと弾ける。

 牢番は顔を引きつらせ、受けきれぬままに刀を落とした。

 穂先は牢番の襟首に食い込む寸前で止まっている。

「——動くな」

 小十郎の掠れた声が響いた。

 牢番は喉を鳴らし、かがみ込んだまま後ずさる。手は落ちた刀へ伸びかけたが、穂先を更に押し込むと、途端に全身が硬直した。

「動けば喉を貫く」

 情けなくも細かく震えながらの宣告に、牢番の目も怯えたように揺れた。

 その視線がはっと別の方向に向いたのは、巡回の兵が近づいてくる気配があったからだ。

 次の瞬間、牢番の肩口から誰かの手が伸び、がしりと後ろへ引きずった。 

「何をしておる!」

 響いた怒声は佐倉のものだった。


「おぬし運が良いの」

 どこか別の場所に連れて行かれる牢番を見送って、佐倉が呆れ口調で言った。

「銭を握らされて口封じにでも来たのだろうが、あれではな」

 そうか。口封じか。

 小十郎は冷たい石床にへたり込んだまま、まだ震えを止めることが出来ずにいた。

 命じられた通り黙っていた。隠し坑道についてひと言も漏らさなかった。だが秘事を抱えた者たちにとっては、小十郎の忠誠心などあてにできなかったのだろう。

 そこでようやく、起こったことが生々しく現実味を帯びてくる。

 震える手で顔を覆おうとして、両掌が血まみれだという事に気づいた。たいした怪我ではないだろうが、血でぬるりと光っている。

「なんだ、怪我をしたのか?」

 手を見せるようにと言われて、素直に差し出すと、松明を持ってこさせた佐倉が傷口を見て顔をしかめた。

 親切にも手当してもらいながら、ぐるぐると色んなことを考えているうちに、小十郎はあの牢番は間者かもしれないと思いはじめた。

 昨日も橋のところで追いかけられた。隠し坑道の事を知る前だ。

 だから今回もきっとそれとは別口で……。

「痛いです」

「結構深く刺さったな」

 至近距離にある佐倉の不愛想な顔を見ているうちに、泣きたくなってきた。

 違うと思い込もうとしているのは、小十郎の弱さだ。

「痛いです」

「辛抱しろ」

 小十郎はぎゅっと唇を噛んだ。

 佐倉は手際よく棘を抜き、酒で湿らせた麻布を巻きつける。傷口に染みた強い匂いが鼻を突き、涙が滲んだ。

「……終いだ。明るい時に棘が残っていないか確かめろ」

「ありがとうございます」

 礼を言った途端、胸の奥で固まっていたものがほどけ、ひくりと嗚咽がこぼれた。

 佐倉は火皿の上で布を炙りながら、ちらりと目だけを向けてきた。

「鉱山には利を狙う外道が寄って来る。誰が味方で誰が敵か見分けがつかん」

 火皿に血に染まった布を落とすと、ぱち、と音がした。灯心が揺れ、影が壁を這う。

「油断するなよ、若造」

 佐倉の声には叱責より、わずかな憐みが混じっていた。

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― 新着の感想 ―
小十郎くん、結構武道派ですね。やりよる。てか、率直に言って格好イイ♥ >「鉱山には利を狙う外道が寄って来る。誰が味方で誰が敵か見分けがつかん」 そうなんですよ~。いっぱい登場人物出て来てますが、結局…
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