3-1 奉行所の牢1
何が起こっている?
小十郎は冷たい石床の上に座り込んで、呆然と太い木格子を見つめた。
こんなところに入れられるような罪を犯した覚えはない。
だが現実問題として、小十郎は鉱山奉行所の牢に入れられ、厳重に見張られていた。
どうしてこんなことになっているのだと、これまでを思い返してみる。
しかし鉱山に立ち入ったのは昨日が初めてだ。出仕二日目の新人に何ができるというのか。
薬屋に行ったこととか、医者を連れ込んだこととか、そのあたりにしか心当たりがないが、まさかその程度で牢に入れるほどの罪になるとは思えない。
まさか……間者だと思われている?
ふと脳裏にかすめたのは、昨日ものすごい形相で追いかけてきた男のことだ。小十郎はあの男こそが間者の類だと思っていたが、違うのか?
やはり勘違いされている。あるいは……誰かが意図してそう仕向けたのだろうか。
「小十郎」
こそっと声を掛けられて、顔を上げる。
湿った臭いのする牢内には小さな明り取りしかなく、誰かが近づいてきたことすら気づかなかった。だが声で宗一郎だとわかる。
「握り飯と水だ。今すぐ食え。見つかったらまずい」
小十郎の太ももよりも太い格子木の間から、水入れの竹筒と、笹にくるまれた握り飯が差し込まれた。
考え込みすぎて時間の感覚がわからなくなっていた。今何刻だろう。
急に強い喉の渇きと空腹を覚えた。
おずおずと手を伸ばそうとしたところで、宗一郎がこそこそと早口で言った。
「いいか、よく聞け。上は過失による失火にしたいらしい」
「……えっ」
「ワシが尼子の目代様に申し開きをしてやる。絶対に悪いようにはせぬ。故に口をつぐんでいろ」
目代様? それって鉱山奉行の左近将監様どころか、本城の殿よりも上の人じゃないか?
小十郎は、さあっと血の気を引かせた。不意に、よくない想像をしてしまったからだ。
「ま、まさか隠し坑道というのは」
本城家が、尼子に対して秘密にしている坑道なのか?
「……しっ」
黙るようにと人差し指を立てられ、小十郎は臆して息を詰めた。
最後まで言葉にすることができなかった問いが、まるで固形物であるかのようにカラカラの喉につっかえる。
農民は領主に年貢を納める。同様に本城家は、尼子家に対して税として銀を治めている。
それは、その年の採掘量に対しての割合だ。採掘量が多ければそれだけ増える。つまり……。
小十郎は、不規則に脈打つ胸の上に手を置いた。
とんでもないことに巻き込まれてしまった。主家の暗部に触れたのか? だからこんなところに押し込められた?
「とにかく食え。食わねば持たぬ」
どうすればいいのかわからず強い恐怖に苛まれていると、宗一郎が先ほどより強い口調で言った。
「絶対にここから出してやるから、耐えろ」
縋り付くように見上げた先に、ぼんやりと整った顔が見える。
小十郎はとっさに、「助けて」と口にしそうになった。
だが冷静に考えると、宗一郎もまだ若い武士だ。事情がありそうではあったが、同じ新人役人には違いない。
差し入れに来てくれただけでも、彼にとっては大きな決断だ。下手をしたら、小十郎と同じ立場になりかねない。
「……こんなところに来て大丈夫なんですか」
声が情けなく震えていたが、宗一郎は聞こえないふりをしてくれた。
「大丈夫だ。知り合いに頼んだ」
「すみません」
「何を言う。ワシがそなたを詰め所に置き去りにしたのだ」
もっとうまくできたはず。宗一郎はそう呟く。だが宗一郎がいたとしても、焙烙玉の爆発を何とかできたとは思えない。
続けて問われた。
「組頭の幸田がどうしているかわかるか?」
「ああ、それは」
乾いた喉を潤しながら返事をしかけて、そう聞くという事は、幸田がまだ石銀方面から戻っていないのだと気付いた。
「……枝野から聞いてはおりませんか? 後続で二名を探しに向かわせたのですが」
「枝野の話にはいまいち信頼がおけぬ。幸田はまことに石銀に行ったのか?」
「鉱夫たちを広場に集めるために、五組にわけて数人を走らせました。そのあと、詰め所が大きく揺れ、昨日のように砂煙が充満したので、また崩落事故が起こったのかと様子を見に……」
小十郎がそこまで言ったところで、二人そろって牢の入口の方へ目を向けた。明らかな足音が聞こえてきたからだ。
「瀬川様、尼子家の目付役様がいらっしゃいます」
こちらに駆け寄ってきたのは、槍を手にした牢番らしき男だった。
「すぐか?」
「いまこちらに向かわれています」
宗一郎は舌打ちした。基本的に牢へ向かう出入り口はひとつだ。このままだと鉢合わせしてしまう。
「……行ってください」
本当は心細くて恐ろしかったが、宗一郎を巻き込むわけにはいかない。
小十郎が意を決してそう言うと、宗一郎は「だが」と呟き躊躇う様子だったが、牢番に急かされて立ち上がった。
「いいか、何も言うな。いや、隠し坑道の話はするな。もしそのことを知っていると気付かれたら、口封じされるやもしれぬ」
それを聞いた瞬間に、ぞっと背筋が震えた。
それは尼子家からか? いや違う。上役たち……本城家からの口封じだ。
忠告してくれた宗一郎に、引きつった顔で「はい」と答えて、小十郎は握りしめていた竹筒と膝先に置かれた笹包みを返した。差し入れがあったことを知られるのはまずいからだ。
まだ喉は乾いていたが、空腹はどこかに行っていた。
これからどうなってしまうのかという恐怖に、血の気が下がり、指が細かく震える。
「五郎左に話を聞いてください」
去り際、ギリギリで思い出したことを口にすると、宗一郎は一度だけ振り返った。
だがそのまま、何も答えず行ってしまった。
尼子奉行衆……国会議員
目代……地方知事
目付……警察・監察官
ここまでが尼子側、中央役人のようなイメージ
山吹城主は軍事・日常運営の現地トップ。市長?
その弟が務める鉱山奉行はその下の位置づけです。公団とか、地方の警察署とか?
1560年ごろ、銀山は山吹城主+尼子家からの監査役で監督されていました
監査が来るたびに、本城兄弟は“尼子中央”への献銀や軍事貢納を示さなければならりません
尼子にとっても、石見の銀は重要な資金源なので、不正がないか、他国にちょっかい掛けられていないか、常に目をひからせていたかと思います